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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ベルセルク 黄金時代篇 降臨

2013-02-17 22:12:17 | 映画(は)
評価点:66点/2013年/日本/107分

監督:窪岡俊之

すごい映画。でも物足りない。

爵位まで受けた傭兵軍団鷹の団の団長、グリフィス(声:櫻井孝宏)だったが、ガッツ(声:岩永洋明)との別れの後、姫のシャルロット(声:豊崎愛生)と一夜を共にする。
それがきっかけで、鷹の団はお尋ね者となり、多くの仲間が死傷した。
グリフィスは暗い牢獄に閉じ込められ、一年も拷問を受け続けていた。
鷹の団の残党の首領、キャスカ(声:行成とあ)は新たな計画として、グリフィス奪還計画を進めていた。
そんな矢先、鷹の団は、討伐部隊に襲われてしまう。
危機一髪というところで、去ったはずのガッツが現れ、救われる。
精神的にも肉体的にも追い込まれたキャスカは、死を選ぼうとするが……。

漫画「ベルセルク」の映画化第三弾。
物語の一つの佳境である「蝕」を描いている。
上のストーリーにも書き出したが、原作を読んでいないもの、前作2作品を観ていないものにとっては、まったく意味不明であろうということは容易に想像できる。
少なくとも、前作2作品を見なければ、この映画は映画として成り立たない。

知らずに映画館に足を運んでしまうと、痛い目にあうだろう。
それは「分からない」以上に苦痛な時間を過ごすことになる。

この残酷な「蝕」を、どれだけしっかりと描くことができているのか、その一点がこの映画の成否を分けるだろう。
原作ファンなら、とにかく一度映画館に足を運んでほしい。

▼以下はネタバレあり▼

この映画を評価するのはとても難しい。
先にも書いたが、この映画は原作と二重写しにしか見ることができないからだ。
私は、この映画を見ながら確実に追体験していた。
10年以上前、友人から借りたコミックで初めて読んだ「ベルセルク」で体験した物語の、追体験である。
この映画だけで、この映画を評価することは難しい。
私にとって、「ベルセルク」は、幾度となく読んだ再話され続けてきた物語そのものなのだから。

まして、〈蝕〉は、多くの原作ファンを人間の深い負の感情にたたき落とした、「ベルセルク」の中でも一つのクライマックスである。
それ以降の物語もまた、すさまじいわけだが、その理由はこの〈蝕〉がすさまじかったからに起因している。
〈蝕〉以降を読んでも、〈蝕〉以上の感情を味わうことはできないだろう。
それくらい、今回の「降臨」は、特別な意味を持つ。
賛否両論あるのは当然だろう。
私は、この映画を見て、「あのとき」を思い出しながらも、決定的な何かが足りないという印象を強くもった。
それはいったい何だったのか、そのことを中心に書いてみたいと思う。

映画という限られた時間の中では、原作の多くの場面をカットせざるを得なかったのは、やむを得ないことだろう。
原作を知っているものとしては、どうしても、「あそこないの?」「あいつ出てこないの?」という不満は致し方がない。
問題は、その場面があるかどうか、キャラクターが出るかどうかではなく、原作のページを開けるときと同じ感情をスクリーンを見ていて感じられるかどうか、という点なのだ。

私は「R18」バージョンで鑑賞した。
「R15」とどのような差異があるのかは確認していない。
ただ、アニメという表現方法で、映画というメディアで、映像のグロテスクさや残忍さは、非常に高い完成度だったと思う。
事実、私は映画館を後にするとき、大きな倦怠感を抱いたのだから。
一作目からこだわっていた3DCGでの表現は、ここにきて集大成と言ってもよいくらいすばらしい出来だ。
絶望的な広がりを見せる、ゆがんだ世界も、漫画では描かれなかった色鮮やかな世界を文字通り再構築している。

だが、物足りなさがなかったといえば、そうは言えない。
何かが足りないのだ。
決定的な何かが。

その一つが、感情の渦巻きだと私は考えている。
上映時間の制約が厳しい映画では、原作にあった様々な場面をカットせざるを得ない。
その影響の一つが、感情の渦巻きが表現し切れなかった。
憤怒や慟哭、畏怖、絶望、悲哀、悦楽などの様々な感情渦巻く場面が〈蝕〉そのものだった。
思えば、漫画というのは、もっとも感情の表現がしやすい表現方法だ。
感情豊かに表情を描くことができるからだ。
「ベルセルク」が漫画のある種の極致に逢着したのは、感情の表現がすさまじかったからだ。
〈蝕〉は一方的な虐殺と陵辱を描きながら、そこには感情の蠢きがあったのだ。
だから、この場面は誰もが忘れることができない、トラウマとして刻まれた。

この映画では、それぞれの人物の感情をあまりにもカットしすぎた。
グリフィスにしても、キャスカにしても、ガッツにしても、原作にあった、〈揺らぎ〉を表現し切れなかった。
それは何度も言うように致し方がない部分は多々ある。
けれども、漫画をすでに体験してしまっている私たちには、どうしてもその感情の〈揺らぎ〉が物足りないと感じてしまう。
しかも、私たち読者はすでに筋書きを知ってしまっているために、二度目の体験は「追体験」でしかなくなる。
ここにこの映画の根本的で、決定的な欠如が露呈する。

すなわち、三部作である以上前作二作か、もしくは原作を知っていなければ面白くないほど自律性にかける作品でありながら、かつ、原作を知ってしまっている私たちファンにとっては目新しさを感じることなく原作と二重写しにしか楽しめない、という板ばさみである。
ゆえに物足りない。
面白ければそれは原作のおかげだし、面白くなければそれはこの映画では表現できなかった原作の魅力があるからだ、となるわけだ。
そして、どれだけ冷静に観たとしても、この映画が面白いのか、原作によって補完されたもののなのかわからない。

もちろん、原作を読まずにこの映画を楽しむ方法もある。
けれども、断じておこう。
原作ほどの感情の起伏をその人は味わっていない、と。

「ベルセルク」という物語をどのように楽しむかは人それぞれだ。
それを否定して、私の考えを押し付けるつもりはない。
けれども、何か足りないと私が感じたのは確かな感覚だ。

面白い。
映画としてここまでやってくれたことに敬意は表する。
決して否定するつもりはない。
けれども足りないのだ。

結果的に少し残念だったこともまた否定し得ない。

サウンドトラックまで買ってやったのだから、是非続きを描いてほしい。

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