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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

T2 トレインスポッティング

2017-04-28 17:50:47 | 映画(た)
評価点:83点/2017年/イギリス/117分

監督:ダニー・ボイル

再会と許しの物語。

あれから20年、レントン(ユアン・マクレガー)は20年ぶりにスコットランドのエディンバラに降り立った。
スパッドは薬物中毒から逃れることができずに、死のうとしていた。
シックボーイ、サイモン()は、若い女ベロニカ()と組んで詐欺まがいのことでお金を集め、売春宿の開業を目指していた。
ベクビー(ロバート・カーライル)は、刑務所からどうにか脱獄しようと画策していた。
レントンが返ってきたことを知ったスパッドは、サイモンと会うように勧めるが……。

ダニー・ボイルを一躍有名にした、あの「トレインスポッティング」の続編である。
同じ脚本、同じ4人のキャストを集めたことで、公開前から話題になっていた。
青春映画の青春が終わって、枯れてしまった4人が、どんな物語を見せるのか。

どれだけ忙しくても見にいかねばなるまい。
たまたま運良く見る機会を得た(熱を出した息子を実家に連れて帰ってくれてフリーになった週末)ので、ラッキーだった。

前作を見なければ、全く価値のない映画でもある。
是非、前作を見て、映画館に向かってほしい。

▼以下はネタバレあり▼

非常にバランスのよいシナリオになっている。
これだけ4人の内面をしっかりとえぐっているのは、本当に神業としか言いようがない。
そして、3人を裏切ったレントンの物語が、やっと「完結」する。
やっぱりダニーは鬼才であり、そして天才でもある。

4人は20年経っても何も変わっていなかった。
金やまともな生活とは縁の無い生き方を、相も変わらずしていたのだ。

レントンは、結婚したが仕事を無くし、離婚の危機に瀕している。
レントンが帰ってきたのは、「凱旋」ではない。
行く当てのない彼は、どこにも行き着くことができなかった先が、故郷だったというだけだ。
彼は故郷に負い目がある。
前作で16000ポンドという大金を独り占めしたという負い目だ。
だからそうとうの覚悟で帰ってくるわけだが、物語のラストで、彼は仲間から許される。

最も彼を恨んでいたベクビーは、彼を恨むことで「救われる」。
象徴的なのは、レントンが帰ってきたことを知った時、彼を追いかけ回すシークエンスだ。
それまで一切反応しなかった下半身が、彼を追いかけ回すことで目覚める。
もちろん、バイアグラのせいだが、このタイミングであのカットを入れたことは、物語としての象徴だ。

ラストで本気の殺し合いを演じるが、もともと彼らには肩を組んで歩くようなほほえましい友情は無かった。
あれこそ、彼らの友情の形だった。
刑務所に連れ戻した3人は、彼が再び恨みをもって出所してくることを期待するだろう。
レントンは許されたのだ。

私はその姿をみて、感動すら覚えた。
彼らはなにも変わっていなかった。
そのことをレントンは確信したからこそ、エディンバラに再び根を下ろすことを決めるのだ。
父親と抱き合ったラストは、そういう意味だ。

スパッドはレントンからの忠告を受けて、「麻薬以外に打ち込める何か」を探す。
ベロニカから才能を見出したスパッドは、自分たちの小説を書くことを決める。
この物語は、スパッドが物語を書くという物語になっている。

最初にチャンスが訪れた。
そして次に裏切りがあった。

彼は過去を振り返ることで、またそれをベクビーらが読むことで、自分たちの20年を思い出し、整理する。
その営みは、「何も変わることのない友情の確認」だった。
怒りとは違う。
単なる裏切りでもない。
哀しみや、どうしようもなかったというやるせなさ、様々な感情を引き起こす。
それは20年という時間の重みだし、人生という重みだろう。

私の親友の定義は、「自分を裏切ってもその人をまだ信用していられる相手」だとずっと考えていた。
彼らの友情とは、まさにそういう4人だ。
悲しくもほほえましいのは、そのためだろう。
ラスト、自室に帰ったレントンは、昔聞いていた音楽に浸り、無限の袋小路の中を突き抜ける。
いつまでも変わらない自分という世界で、疾走感に浸りながらエンドロールを迎える。
おそらくこれから彼はこの故郷で生きていき、変わらないことに紆余曲折しながら、それでもここで生きるのだろう。
それが「レントン」という人間だから。

個にフォーカスしながら、この映画はひどく社会的な視座も持っている。
スコットランドといえば、独立に沸いたことが記憶に新しい。
イギリスから、EUから独立することを議論するのは、それだけ国が逼迫しているからだ。
あの手この手で観光や産業を誘致しようとしているが、街はイマイチぱっとしない。
若者たちは海外に出て行ってしまうか、しがない仕事に就くしかない。
コカインやヘロインにはまってしまうのも無理のない状況だ。
それを、背景として描写しながら、負のスパイラルから抜け出せなかった20年をひっそりと描く。

資本主義社会が行き詰まってしまった今、このような光景は先進国なら珍しくない。

演出の見事さは、さすがと言える。
音楽の使い方、シリアスさとコミカルさの絶妙なさじ加減、テンポの良さ。
映画のお手本のようなスタイリッシュさと、前作で「新しい」と感じさせたはずの観客を、さらに「新しい」と思わせる演出はさすがだ。
実家に帰ったレントンが、父親とレントンとの二人の姿を映しながら、影を使って3人目の母親の存在を感じさせる。
後半もう一度同じカットを使うとき、そこには母親がいる。
こういうような映像の切り取り方は、非常にスタイリッシュで、観客を惹きつける。

私はきっと、この映画のブルーレイを買うだろう。
人生は一筋縄ではいかない。
けれども、そこに友情があれば、人は生きていける。
そんな勇気さえも与えてくれる、退廃的な彼らの生き方は、私の友人として私とともに人生を歩くだろう。



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