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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

Shall we ダンス?(V)

2009-03-08 21:36:49 | 映画(さ)
評価点:76点/1996年/日本

監督:周防正行

「さあ、あなたもダンスしましょうよ!」

杉山(役所広司)は、日本の典型的なサラリーマン。
最近夢のマイフォームを購入したが、なんとなく生活に張り合いがない。
ある日、通勤電車でたまたま見つけた「社交ダンス教室」に飛び込む。
当初は基本ステップもままならない状態だったが、次第にダンスにのめりこんでいくことになる。
一方、毎週水曜日に帰りが遅いことに気づいた妻は、探偵を雇って、夫の身辺調査を試みる。

公開当時、日本で話題になった名作の邦画。
僕は最近まで洋画派だったこともあり、このたび、初めてこの「Shall we ダンス?」を鑑賞した。
順番としては、ハリウッド版を先に見ていたので、周防正行には、不公平な見方ということになるかもしれない。
ただ、それを差し引いても、日本版の完成度は高いと言えるだろう。
 
▼以下はネタバレあり▼

日本オリジナル版の本作のテーマは、ずばり、タイトルどおり「Shall we ダンス?」である。
日本語でずばり言うと、「あなたも社交ダンスをはじめてみませんか?」である。

だから、中心は、素人サラリーマンが、社交ダンスに出会い、社交ダンスを知り、社交ダンスを楽しむようになるという展開になっている。

社交ダンス。
その言葉を聴いて、イメージできることは少ない。
できたとしても、それは負のイメージであり、数ある習い事の中でも、その順位は低い。
それでも今ではだいぶマシになったほうだろう。
公開当時、社交ダンスという集団のイメージは相当に悪かったに違いない。
そもそも、見ず知らずの人の手を握り、身体をこ~んなにも寄せて踊るなんていうのは、奇特な人以外考えられない。
といっても言い過ぎではなかっただろう。
かくいう僕も、やりたいとは全く思えない。

そんな人が、突然、ダンスをしたらいったいどうなるだろうか。
この問いが、この映画の全てであり、根幹だ。

主人公のサラリーマン・杉山は、ダンスなんてまったくやる柄ではない。
しかし、あるときふと見上げたところに、ダンス教室があり、女性が悲しげに立っていた。
ただそれだけでダンスを始めようとしたから大変だ。

レッスンチケットは、安いもので一万円から。
ダンス用の靴は、一万円を超える。
ようやく体裁が整ったといっても、ステップを覚えるだけでも精一杯。
頭でわかっていても、足が付いていかない。
日ごろの運動不足が、身にしみる。

他の生徒もまた、変人ぞろい。
汗臭い大男に、小さい大阪弁。
太り気味なオバちゃんに、ヅラを着用した会社の同僚。
彼らの行動がいちいち面白く、濃いレッスン教室になっている。

だが、ただダンスを覚えていく過程だけではなく、ダンスする楽しさを伝えるため、プロットにひねりがある。
それが岸川舞(草刈民代)側の「物語」である。

ダンスにあこがれて生きてきた岸川は、ブラックプールという世界最高峰のダンス大会に出場するも、転倒し失格となってしまう。
そこで彼女は、帰国し、ダンスを見つめなおすために教師としてダンス教室に通うことになった。
悲しそうな雰囲気で立っていた女性は、この舞であり、なぜダンス大会で失敗し、パートナーを解消されてしまったか、理解できずにいたのである。
映画的には、彼女がヒロインにあたる。

彼女の「ダンスの楽しさを忘れてしまった」という課題を、サラリーマンの素人ダンサーの杉山とやりとりをするうちに、大会のためだけにダンスを踊るのではなく、楽しむためにダンスを踊るのだという答えを見出す。
これが、この作品の大きな流れになっている。

上手に踊るのではなく、下手でも楽しむのだ。
このわかりやすいテーマが、何処にでもいる、サラリーマン杉山と体験できるから、この映画は面白く、そして売れたのだ。
ダンスというわかりにくいものを、わかりやすいテーマで伝えているから、誰にとっても面白いのだ。

それを浮かび上がらせる展開もしっかりしている。
舞自身の回想だけではなく、必死でうまくなろうとしている杉山の横についたり、
高橋豊子(渡辺えり子)が倒れて病院にいくシーンでは、下手でもダンスを中心に生活している姿を描いたり。
同僚の青木富夫(竹中直人)が、社内でばれないように、必死でダンスに取り組む姿は、笑いも誘うが、
そこまでダンスに熱中できるというすばらしさも同時に伝えている。

もちろん、主人公の杉山正平側の物語も、きちんとしている。
マイフォームを買ったものの、それ以降の目標を見出せない。
だが、それ以上の「渇望」を発見できずにいる。
全てに満たされているほど、幸福でもない。
だが、決定的な何かが不足しているほど、欲求もない。
そんなサラリーマンの安定にある不安定さを、ダンスに求めたのである。
そういう意味では、この映画も、アイデンティティの発見(確立)がテーマになっているといえる。

完成度は、確かに高い。
だが、どうしても粗いところが目立ってしまうのが残念だ。

例えば、ヒロインの大根ぶり。
特にラストの杉山への手紙を読んでいるときの台詞は酷い。
国語の授業の本読みじゃないんだから、と言いたい。
まったく抑揚なく、感情がこもっているとは思えない。
いまどき、ワイドショーのVTRでのアナウンサーの再現ビデオでも、あんな棒読みしていない。
あそこで盛り上がるはずが、あそこで大いに盛り下がってしまう。
もうすこし役者を考えてほしかったのが正直なところ。

加えて杉山の娘も、酷い。
主人公の役所広司が、ダンス前とダンス中の変貌振りを見事に演じているのに対し、ところどころで、興ざめな役者がいるのが、残念だ。

また、いかんせんテンポが悪い。
ダンスをモティーフにしているのにも関わらず、そのテンポの良さ、リズムの良さが映画の演出に活かされていない。
ダンスのかっこよさがもっと伝わるように、緩急をつけて撮ってほしかった。

そして、もっとはっきり言えば、上映時間が長すぎるのだ。
すべてにおいて、丁寧に描きすぎている。
特に、岸川舞の回想や身の上話は、丁寧に説明しすぎていて、冗長になっている。
そんなに丁寧に言わなくても、観客はわかるものだ。
最初はミステリアスな雰囲気だったのに、くどい説明で台無しだ。

全体的なシナリオの完結度から言えば、絶対に日本版のほうが上だろう。
とくに、ラストの舞と正平とのダンスは、日本のほうがカタルシスが大きかった。
初めてきちんと踊ることができた、ということで、
ダンスを始めるきっかけだった「あの人と踊りたい」という願いが完結する。
また、二人だけで踊るのではなく、皆を巻き込んで踊るということで、「あなたも一緒に!」という、見る見られるという垣根を越えて、ダンスは参加するものだ、という点が明確に表われている。
その意味で、踊りたくさせる映画としても、一枚上手だといえる。

(2005/5/4執筆)

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