息子が生まれて、母親である妻は饒舌になったように思う。
もともと子どもがいなくてもお互い話をしていたつもりだったが、息子が生まれてからはもっと話をしていると思う。
特に話をしていた時期は子どもが生まれてすぐのころだ。
その頃ちょうどSNSや育児ブログでの記事がよく目につく時期だった。
こういうことを書いて叩かれた、炎上した、というような記事だった。
自分に子どもがなければそういう情報は気になならなかったのだろうが、生まれてからはよく耳に入ってるようになってきた。
なるほど、だから育児ブログはなくならないのだと納得した。
育児ほど不安なものはない。
不安だから何らかの形で誰かと共有したいと思う。
いや共有しなければ育児なんてやってられないと言っていいほどだ。
なぜこんなに不安になるのだろう。
それは結果がすぐに出ないからだろう。
もちろん当たり前だ。
けれども、何もできない子どもと向き合う時間がながければ長いほど、その結果が知りたくなる。
本当に自分がやっていることは正しいのか、ということについて、解答がほしくなる。
けれども、子どもは簡単に笑ってくれない。
いや、笑ってもそれは答えではない。
だから、自分が置いてけぼりになった気になるのだ。
それは、仕事と大きく異なる部分だと思う。
どんな仕事であれある程度手応えがあるものだ。
しんどくても同僚や同志がその悩みを共有してくれるものだ。
時には愚痴で自分をごまかしたりもできる。
だが、育児はそれができない。
父親と母親が同じように悩んでも、出口は見えない。
だから、同じように育児で悩んでいる人と共有したくなる。
私はもっとその不安そのものを共有できる社会になればいいと思う。
もともと子どもがいなくてもお互い話をしていたつもりだったが、息子が生まれてからはもっと話をしていると思う。
特に話をしていた時期は子どもが生まれてすぐのころだ。
その頃ちょうどSNSや育児ブログでの記事がよく目につく時期だった。
こういうことを書いて叩かれた、炎上した、というような記事だった。
自分に子どもがなければそういう情報は気になならなかったのだろうが、生まれてからはよく耳に入ってるようになってきた。
なるほど、だから育児ブログはなくならないのだと納得した。
育児ほど不安なものはない。
不安だから何らかの形で誰かと共有したいと思う。
いや共有しなければ育児なんてやってられないと言っていいほどだ。
なぜこんなに不安になるのだろう。
それは結果がすぐに出ないからだろう。
もちろん当たり前だ。
けれども、何もできない子どもと向き合う時間がながければ長いほど、その結果が知りたくなる。
本当に自分がやっていることは正しいのか、ということについて、解答がほしくなる。
けれども、子どもは簡単に笑ってくれない。
いや、笑ってもそれは答えではない。
だから、自分が置いてけぼりになった気になるのだ。
それは、仕事と大きく異なる部分だと思う。
どんな仕事であれある程度手応えがあるものだ。
しんどくても同僚や同志がその悩みを共有してくれるものだ。
時には愚痴で自分をごまかしたりもできる。
だが、育児はそれができない。
父親と母親が同じように悩んでも、出口は見えない。
だから、同じように育児で悩んでいる人と共有したくなる。
私はもっとその不安そのものを共有できる社会になればいいと思う。
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