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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

TIME/タイム(V)

2013-02-12 19:08:41 | 映画(た)

評価点:62点/2011年/アメリカ/108分

監督:アンドリュー・ニコル

時間は〈役割〉によって与えられる。

近未来、すべての通貨は「時間」に変わっていた。
それは、25歳以上になるとカウントが始まり、0になると死を意味する。
つまり、残りどれだけ生きられるかを示した数字だった。
完全に死をコントロールできるようになった近未来では、貧富の差は即死と不死の差となる。
25歳で完全に成長が止まる世界で、富裕層は完全な不老不死を実現させた。
しかし、貧困層では一日生きるために働く日々が続く。
あるとき、ウィル・サラス(ジャスティン・ティンバーレイク)は富裕層の男を助けたことから、116年という巨額の時間を譲り受けるが……。

通貨を時間に変換したというSF作品である。
予告がテレビでも流れていたので、なんとなく見に行ったという人も多いかもしれない。
私は「ソーシャル・ネットワーク」にも出演していたジャスティン・ティンバーレイクが気になっていた。

周りの評判があまり高くないことから、敬遠していたが、「LOOPER」を観てから興味がわいてみることにした。
まあ、同じSFという点でしか共通点はないわけだが。

だれにでも楽しめるお手軽さがあるように予告編ではうつるけれども、そうではない。
人を選ぶだろうし、それほど完成度が高いわけではない。
気が向いたら手に取る程度の作品だろう。

▼以下はネタバレあり▼

すでに多くの人が気づいていることだが、富裕層とは「お金持ち」を言うのではない。
現代では、生きることが保障されている人のことを言う。
マルクスは、貨幣について、人間の関係性を具現化したものだと書いたそうだ。
高度に発達した経済では、人の気持ちは貨幣で表すことができるようになった。
めんどうなことがあれば、文字通りカネで解決できる。
だから、食料や住むところを手に入れるのに苦労しない。
それどころか、富裕層たちは、いまや臓器や最新医療を受ける可能性も高まる。
よって、結果的に生きることが保障されることになる。

明日生きるお金もない貧困層は、そういった人の気持ちを受けるだけの関係性がない。
だから、死のリスクは高まることになる。

そういった現状を見事に示したのが、この「TIME」という映画の設定である。
貧困層は、今日一日生きるために働き、明日死ぬかもしれないという恐怖の中過ごす。
生きるために生きるのである。
富裕層は、潤沢な時間があるので、走ることも必要がない。
彼らは楽しむために生きる余裕がある。

この世界観は見事である。
LOOPER」でもあったが、現代を生きる人間たちにとって、科学技術は時と比例して発達するものだとは信じられない。
だから、どこかで頭を打つことになる。
たとえ、人の寿命を時間としてコントロールするという、科学技術が開発されたとしても、それは人類全体の明るい未来を描くものだとは考えられない。
街は荒廃し、貧富の差は拡大し続ける。
このシステムが導入された当初は、非常に理性的で、平等で自由な世界が想像できたのかもしれない。
けれども彼らが生きる世界は強烈な世界である。

この設定が受け容れられるのは、現代がすでにそうなっているからだ。
富裕層と貧困層の格差の拡大は、エリアごとに区切られた完全な富の不平等が起こっても不思議ではないと思わせるに十分な状況に、現代でもあるのだ。

シルヴィア・ワイス(アマンダ・サイフリッド)の父親が明かす、この世界のシステムは非常に合理的である。
「不老不死を願う少数の人間のためには、多数の死が必要だ。」
現代でもそうではないか。
一人の富裕層を支えるのは、多数の貧困層である。
貧富の差の拡大が、経済の発展を促してきたのだ。

この状況を打ち砕く、一つの打開策が、映画製作陣から示される。
それが「時間を分配する」ということである。
少数の人間が独占している富を、皆で分け合おうと、ウィルたちは「ねずみ小僧」になる。
富裕層たちは自分たちが得ていた既得権益を奪われ、システムの崩壊が起こり始める。
より平等に、より自由に振舞おうと、貧困層たちは、富裕層のエリアを侵食していく、というところでエンドロールとなる。

おもしろいのが、ラストで取り締まるはずのタイムキーパーたちが「家に帰ろう」とつぶやくことだ。
これは、二人が壊したものが、貧富の差ではないことを示唆している。
貧富の差は、そもそも「役割」に張り付いている余剰的なものだったのだ。
彼らは貧富の差をなくそうとして、結局なくなったのは、自分たちがこの世界でどのような役割を担うか、という居場所そのものだったのだ。
住むところも、楽しむことも、働くことも自由になってしまえば、人はどこにいてよいのかわからなくなる。
この鋭い示唆は、世界が陥っている経済の閉塞感を正しくえぐっている。

貧富の差がなくなれば、システムは維持できなくなる。
経済は破綻するしかない。

けれども、この映画はそこまで描かなかった。
彼らが自分たちで何をしているのか、なぜシステムを維持するために頑強なゲートや、レートの操作までして時間を搾取してきたのか、わからずに終幕を迎えてしまう。
無邪気なハッピーエンドに見えているが、本当は何も解決していない。
革命の寵児になることだろうが、それでは世界は変わらない。
もっと悲惨な運命をたどるだろう。
やがて時間を手に入れた貧民層は、手に入れた自由をもてあまし、結局貧富の二極化の状況に立ち戻るだろう。
なぜなら、自分がどれだけ長く生きるかよりも、自分が今、ここにいるという実感の方が人は自己を安定的に保つことができるからだ。

この映画が真におもしろいのは、そこからだ。
時間を通貨に見立てた時点で、この映画の脚本は思考停止してしまっている。
そこから先を描かなければ、この高度に発達してしまった資本主義なる経済システムが、どれだけ現在病んでいるか、誰も気づかないだろう。

この映画が致命的だったのは、感情移入できるほど人物を深く描けていないという点だ。
だから、この映画の生命線は、寿命時間のやりとりというシステムにならざるを得ない。
なぜウィルはあれほど世界をひっくり返したいと考えたのだろうか。
なぜ、自分たちだけ幸せを謳歌することを望まなかったのか。
多くの人間はそのように生きているのに。
彼だけがヒーローたる主人公性を持っているのだとしたら、「主人公である」資格をしっかりと説明する必要があったはずだ。
それもしないのに、ネズミ小僧のように世界をひっくり返すだけだと、貧しい小学生の空想のように、無邪気でむなしい映画になってしまう。


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