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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

シビル・ウォー キャプテン・アメリカ(V)

2022-02-14 20:17:42 | 映画(さ)
評価点:82点/2016年/アメリカ/148分

監督:ルッソ兄弟

否応なく市民を巻き込む、ヒーローの悲哀と矛盾。

ウルトロン」の闘い以降、アベンジャーズの闘いは民衆を巻き込んだものになっていた。
民衆は得体の知れない危険から見に守ってくれるヒーローというよりは、やみくもに民衆を巻き込み戦闘を繰り広げる危険因子そのもののように捉え始めていた。
そんなおり、アフリカでテロを未然に防ごうとして、犯人の自爆を防げなかったキャプテン・アメリカことスティーブ・ロジャース(クリス・エヴァンス)らに対していよいよ国連が、アベンジャーズの権限を国連に委譲するようにソコヴィア協定を提案する。
個人の活動での限界を感じていたアイアンマンことトニー・スターク(ロバート・ダウニー・Jr)はその協定にサインするように勧めるが、ヒーローたちにしか知り得ない脅威に対応できなくなると危惧するロジャースはサインを拒む。
しかし、その調印式で今度はブラックパンサーの父がテロによって殺される。
その首謀者として名前が挙がったのは、かつてのキャプテン・アメリカの親友バッキー(セバスチャン・スタン)だった。


「キャプテン・アメリカ」三部作の最終作にあたる。
私は前作ふたつとも見ていない。
本来なら「キャプテン・アメリカ」の三部作の最初から見るべきだったが、時間がないのでしかたがない。

上のストーリーを書いていてややこしいと感じたが、これだけ入り組んだ話は冒頭に過ぎない。
複雑な話をシンプルにテンポ良く見せているので、苦にはならないだろう。
ストーリーとしては「アベンジャーズ エイジ・オブ・ウルトロン」の後、「スパイダーマン:ホーム・カミング」の前に当たる。たぶん。
私はそのあたりが詳しくないので、他のサイトを参考にするといい……。

この映画に対する私のモティベーションは、「スパイダーマン」のMCUに参加した最初の作品を見ておきたかったからだ。
このあと「インフィニティー・ウォー」を見直そうと思っている。
また、この作品は前評判からかなり評価が高く、話題になっていたものの、見逃していたからでもある。

「ウルトロン」では正直MCUの限界を感じていたが、見事に盛り返したのがこの作品だろう。
ルッソ監督の手腕、そして映画として完結しながら他の映画に影響を与える、という世界観をもたらした記念碑的な作品と言える。
(全部見ていないので、詳しくは知らないけれども)


▼以下はネタバレあり▼

ヒーローたちが仲違いをする、というのは次の作品「インフィニティー」に描かれていたので知っていた。
だが、どういう経緯で、誰と誰が、なぜ仲違いするのかは知らなかった。
その物語が本作の部分にあたる。

敵がいなくなった世界は、この、MCUでも現代でも同じことだろう。
テロとの戦いが叫ばれているが、2010年前後以降世界(ことにアメリカ)は戦うべき相手を見失ってしまった。
それはいいことなのかもしれないが、不安がそれで拭い去れていないということが余計に不安を誘っている。
イラクもイランも、アフガニスタンもISも、だれが敵で誰が味方なのか、信じられなくなっている。
自国にもテロリストはいる。
人種も宗教も、肌の色でも敵を見分けることができない。

そういう世相を反映したのが、この作品である。
明確な敵がいなくなった世界で、世論はヒーローに対する扱いを持て余していた。
ヒーローが戦えば戦場となり、戦場になった街は徹底的に破壊された。
それはなぜなのか、だれがなのか、いつどこでなのかもわからない。
十分な説明もされないまま、いきなり戦場となっていったわけだ。

ヒーロー視点の闘いが、一気に民衆視点に引き戻された。
そしてソコヴィア協定が必要になる。
要するに、アベンジャーズの権限を国連の管理下に置く、ということだ。

おもしろいのは、その協定に対して反発し合うのが、かつては朋友とも言える者たちであることだ。
アイアンマンとキャプテン・アメリカ、ホークアイとブラック・ウィドウ、ヴィジョンとワンダなど仲が良かった者同士が考えを違えて反発し合う。

私はその設定を知ったときには「ああどうせ新しい敵を設定できなかったから無理くり喧嘩させたのね」と思っていた。
それは、物語の後半で共通の強力な敵が現れて「やっぱり手を組もう」となることが目に見えていたからだ。
ゴジラ対コング」みたいなものだ。

だが、この作品はアイアンマンと、Cアメリカが何度も歩み寄れるタイミングがありながら、ラストでも両者が対立したままである、という点がすごい。
そして二人ともに、共通点がありながら、譲れない点を持っているということで、しかもそれが両者に感情移入できるようにシナリオが作られている。
そら、大絶賛である。

真の敵は、その仲違いを引き起こしたジモという男である。
彼の電話には留守電が何度も入る。
妻と子どもを残して、ヒーローに闘いを挑む凶悪なテロリストのように描かれる。
だが、実はその留守電はもう会うことができなくなった「遺言」だったことが明かされる。
恐らくヴィラン史上最も弱く、最も「武器を持たない」者が、このジモ(ダニエル・ブリューエル)であろう。

彼がしきりに気にしていたのは、Cアメリカの親友バッキーが行った凶行だった。
それはトニーの父を殺したまさにその現場の記録であり、バッキー、トニーそしてCアメリカの三つどもえを引き起こすためのトリガーだった。
父の復讐から判断できなくなったトニー、洗脳によって凶行を侵した自己不信の塊であるバッキー、両者の思いを知るスティーブ。
何が正しいのか、何が間違っているのか、決めきることができない三つどもえが繰り広げられる。
ここに安易な結論を用意しないこと、それがまさに現代のアメリカの立ち位置を象徴している。

アクション映画を超えた、SF映画としての地位を確立している。
そういう大きな流れを、それぞれのキャラクターを立たせながら描いている。
展開に必然性を感じるし、それでいて整理されている。
冒頭にも書いたが、これだけ複雑な人間関係を、しっかりとわかりやすく描くのは並大抵ではない。
特にやたらとヒーローが増えたこの状況で、割ける時間は限られている。
少ない台詞やカットでわかりやすく対立を描きつつアクションの見せ場を作る。
こういう仕事は素人には成し遂げられない。
この流れは当然「インフィニティー」にも、「エンドゲーム」そして「ノー・ウェイ・ホーム」にも繋がっていく。
激アツの展開である。

そしてこれらのMCUに共通していることは、復讐をモティベーションにした闘いを超克するべきであるというメッセージが込められている。
トニーがバッキーに向けた怒りの拳は、たしかに心情的には理解できる。
だが、それが何かを解決したり前に進めたりする力はない。
「アベンジャーズ」という復讐者たちの闘いを描いたMCUだが、それさえも超えていかねばならないというメッセージがある。
それはそのままアメリカという国のあり方を示唆するものだ。

テロや侵略に対して「復讐する」という立場を冷戦以降貫いてきた。
しかし、「やられたからやりかえす」「罰を与える」という発想では敵はなくならない。
ノー・ウェイ・ホーム」を見た後だからこそ、その意味を余計に意識してしまうのかもしれない。
しかし次のストレンジの新作「マルチバース・オブ・マッドネス」でもストレンジの内面(もう一人の自分)との闘いが示唆されている。

MCUからしばらく目が離せそうにない。

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