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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ジュラシック・ワールド 炎の王国(V・吹)

2022-02-10 07:02:15 | 映画(さ)
評価点:53点/2018年/アメリカ/128分

監督:J・A・バヨナ

テーマパーク化する世界。

前作「ジュラシック・ワールド」が破綻して3年後、放置されたイスラ・ヌブラル島は再び注目を浴びていた。
それは島の火山が活発になり、噴火が秒読み段階になっている、ということだった。
しかし当局はこの人工的に生み出された恐竜たちを、再び人為的に救うことに難色を示していた。
貴重な恐竜たちを救おうと動いていた、DPGと名乗る団体の管理者クレア(ブライス・ダラス・ハワード)の元にロックウッド財団がサポートすることを申し出る。
ただし、その条件は特に貴重な11種の恐竜を優先して隔離された外部の島に運ぶ、ということだった。
その中にはブルーが含まれていた。
そして再びオーウェン(クリス・プラット)に協力を依頼するのだが……。

私の思い入れの強い「ジュラシック・パーク」の世界観を引き継いだ新シリーズ「ワールド」の続編。
大阪に住んでいるとUSJの人気アトラクションの一つがこれなので、映画よりもこちらのほうが話題になることが多い。
むしろ映画を見ていない人のほうが多いくらいだろう。

とはいえ、今回は様々な理由から子どもと二人で吹き替え版を見た。
前作でも吹き替え版が酷い、という話を聞いていたが、子どもとみる以上選択肢はなかった。
なぜ声優の本職を起用しないのか、一向に理解できないが(玉木宏が声優をしているから見に行こうという観客はほぼいないだろう)、それは私の関与するところではないので口をつぐんでおこう。

ま、どんな声優であろうが、映画の出来が左右されるほどの作品ではないけれども。


▼以下はネタバレあり▼

タイトル「ワールド」になっているのは、これを見越してのことだったのだろう、というラストになっている。
閉じられた世界であったはずの「パーク」が破綻してしまったことで、世界が恐竜と共存するという大きなサーガを担っている、続編となった。
この展開はとてもおもしろく、興味深い。
それは原作者のマイクル・クライトンの考えに通じるところがあるだろう。
数学者マルカムを最初と最後に登場させたのも、「パーク」との関連性を印象づけたかったものと見える。
夏に公開予定の「ドミニオン」にどのようにつなげるのか、子どもは楽しみにしていた。

映画としての面白さはそこ以外にはなく、徹頭徹尾、恐竜へのリスペクトは感じられない。
結局物語全体が蓋然性を無視した展開になっていて、軽薄な作品になりさがっている。
USJは映画をモティーフにしたアトラクションだが、この「炎の王国」はアトラクションをモティーフにした映画という出来になっている。
もちろん、アトラクションを軽視するつもりはない。
しかし喩えるなら、オレンジに似せた清涼飲料水を飲んでいた人が、そのドリンクからオレンジを再現しようとしているようなものだ。
そこにはオレンジそのものはない。
オレンジになる要素はどこにも生まれるはずがない、というようなものだ。
だからこれは、物語を伴う映画ではなく、単なるジェットコースーターにすぎない。

この映画の最もおもしろくない点は、前作と同じで恐竜に対する畏怖が全くない、という点だ。
あるのは「恐竜は人間にとって恐ろしい動物である」という恐怖の点だけだ。
物語終盤、オークションでの買い手の眼差しがすべてを物語っている。
人々は恐竜を畏怖の対象として見ているのではなく、商品として見ている。
それは、そっくりそのまま観客の眼差しを投影したものであると言える。
私たちはこの作品を、恐怖の対象がどのように私たちの身に迫ってくるかということを追求した物語として体験させられる。
それは、私たち観客の欲求にあるのではない。
そういうふうに見るように、制作者たちが私たちに要求するのだ。
映画体験とはそういうものだ。

恐竜に対して純粋な愛着や畏怖を持っている人物は、孫娘とされるメイジーだけだ。
そして皮肉なのは、彼女もまた作られたクローンであるということだ。
この映画に登場する人物たちは、徹頭徹尾人間という手に作られた作り物しかいない。

オーウェンは、ブルーを育てた自然の恐怖を知っている人物のように見える。
だが、手なずけてしまったという点で既に彼は「恐竜を管理下に置くことができる」という体現者だ。
前作で「俺たちはリスペクトし合っている」という台詞がどこまでも薄っぺらいのは、結局自分の言いなりにして獲物を襲わせるからだ。
そこには恐竜本来にあるはずの野生性は剥奪されて、物語の都合の良いように振る舞う「登場人物」になってしまう。

クレアも同じだ。
彼女の内面がどのように心変わりしたのか描かれないところから始まる本作は、ほとんど無色透明なキャラクターしか与えられていない。
前作のあれだけの出来事で心が崩壊してしまったのだろうが、それなら前作との心変わりを台詞の中で入れておくべきだった。
「恐竜をなめたらだめよ、私も経験あるわ」みたいな台詞を何度か入れておくだけで、連続性を保てたかもしれない。
けれども、そんなこともないので、ほとんど別人として見る以外にないくらい、薄っぺらい。

もちろん、映画なのだからどんな展開も制作者の手の内にあるは当たり前だ。
だが、だからこそ、「この展開はどうしようもない」という見せ方をしなければ白けてしまうのだ。
その最たるものが、恐竜が野生の環境で動いている場面が、本作でほとんど登場しないという点だろう。
もっとはっきり言えば、島に訪れてから噴火までが早すぎる。
予算や上映時間の関係があるのはわかるが、これでは不自然極まりない。
セキュリティの再起動、ブルーの発見、ブルーの捕獲、財団の裏切り、島の噴火があまりにも連続的に起こりすぎる。
しかも大半の恐竜を捕獲し終わっている。
それならセキュリティの再起動くらい、クレアがいなくてもできただろうし、GPSさえ復活できればオーウェンの応援も必要ない。
無理に異物となるDPGなる人間を4人も連れて行く必要などなかったはずだ。
(ブルーがケガをしたのは結果論だが、そもそも恐竜を捕獲するのに他の獣医は連れて行かないのか?
システムエンジニアの子はそもそもワールドで働いていた人でもない。
これくらいの者なら財団が人員を確保すべき)

この序盤の展開があまりにもご都合主義的で、蓋然性がない。
館に連れてこられたらどうしても殺戮マシーンにせざるをえないのだから、ここをもっと丁寧に描いておく必要があっただろう。
私はあまりにも展開が早くて夢か何かかと疑ったくらいだ。
だってタイトルが「炎の王国」なんだもの。
どこに炎があったのか、「炎上の王国」と改題すべきだ。

もちろん映画としての見せ方は前作よりもずっと練られている。
館での展開も、アクション映画として非常に出来が良い。
だからこそ、「あ、この展開のためのあの設定か」というようなご都合主義、一直線のアトラクションを見せられているような迷いのなさが誇張される。

展開や、メイジーの設定や、おもしろい点は多々ある。
工夫次第では、傑作になりえたのに、と思うと本当に残念だ。
ま、これくらいの脳天気映画がこの世に存在することを否定はしない。
私は「ジュラシック・パーク」が好きだから、という編み目の細かいフィルターがあるためにこう感じるのかもしれない。

子どもは隣で、「あ、これ○○サウルスや、いやでも○○やったらここに突起があるはずやねんけどなあ」と無駄な知識を披露してくれたおかげで恐竜にすこし詳しくなった。



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