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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ターミネーターの「フェイト」

2019-12-12 20:11:47 | 不定期コラム
★ ★ ★

「ターミネーター」シリーズの全ての内容に関わる記事です。
閲覧にはご注意ください。

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ターミネーターの新シリーズが、アメリカでおおこけで、サラ・コナーもびっくりの展開になっているらしい。
日本でもそれほどのヒットだとは聞かないので、おそらくこのままこの企画はフェードアウトするのだろう。
映画館で私も見に行ったが、やはり面白いとはいえない出来だった。

だが、このシリーズを改めて考え直してみると、どう考えても秀作ができそうにない。
T1」や「T2」が奇跡的に傑作だったというだけで、「T3」以降が良い作品になるわけがない。
生みの親であるジェームズ・キャメロンが早々に引き上げたのは、その限界性を理解していたからではないか。
今回プロデューサーとして復帰したが、殆ど関わっていないだろう。

その限界性とは何か。
それを改めてシリーズを通した通時的な観点で考えてみたい。
あまり需要があるとは思えないが、考えてみたい。ぜひ。

1997年に起こるという審判の日。
それによって核戦争が始まり、人類は大半が死滅した。
しかし、そのロボットに対して人類のリーダーが立ち上がり、形勢は逆転、人間は勝利を目前にしていた。
そのリーダー、ジョン・コナーを過去に戻って抹殺することで状況を打開しようと、スカイネットはターミネーターを過去に送り込む。
それを知ったレジスタンス側は、カイルを送り込み、ジョンの母親、サラ・コナーを救うことを計画する。
それが「T1」のあらすじだ。

結果、サラとカイルが結ばれることで、ジョンが生まれる。
スカイネットは、ジョンを抹殺しようとして、ジョンを生み出すことになってしまうわけだ。

「T2」では、生まれたジョンを抹殺するために再びスカイネットはターミネーターを送り込む。
青年のジョンを守るために、ターミネーターを改造したターミネーターを人間側は送る。
液体金属のT1000型と、従来の人型ロボットのT800型との攻防という構図になる。
このT800型のモデルは、実は「T1」の時に送り込まれたターミネーターを元に開発されていた。
その研究所とともに、この運命の連鎖を断ち切ろうと、サラと、ジョン、人間側のターミネーターは、液体金属に立ち向かうのである。

そして、物語のラストでT800型も、T1000型もともに撃破し、未来とつながる要素を断ち切ることで、このFATEから逃れようとするわけだ。

ここまで読めば分かってくるはずだ。
実はこのシリーズはここで完結してしまっている。
この完結、というのは「終わっている」という意味ではない。
まとまって始めと終わりがつながってしまっているという意味だ。
タイムパラドックスがどのようなものなのか、私は知らない。
だが、少なくとも、きっかけと結末がつながってしまっている。
生まれるためにはジョンが必要だし、ジョンが生まれてしまえば必然的に核戦争が起こらなければならない。
核戦争が起こらなければ、ジョンは生まれない。
過去にジョンの父親を送り出すことができないからだ。

ジョンの父親が送られなければ、ジョンは生まれない。
ジョンが生まれないなら、ターミネーターを送らなくて済むため、それを生み出すための技術が過去に齎されない。
そうであれば、スカイネットは人間側に勝てない。
(少なくともスカイネットが勝てたのは人間型ロボットがあったからだという主旨の話を、「T1」でカイルがしている)

だから、この映画は「T2」までで完結、閉じてしまっている。
話の原理的に、この話に割って入ることは、前提を崩すか、前提を踏襲するかしかない。
その前提とは、ジョンが生まれる、核戦争が起きる、ターミネーターが生み出される、というようなことだ。
前提を崩すなら、「ジェネシス」や「ニューフェイト」のような、「やっぱなかったことにして」という流れになる。

前提のままにするなら、フェイトは変えられない。
「NO FATE」といっておきながら、「FATE」で話を進めるしかない。
必然的に「T3」のような、自己矛盾に苦しむ物語として描くしかない。
自分が存在している限り、この連鎖を止めることはできない、というような自己矛盾だ。

前提を崩すと、これはえらいことになる。
なぜなら、それは「T2」までに構築された閉じられている設定を、無理やり「完結していない」物語としてこじ開けることになるからだ。
ジョンが死んだり、ジョンが敵になったり、サラが若返ったり、ターミネーターが年を取ったり、何回もトラベルしたり、その割に1体しかトラベルしなかったり。
だからファンであれば、「これはシリーズとは違う」という違和感につながる。

イメージ的に、説明しよう。
「T2」までで綺麗な円を描いていたのだ。
それなのに、一部を消して円に妙な図形を足したり、円にもう一度円を重ねたりすることになる。
閉じた前提を崩したり、生かしたりするためには、そういう不自然さが伴う。

劇中の「NO FATE」という言葉とは全く逆に、そのどちらかにならざるを得ないというFATEに行き当たる。
だから、このシリーズの続編は、どんな物語を描いても「なんかちがう」という印象を受けてしまう。
それは派手なCGだとか、あの俳優の復帰だとか、監督の選定とか、そういうレベルの話ではない。

次にもうこの設定が時代遅れである、というフェイトも存在する。
核戦争も、AIも、それが現実的に起こりうるという意味でSFではなくなった。
これまで曖昧だった設定には、かなりの詳細な設定を与えなければ、「有り得るかも知れない漠然とした恐怖」ではない。
冷戦下にあったアメリカで、核戦争がちらついていた時代とは違う。
より高度に戦略的になった核兵器が、この時代設定と同じ舞台では当然無理がある。
AIの限界性もわかってきた中で、判断を任せる、といった使用方法はやはり想像しがたい。
(だから「T3」ではウィルスとして拡散する設定となった)

この設定を前提に物語を構築すること自体が、「リアル」ではなくなった。
どんな物語もそこには、そういう未来像を描く時代もあったよね、というノスタルジーの中でしか展開できない。
全くもってこの設定に、恐怖も説得力も感じられないのだ。

そして、最後にもう一つ、逃れられないフェイトが存在する。
それは、役者たちに訪れるフェイトである。
完結した物語に、時代遅れになった設定、さらに時代は進み自分は年老いていくという役者たちの悲運は、どうしようもない。
年老いてしまったキャストを再び登場させようとすれば、どうしても前提を崩さざるを得ない。
シリーズ物に仕立てようとした時点で、シュワちゃんを出すことになる。
しかし彼はすでにボディービルダーでもなければ、無名の役者でもない。
すでにキャリアを十分積んだ、キャリフォルニア元州知事である。
冷徹無比な人造人間という設定は通用しない。

サラ・コナー演じるリンダ・ハミルトンも、ジョン・コナーになりきれないおっさんエドワード・ファーロングも、「出る」となれば「ああ、お金に困ったのか」と言われかねない。

以上のように、未来から来るターミネーター以上に、この映画を「T2」よりさらに続けることにはフェイトが伴う。
「NO FATE」と刻みたいところだが、私にはこの連鎖を断ち切るための妙案を提出できるとは思えない。

これらの矛盾をどう解決するのか。
未来からの使者を待つしかない。

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