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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

タイム・ライン

2008-09-28 19:30:40 | 映画(た)
評価点:59点/2003年/アメリカ

監督:リチャード・ドナー

「ジュラシック・パーク」で有名なマイクル・クライトンの原作の映画化。

考古学者のジョンストン教授(ビリー・コノミー)は、企業のITCから資金提供と遺跡の場所などの情報提供を受けていた。
その情報があまりに正確なため、不思議に思った教授は、ITCに向かった。
一方、その発掘現場で、学者のケイト(フランシス・オコナー)が奇妙なものを発見する。
ジョンストン教授の遠近両用の眼鏡と、彼の署名が入った手紙である。
「助けてくれ」と書かれた手紙をみたアンドレ・マレク(ジェラルド・バトラー)とケイト、そして教授の息子・クリス(ポール・ウォーカー)は、真相を確かめるべくITCの研究所を訪れる。
彼らの説明によれば、教授は1357年の過去にタイム・トラベルし、帰ってこれなくなったという。
そこで、中世に詳しい彼らがタイム・トラベルし、教授を連れ戻してほしいと依頼される。

この原作「タイム・ライン」は2000年に日本で出版された。
僕はマイクル・クライトンがわりに好きなのでハード・カバーで買って読んだ。
その時の帯には確か、「今冬劇場公開!」と書いてあった。
映画を観ようと思って読んだので、おおかた3年待たされたわけだ。
そうなると完成度に疑問を持ちつつも、観にいかないわけにはいかない。
これだけ時間があくと、どうしても原作を忘れてしまっている部分がある。
だから、逆に原作と比べるというような観方はしなかったと思う。
特に科学的な設定や説明は、殆んど忘れてしまっている。
もし、この映画を観て「よくわからなかった」と思う人がいれば、原作を読んでみればいいと思う。
しっかりとした専門的な知識をもとに書かれているので、勉強になる(実際にはフィクションの要素が含まれているのでその点は要注意だが)。

▼以下はネタバレあり▼

この映画は正直、期待していなかった。
中世という時代を映像化することは難しいと思ったし、マイクル・クライトンの原作を読んだ後では映画の方は色あせると思ったからだ。
実際、彼の原作の映画化は、あたりはずれが大きい。
そして、キャストを見れば、その力の入れようが判る。
明らかに低予算である。
原作を読んでいなければまず観にいかなかっただろう。
これだけ待たされると、行かざるを得ないという感じである。

映画を観終わった感想としては、意外とまとまっていたな、である。
もっとむちゃくちゃになるのかと思ったが、意外としっかり作られていた印象を受けた。
よくも悪くも小さくコンパクトにまとめました、という印象だ。
おそらく、製作者側の意図としては、「ストーリーの起伏を重視したエンターテイメント性溢れる映画」を撮りたかったのだろう。
それは商業的な側面の強い映画製作としては当然であろう。
だから、原作を知らなくてもストーリーの筋は追えるし、それなりに楽しめるとは思う。

しかし、原作を知る者としては、どうしても納得いかない部分が残るのも事実だ。
また、原作を知らない人にとっても、違和感が残るところはあったと思う。
マイクル・クライトンは「ジュラシック・パーク」に代表されるように、科学的な事実や説明をモティーフにして、そこに人間の感動や夢を抱かせながら物語を作る。
だから、人間ドラマだけではない説得力と、無味乾燥な科学的知識の羅列に終わらない感動があるのである。

この映画はそれがない。
この二つともを捨ててしまってストーリーの起伏のみに終始してしまった。
それが納得できない原因であり、違和感の原因だろう。
「ジュラシック・パーク」については、また、稿を改めて書きたいとは思うが、「パーク」の成功は、その二つを上手く筋として見せたことだ。
「2」以降でそれが失われてしまったために僕としては不服なのだが、一作目では「カオス理論」と「遺伝子工学」という、二つの科学的、数学的設定を持たせたために、妙に説得力があった。

しかし、この「タイム・ライン」では、原作の設定が全く描かれないために、なぜタイムトラベルしたのか、なぜ書き換えられた過去が未来(現在)に影響しないのか、などといった疑問が沸いてくるのだ。
量子コンピューターという単語についてもほとんど説明がない。
「量子コンピューター」と「多宇宙」、これが原作では肝になっていた。
だからタイム・トラベルができない、と証明されてしまった現在においてもそのロマンを抱くことができたのだ。
映画においてもこれははずすことができなかったのではないか。
時間旅行に対して憧れ、現実的な可能性を見いだす、それこそこの作品の、他とは違う面白さだったはずなのに。
時間旅行は一つの夢だと思う。
その夢をかなえてくれるのが映画であり小説であると思う。
その点を全く捨て去ってしまって、教授を助ける、中世で冒険を繰り広げる、ではタイム・トラベルした意味がない。
もちろん専門的な説明をすればそれだけ観客に負担を強いることになる。
しかし、どうしてもそれは必要だったのではないか、と思われて仕方がない。
ザ・ワン」のほうが、まだ多宇宙の説明があったというのは、悲しい。

それはキャラクター設定についても言える。
ドニガーについての設定が甘いために、薄っぺらな人間になってしまっている。
なぜ中世にトラベルしたのかというドニガーの野望が描かれていない。
ドニガーの野望が描かれていなければ、あれだけの人間を何度も転移させた理由がつかみにくくなる。
原因を探るために中世に何度も転移させるというのはあまりに無謀で、あまりに無計画である。
彼の設定が薄すぎるために、最後に殺してしまうという展開にも短絡性をみてしまう。
(ちなみドニガーとゴードンの設定や、フランソワの設定などは、原作とは微妙に異なっている。)

他のキャラクターについても希薄である。
映画の上映時間を考えると仕方がないが、それでももっときちんと描かないと、感情移入しにくいし、展開が作り手側に「引っ張られている」という印象を与えてしまう。

全体的に展開が速すぎる。
だからトラベルしたことに対しての大きな感動を得ることが出来ない。
なぜ考古学教授たちが主人公なのか。
それは過去を追い続けていた、過去を渇望している人たちだからだ。
ならばもっと彼らの願望や憧れをきちんと描き、彼らの感動に同化させる必要があった。
それで初めて、人類の「夢」がかなうのだ。

予算がないのもわかるし、映画という制約もわかる。
しかし、もっと頑張ってほしかったと思ってしまう。

ちなみに、原作の「タイム・ライン」。
映画で興味がわいたなら読んでみてもいいと思うが、マイクル・クライトン原作の中ではあまり面白くない方だと思う。
正直、原作でも「筋」重視なところが否めない。
でも科学に興味がある人なら、面白いと思うだろうと思う。

(2004/2/23執筆)

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