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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

チェンジリング

2009-03-10 22:43:42 | 映画(た)
評価点:78点/2008年/アメリカ

監督:クリント・イーストウッド

文句なしにおもしろい。けれど、この映画がおもしろいと感じることは日本人として複雑だ。

1928年アメリカで、母子家庭のクリスティン・コリンズ(アンジェリーナ・ジョリー)とウォルターは懸命に生きていた。
ある日急に仕事が入ってしまった母親は、心配しながら家を出る。
帰ってくると息子が家にいない。
夜まで探し歩くが結局見つからないまま警察に電話する。
帰ってくるから、と警察に説得されるが、五ヶ月もの間息子は行方不明になってしまう。
五ヶ月後、発見されたと職場に連絡が入り、感動の再会、のはずが、息子ではないと母親は感じる。
動揺を避けるため、一旦引き取ることに合意するも、身体的特徴が明らかに不自然だった。
警察の担当官に告げても、取り合ってくれない。
その事実に気づいた教会は、母親のバックアップにつこうとする。
マスコミに講評されることを恐れた警察は、思わぬ行動に出る……。

「ミリオンダラー・ベイビー」のクリント・イーストウッド監督作。
今年に入って同監督の主演で「グラン・トリノ」も公開される。
イーストウッドファンの僕にとっては益々期待が募るというものだ。

さて、今回は予告編の出来が良い。
だから引き込まれるし、見に行きたいと思わせるに十分だろう。
同時期に公開している映画が、あんまりたいしたことない(怒られるかな)ので、僕はこれをオススメする。

▼以下はネタバレあり▼

この映画は「ミリオンダラー・ベイビー」というよりも、「ブラッド・ワーク」系列に近い映画だ。
人間の本質を鋭くえぐろうとする重たい映画と言うよりも、どちらかというと純粋に楽しめる映画になっている。
それはすなわちハッピーエンドというような意味ではないにしても、エンターテイメント性に優れた映画であることは間違いない。
だから、「ミリオン~」があまりに重たすぎた人にも、万人に楽しめるような間口の広い映画である。

パンフレットに書いてあったことを少し拝借しよう。
「二つの暴力と一つの正義」というタイトルで漫画家の誰かが解説を載せている。
中身は全く読んでいない(すみません)が、まさにそれは正しい解説だろう。
一つは警察という巨大権力の暴力、悪であり、もう一つは連続誘拐殺人事件の犯人の暴力、悪である。
もちろん、それを何とか解決しようとした母親の愛が正義なのである。

息子が行方不明になったクリスティン・コリンズは、帰ってきた子どもに対して、自分の息子ではないと主張する。
それに対して、警察はミスを認めようとしない。
特定の人間(ジェフリー・ドノヴァン)だけが、その悪意を担っているように描かれているが、それは問題を単純化、焦点化するための一種のレトリックだろう。
実際には警察には傲慢と悪意と怠惰がはびこっており、それを教会がメスを入れるという展開になっている。
ここに描かれているのは、教会 対 警察という端的な構造である。
だが、それだけではない。
執拗にこの事件を利用しようとする教会も、善意という真の正義からの行動とは言えまい。
ラジオで演説し続ける牧師の行動は、人々から失った信仰心を何とか取り戻そうという別の打算があるように描かれている。
すなわち、多 対 多という構造ではないのだ。
真の構造は、母親の愛と警察という巨大権力、という構造だ。
それは一対多というアメリカのお得意の構図でもある。
その意味で、エンターテイメントとしての安定性が高い作品なのだ。

また、アンジーの演技には「17歳のカルテ」を彷彿とさせる鬼気迫る迫力がある。
あのセクシー女優が、ここまで母親になれるなんて、やっぱり良い役者である。

おもしろいのは、さらにもう一つの悪意が明らかになる点だ。
連続殺人という個の悪、異常性を描くことで、この映画が本当に普通の映画ではないことを示す。
少年を誘拐し、殺し、埋める。
その異常な犯罪を起こした男の言動は、あきらかに狂っている。
だが、その裁判と、警察の隠蔽の弾劾が同時に行われている時、僕たち観客は、集団の異常と個人の異常との大きな不安を覚えるのだ。
明らかに狂っている男と、明らかにおかしい処置を繰り返す精神科医と、どちらが本当に異常だろうか。
どちらも怖いが、それが同時に同じ時空間で行われていたことの怖さを僕たちは突きつけられることにになる。

見事というほかない。

アンジーとイーストウッドのコメントに、「この話を聞いたらこんな話はあり得ないっていうだろう、と私もクリントも言っていたわ」。
「実際にあり得ない話に聞こえるだろうけれど、残念ながらこれからもないとは言い切れないんだ」というようなことがあった。
正確には覚えていないし、見直す気もない。
重要なのは、この映画にとってこれが実話であるという重さだ。

