評価点:73点/2001年/アメリカ
監督:ピーター・ジャクソン
偉大なる三部作の、第一作目。これでこのシリーズの観客がかなり減ったはず。
ある一人のホビットは、昔手に入れた魔法の指輪をはめると姿が消えることを知っていた。
自分の誕生日の祝宴の時、彼は、隠居するために皆の前で指輪をはめた。
姿が消えたことで周囲は驚いたが、この指輪には姿が消えるという以外に、もっと大きな意味が隠されていた。
指輪を託された息子のフロド(イライジャ・ウッド)は、ストライダーと呼ばれる人間(ヴィゴ・モーテンセン)とともに、指輪を闇に葬る旅に出る。
▼以下はネタバレあり▼
原作(当時は「旅の仲間」まで)を読んで見に行った。
アカデミー賞に十数部門ノミネートされたにもかかわらず、ことごとく逃した理由が理解できた。
これはわからない。
原作を知らない者に見せるのはかなり酷だと思う。
原作を読んでいてもその世界観や民族同士の歴史の深さに舌を巻く。
その上に成り立っている物語なだけに、ストーリー構成や台詞に注目してみていた。
が、これはおそらく原作と映画を両方見て、初めて完成されるようなものになっている。
設定をわかりやすく見せるためと、観客回転率を上げるためとのせめぎ合いだったと思う。
だからこれが限界だったといえばそうなのかもしれないけどそれでもやはりきつい。
映像や音楽、世界観共にいい出来だとは思う。それでもやはりきつい。
そして最大の欠点は「話が完結しない」ということだ。
これではもう評価の仕様がない。
次にどうなるのかという気持ちしか起こらない。
それに第一部の話の中では見せ場が少ない。
だから余計に三時間が長く感じてしまうし、次までの「プロローグ」だという印象になる。
エンターテイメントとしては非常にいい作品。
でも映画としてはやはり完結性と簡潔性に欠けると思う。
最後に。
レトリックとして「光のようにまぶしく輝いていました」をそのまま本当に光り輝くように映像化するとは。。。
訳者、すごい訳していたんですね、「ストライダー」の訳を「馳夫(はせお)」って。
映画の字幕の戸田奈津子さんの苦労を察したよ。
(2002/03/31執筆)
その後得た知識だが、この訳者は瀬田貞二という日本の児童文学の権威者の一人だそうで。
だから、新訳を出しにくいという経緯もあるようだ。
未だにそんな文壇の権威を発揮して、子どもたちがこの物語を読まずに、映画のみで教授してしまうのは、瀬田の意図するところではない気がするのだが、どうだろう。
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」も、「カラマーゾフ」も新訳されたし、そろそろいいじゃないだろうか。
監督:ピーター・ジャクソン
偉大なる三部作の、第一作目。これでこのシリーズの観客がかなり減ったはず。
ある一人のホビットは、昔手に入れた魔法の指輪をはめると姿が消えることを知っていた。
自分の誕生日の祝宴の時、彼は、隠居するために皆の前で指輪をはめた。
姿が消えたことで周囲は驚いたが、この指輪には姿が消えるという以外に、もっと大きな意味が隠されていた。
指輪を託された息子のフロド(イライジャ・ウッド)は、ストライダーと呼ばれる人間(ヴィゴ・モーテンセン)とともに、指輪を闇に葬る旅に出る。
▼以下はネタバレあり▼
原作(当時は「旅の仲間」まで)を読んで見に行った。
アカデミー賞に十数部門ノミネートされたにもかかわらず、ことごとく逃した理由が理解できた。
これはわからない。
原作を知らない者に見せるのはかなり酷だと思う。
原作を読んでいてもその世界観や民族同士の歴史の深さに舌を巻く。
その上に成り立っている物語なだけに、ストーリー構成や台詞に注目してみていた。
が、これはおそらく原作と映画を両方見て、初めて完成されるようなものになっている。
設定をわかりやすく見せるためと、観客回転率を上げるためとのせめぎ合いだったと思う。
だからこれが限界だったといえばそうなのかもしれないけどそれでもやはりきつい。
映像や音楽、世界観共にいい出来だとは思う。それでもやはりきつい。
そして最大の欠点は「話が完結しない」ということだ。
これではもう評価の仕様がない。
次にどうなるのかという気持ちしか起こらない。
それに第一部の話の中では見せ場が少ない。
だから余計に三時間が長く感じてしまうし、次までの「プロローグ」だという印象になる。
エンターテイメントとしては非常にいい作品。
でも映画としてはやはり完結性と簡潔性に欠けると思う。
最後に。
レトリックとして「光のようにまぶしく輝いていました」をそのまま本当に光り輝くように映像化するとは。。。
訳者、すごい訳していたんですね、「ストライダー」の訳を「馳夫(はせお)」って。
映画の字幕の戸田奈津子さんの苦労を察したよ。
(2002/03/31執筆)
その後得た知識だが、この訳者は瀬田貞二という日本の児童文学の権威者の一人だそうで。
だから、新訳を出しにくいという経緯もあるようだ。
未だにそんな文壇の権威を発揮して、子どもたちがこの物語を読まずに、映画のみで教授してしまうのは、瀬田の意図するところではない気がするのだが、どうだろう。
「キャッチャー・イン・ザ・ライ」も、「カラマーゾフ」も新訳されたし、そろそろいいじゃないだろうか。
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