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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

消費者としての自分、労働者としての自分

2021-10-16 14:03:02 | 毎日コラム
日本の最低賃金は全く上がらない。
欧米諸国や他のアジアの国でも、賃金が上がっているというのに。
日本は「先進国」としての看板を外さなければならないのか。

そういう感情的な言説がSNSを中心に上がっているようだ。
たしかに賃金だけをみれば、日本は上がっていることはないのだろう。
だからといってすぐさま「貧しい国」「不幸せな国」「後進国」というような評価は、おそらく短絡的すぎる。

私たちは労働者でありながら、消費者でもある。
労働者として賃金をもらう側でもあるが、消費者としてお金を払う側でもある。
労働者としての賃金があがるということは、すなわち、消費者としてもお金をたくさん支払うということだ。
お金を多くもらいたいけれど、お金を高く払うのは嫌だ、という論理は成り立たない。

結局、日本は「消費者の国」なのだ。
「消費者」にいかに優しくするか、ということを前提にあらゆることが動いている。
少し前に話題になった「おもてなし」という精神もここにある。
そのためなら、「労働者」としての自分を我慢してもしかたがないと考えている。

象徴的なのが、昔、男子トイレに設置されていた灰皿だ。
そんなものを置いておけばそこでたばこを吸うのが当たり前になって、掃除や管理をする「労働者」には大きな負担になる。
しかし、「吸いたい」という「消費者」の願望には、「労働者」としての日本人は勝てない。
言い方をすれば「おもてなし」の精神がある、といえる。
だが、悪い言い方をすれば「労働者」の奴隷化である。

賃金が上がっても、幸せになれるとは限らない。
おそらく私たちが欲しているのは、お金ではない。
そこにある尊厳が損なわれていると感じているのだ。
しかし、それを取り戻すには、「消費者」としての全能感を我慢するしかない。
カネさえあれば何でもできる、何でも許される、という発想を捨てなければ、「労働者」の尊厳は保証されない。

しかし、その「労働者」も、新しい時代にはその座を奪われるかもしれない。

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