そもそも実話かどうかと言うのはレトリックに過ぎない、と僕は常々思っている。
それを言えば、レトリックとして説得力を得るが、仮にそれがフィクションであっても、物語としての価値自体がどうこうなることはない。
だが、この映画は実話であることによって、よりおもしろさが増す、そういう種類の映画だ。
その点で「エミリー・ローズ」と同種の物語だと言える。

この偶然の二つの悪意、暴力、異常性が、実際に同じ時系列の中に存在していた、という事実は非常におもしろい。
偶然にしてはできすぎているが、それを見事に描ききった脚本と監督はやはりすごいと思うのだ。

だが、この映画は、僕たち日本人にとってはおもしろいと言うことにためらいを覚える。
それはこの映画が事実かどうかを確認するまでもなく、僕たちはこの映画と同じような事件を、よく知っているからだ。
僕は真相がわかった時点で、鳥肌が立った。
全く北朝鮮の拉致事件と、何ら変わりないのではないか、と思えたからだ。
二つの、誘拐と殺人、そして隠蔽という悪意は、今なお、現在進行形で北朝鮮にされていることだ。
僕は歴史や時事問題に明るくないので、これ以上の言及は避ける。

この映画は文句なしにおもしろい。
だが、アンジーのような「生涯捜し続けたという」という終わりに、僕は悲しみを感じる。
80年後、拉致被害者たちは未来の人間たちにどのように評価された「物語」として存在するのだろうか。
それがこの映画のような結末であれば、悲しすぎる。

この映画がおもしろいということに複雑さを感じるのは、そういうことなのだ。

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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
僕の意見は素人の主観まみれです。 (menfith)
2009-05-06 21:12:50
管理人のmenfithです。
書き込みありがとうございます。

コメントの要点は二つだと思いますが、それについて返信します。

>お願いだから新しいイーストウッドの奴には批評しないで下さい。他の映画じゃない映画の批評は自由ですから、もしイーストウッドの批評するならあなたの批評を僕が批評します。

すみませんが、もう書きました。
批評をするな、と言われましても、ここは僕のブログでそのブログは映画批評を目的としている以上、書き続けます。
僕はプロフィールにも、ホームページにも書きましたが、プロではありません。
それほど数多くの映画を観ているわけでもありません。
イーストウッドで言えば、観ていない映画のほうが多いはずです。
ですが、映画の観客は僕のようなずぶの素人が大半です。
映画という表現媒体は、広く見せることによって成り立っています。
そういうずぶの素人が、映画について語ってはいけないという法はないでしょう。

足りないところは承知の上で、それでも日本に住んでいる一人の観客として書いているまでです。
もしちゃおさんを不快にしたのなら申し訳ありません。
僕にはそんな意図は全くありません。

普遍的で、絶対的な意見として書いているように印象を持たれたのかもしれませんが、それは単なるレトリックです。
客観性を持たせるための文章上の技術だと思ってください。

どんな悪文、的外れの文章でも僕は書くことはやめませんので、不快にならないためにも今後は読まないことをお勧めします。

>もっと深い意味があの映画には隠されてます。

たぶん僕にはちょっと気づけないと思いますので、できれば解説してください。
僕の意見は絶対ではありません。
単なる一個人の意見ですから、どんどん違う意見を書いてくださって結構です。

そもそも、このブログは、他人の映画の読みの主観性を肯定するとともに、発見するために立ち上げたものです。
自分がいかにいい加減な読みをしているかを知るというのが僕個人の動機でもあります。
映画は知識を要する表現媒体でありながらも、多様な読みを許容する表現媒体でもあると考えています。
それは文章でも同じでしょうが。

ですので、もっとおもしろい読解があるならどんどん提示していただきたいと考えています。
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お久しぶり (ちゃお)
2009-05-03 00:32:01
マジ震えます。相変わらずの素晴らしいご意見。くわっぱっ!!
この映画では子供は確実に死んでます。100%確実に。多分わかってないですね。ベンジャミンに続き不快です。お願いだから新しいイーストウッドの奴には批評しないで下さい。他の映画じゃない映画の批評は自由ですから、もしイーストウッドの批評するならあなたの批評を僕が批評します。ちなみにチェンジリングは警察機構とか母親のなんたらは観れば誰でも気付く一次元的なテーマに過ぎませんのでそれを解説されても・・もっと深い意味があの映画には隠されてます。ヒントは母親の職業。父親の蒸発。警官の嘘。偽の子供の未来の運命。帰ってきた子供の過去。殺人犯の現在。そして母親の罪。さぁ真実を見つけて下さい
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