secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

フォーン・ブース

2008-06-08 10:43:36 | 映画(は)
評価点:72点/2003年/アメリカ

監督:ジョエル・シューマーカー

目の前の公衆電話が突然鳴ったら。。。

宣伝マンのスチュ(コリン・ファレル)は、アシスタントの携帯電話と自分のと二台の電話を駆使して芸能人を世間に売り込む。
彼は、8番街の53丁目にある最後の公衆電話(フォーンブース)を使って、売れない女優、パム(ケイティ・ホームズ)を食事に誘おうとしていた。
ある日、いつものようにパムに電話をしようと、電話ボックスに入ろうとしたところ、ピザの配達人の男が、彼にピザを届けにきた。
見覚えのないピザを届けにきた男を冷たくあしらう。
電話を終えると、いきなりその公衆電話が鳴なる。
思わず電話を撮ると、その相手は全く知らない男だった。

何かと話題の俳優、コリン・ファレルの主演映画。
この映画は、くしくも僕が前の日にビデオで見た「スナイパー」という映画と同様、
いきなり事件が始まり、そしてひとつの事件がそのまま一本の映画を形成している。
「スナイパー」では、ホットドッグの屋台の広場が事件の舞台となったのに対して、
本作では、全編の殆んどのシーンが電話ボックス周辺で起こる。
やはり、情報不足のサスペンデッドな状態で事件が発生し、
観客は事件の前提となっている状況と、その事件の展開を緊張感を持って追うことになる。

有名になった「24」の走りのような映画だ。
「24」好きなら、きっと楽しめるだろう。

▼以下はネタバレあり▼

こうした展開では、緊張感の持続が最大のテーマになる。
その意味で、81分という短い映画になったのは必然的であり、制作者としての戦略は正しいといえるだろう。
あまりに長い間、観客をひとつの事件にひきつけ続けるのは非常に難しく、長ければ長いほど、その負担は大きくなる。

この映画の欠落した情報は、犯人は誰か、ということと、その目的は何か。
この二つである。
しかし、数分のシーンでしか人物像が掴めない、コリンのスチュという人物もまた謎であり、彼の人物像もまた欠落した情報だといえる。
この映画の上手い点は、この犯人の目的が殆んど最後までわからないということだ。
これによって、完全にスチュに感情移入して物語を追うことができる。
王道といえば王道なのだが、この圧倒的な不安状態に置いたことは重要である。
この視点人物の明確化により、緊張の持続を可能にしている。

この映画の展開を大きく分けると、三つに分かれるだろう。
ひとつは野次馬のレオンという男が殺されるまで。
二つ目は、警察が包囲したあと、天井に銃が仕込まれていることを男が明かすまで。
そして最後は、そのがけっぷち状態から、事件解決まで。

レオンというチンピラ風の男が殺され、警察が包囲するまで、スチュ(と同時に勿論観客も)は、事態をかなり甘く見ている。
電話の男とのやりとりは、非常に「内輪」ごとであり、ライフルで狙っているとしても、男がどれだけ本気かまだ掴めない。
また、スチュにとっての問題は、電話の男とのやりとりと、電話ボックスをはやくわせろと言う娼婦だけに絞られる。

しかし、見ず知らずの男を「イエス」といっただけで躊躇なく撃ち殺した男の異常性に緊張感が倍増する。
しかも相手の動機は一向にわからない。
このどうしようもない不安により、事件は一気に重大化する。
そして警察が包囲し、犯人とされてしまったことで、事件は複雑化するのである。

次に、銃が天井に隠されていたという事実の発覚。
その前に妻とレイミー警部が狙われるという事態に陥るが、それは大きな展開の起伏にはならない。
それよりもむしろ、銃が天井に隠されているという事実は、運良く助かったとしても「逮捕されてしまう」という事実であるからだ。
それまでは、誰が死んだとしても、何らかの形で事件が解決されれば、事件の真相が明らかになりうるという楽観が可能であった。
しかし、銃が隠されていたということは、事態をさらに難しくさせる。
また、同時にその用意の周到さを知り、ある種の希望までも失わせるのである。
さらに男は、自殺か、妻とパムのどちらかを選べという「選択」を強いる。
ここから一気に緊張感が膨らみ、事件解決、となる。

結末は、非常にありきたりである。
ピザ配達人が殺されているという時点で、犯人が別にいることは明らかだ。
映画の展開上、ピザ配達人が犯人であることは考えにくい。
「あのピザ配達人に対しても、人を見下した態度だった」という男の発言もあるし、
男が自殺する理由が殆んどないこともある。
そもそも、男の声は、ピザ配達人の声とは全く違う。
(けれど、その前にみた「スナイパー」のことが頭によぎり、それもあるかも、とちらっと思ってしまったが。)

結末のありきたりさを考えても、この映画のつくりは非常に丁寧だ。
小さくまとまっていて、その分、目だった粗もない。
しかし、最後まで電話の男が「強すぎる」と思ったのは僕だけだろうか。
強者を装う、人間の心内をどんどん吐露させるわりには、殆んど神のような彼は、映画としての一貫性を失わせている。
男を無駄に執拗にいじめるヤツというのは、ちょっと気持ち悪い。
正義を振りかざしている分、彼の異常性がどうも・・・

全体的に「スナイパー」に似ている。
前の晩に観たということを考慮しても、何から何まで良く似ている。
「スナイパー」を観ていない人は、この先を読まないほうがいいが、例えば、男の動機。
標的に自分の悪事を告白させるという動機は、共通している。
また、ライフルで狙うという手口、電話で話すという形態、
ある一定の場所で標的の自由を奪うという規制、
「犯人」が自殺するという決着、標的は何か秘密を持っているという設定、
などなど、かなりの部分共通している。
しかし、この映画があとに発表されたにしても、犯人に視点を置かなかったことが、完成度のたかさを左右したように思う。
勿論、「スナイパー」のほうは、犯人に視点がなければ成り立たないのだが、緊張の持続という意味では、一人の視点人物でよかった。

あからさまに低予算という印象はあるにせよ、面白い映画だと思う。

(2003/11/23執筆)

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