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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

「格差」の本質

2019-02-03 11:33:19 | 毎日コラム
全然毎日じゃない、毎日コラムです。
今回のテーマは、格差です。

***

どんな業界でも「格差」という観点を外すことができなくなってきている現代。
特に今世紀に入って、格差という観点は私たちを支配的に縛っていいる。
何かあれば、格差が広がったという形で使われている。
そのパースペクティブは、すでに流行と言うよりは確固たるものとして、定着してしまった。

教育、収入、意識、美醜、貧富……すべてが二極化しているように感じられる。
これも、おそらく資本主義の本質の一つに、大きなピラミッドを形成していくように仕組まれていることが背景にあるのだろう。

それはともかく、私はこの格差は、「面倒くささ」に勝てるだけの主体性があるかどうかという点によって決まっていくような気がしている。
どんなことも「面倒だ」と投げ出してしまう者は少しずつではあれ、平均より下に行くことになり、「面倒くささ」を面倒だと思わない主体性が、少しずつ上に押し上げていく。
食事も、仕事も、人間関係も、スマホとの関わり方も、趣味も、家事も、育児も、全てが「面倒なこと」とどう向き合うのかで決まっていくのだと思う。

私たちはとても便利な生活を手に入れた。
家事だけで考えても、ずいぶんと「暇」になったはずだ。
家電や家具は驚くほどの進化を遂げている。
もちろん、だから主婦は楽をしているのだというような短絡的なことを言いたいわけではない。

私たちはきっと暇で暇で仕方がないのだと思う。
忙しそうにしているが、ほんとうにやらなければならないことは実はとても減っているはずだ。
しかし、その「暇」さに安住する人と、さらに何かを探そうとする主体性をもつ人との差は、だからこそ開いていく。
わずらわしさから解放されたことで、逆説的にわずらわしさをわずらわしいと思わない人間こそが、格差の上位に上っていく。
だが、これは言うほど簡単ではない。

頭で分かっていてもできない。
頭で分かっているからこそ苦しむ。
理想と現実の格差こそが、この格差の本質なのである。

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