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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

アダプテーション

2009-03-10 17:57:10 | 映画(あ)
評価点:66点/2002年/アメリカ

監督:スパイク・ジョーンズ

僕は、この脚本家とは相性が悪い。

「マルコヴィッチの穴」で成功を収めたチャーリー・カウフマン(ニコラス・ケイジ)は、新しい仕事で「蘭に魅せられた男」という本の脚本の依頼を受ける。
しかし、自身に自信をもてないチャーリーは、スランプに陥ってしまい、
どうしてもタイプライターが進まない。
弟のドナルドの成功もあり、どんどん追い詰められていくチャーリーは、魅力的だと感じた原作の著者のスーザン・オーリアン(メリル・ストリープ)を主人公にした脚本を思いつき、本人に会おうと試みるが。。。

僕は凡人なのか、ただ相性が悪いだけなのか、本作も、「マルコヴィッチの穴」も「ノレ」なかった。
二つの作品を比べるなら断然こちらの方がいいと思うが、期待していた「脚本のタブー」なるものが、
僕にとって全くもって「タブー」でもなかったし、「裏切り」でもなかったからだ。

▼以下はネタバレあり▼

物語は、原作の「蘭に魅せられた男」の時間軸と、脚本化していくというチャーリーの時間軸とが交互に描かれていく。
もちろん、チャーリーの時間軸に明らかにウエイトがかかっている。
大きな軸としては、チャーリーの物語にスーザンの著作が入れ子型で挿入されているというスタイルだ。
この時点では、全く違和感のあるものではない。
この映画のキモは、外側にも物語のレベルがあることだ。
いわゆるメタ物語である。
ここで言うメタ物語とは、「物語を書くことを物語にした作品」である。
有名な文学作品を挙げておくと、マルセル・プルーストの「失われた時を求めて」だろう。(読んだことないけど。)
この構造は、映画の半分を観なくとも気づく。
予備知識がなくても勘のいい人なら、「マルコヴィッチ~」の撮影風景のシーンで読めるだろう。
映画としては斬新だといえる。少なくとも「脚本家の物語」を僕はきいたことがない。
しかもここまで現実にリンクさせているものであれば、稀だといえる。

しかし、それは映画での話であり、小説の世界では既に「古い」。
100年前ならともかく、メタ物語の手法は、ある意味では使い古された部類に入る。
しかも、オチが「脚本の完成」では「弱すぎる」。
公開前から「斬新さ」を売りにしていた映画とは思えないほど、ありきたりである。

また、本編で売れるための「脚本のタブー」で散々言っていた、ドラッグ、暴力、事故、何らかの開眼、など、全てを盛り込んだということも、
それほど斬新とはいえない。
「スクリーム」シリーズでは、殺人事件モノのパターンを解説してくれる青年がいたし、メタ的な言動を裏切りや伏線に使うのは常套手段だ。
全然斬新な映画とはいえない。

映画自体の完成度は高いといえるだろう。
ラストの展開の速さも、ワニや交通事故の伏線が全くない状態ではないので、充分ついていける。
「マルコヴィッチ~」とは比べ物にならないほどきちんとしている。

また、音楽も印象的で世界観を上手く形成している。
演じる役者もニコラス・ケイジ(二人もいるとさすがに濃いが)だし、充分及第点だ。

しかし、いかんせん売り方が悪い。
ドキュメンタリー・タッチも演出に過ぎなくなってしまった昨今に、こんな作品で衝撃を感じるなんてとてもじゃないができない。

これは個人的な意見だが、そもそも語り手を過剰に出してしまう作品を本気で書き始めると、その脚本家はネタがつきてしまったのではないかと心配してしまう。
ある意味最終手段であり、それをやってしまうともうこの世界で生きていけなくなるのではという危惧さえある。

「変な作品」という謳い文句なら、「処刑人」や「ナチュラル・ボーン・キラーズ」のほうがよっぽど変だ(二つとも駄作だとおもうけど)。

本作にしても「マルコヴィッチ~」にしても、アイデアは面白いのに、それを充分生かせていない気がしてならない。
はじめにも言ったが、僕とチャーリー(本物)との相性は最悪のようだ。
彼に才能があるとはとても思えない。

(2003/10/8執筆)

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