secret boots

ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ターミネーター2(V)

2010-11-19 22:03:35 | 映画(た)
評価点:88点/1991年/アメリカ

監督:ジェームズ・キャメロン

続編によって一気に世界観を広げた珍しいSFアクション。

1997年に起こるという核戦争に備えて、ジョン・コナー(エドワード・ファーロング)は母親から様々な知識を得ていた。
その母親サラ(リンダ・ハミルトン)は、精神異常者として実質的には身柄を拘束されていた。
そこへジョンの元へ屈強な男(アーノルド・シュワルツェネガー)が現れる。
もう一人の警官の格好をした男がいきなりジョンを襲ったとき、男が助けてくれた。
その男は、明らかに母親の話していたターミネーターだった…。
液体金属だという敵の次のターゲットがサラであることを、T800型のターミネーターは警告する。

言わずも知れたアクション映画の大作。
見たことがない人はたぶん、このサイトにも来ないだろうと思われるほど有名だ。
今更見直す必要もないし、また、見直さなくてもすべてのシークエンスが頭に入っているという人も多いはずだ。
だからこそ、今ここでもう一度問い直しと解体を行っておきたい。
時代というのは過ぎ去ってからしか語ることができないものなのだ。

決して最近映画館に通っていないからではない。
断じてネタがないからではない……。

▼以下はネタバレあり▼

おそらくこの映画は映画史に残るほどの傑作ではないかと思われる。
映画単体の完成度の高さを評価してのことではない。
むしろ、続編という位置づけでここまでの完成度を誇り、商業的にも爆発的に売れた映画は珍しい。
それこそ、アクション映画なら、「ダークナイト」くらいしか思いつかない。
「ダークナイト」が一作目とそれほど時期を画していないことを考えると、やはりこの映画はすごいとしか言いようがない。

この映画のすごいところは、しっかりと続編であるということだ。
前作のファン(おそらく当時はすごく少なかったはずだが)を楽しませながらも、新規ファンを獲得することに失敗していない。
逃げるという映画の展開は、そのまま「T2」でも引き継がれる。
なぜなら、強力な味方がいても、それよりもさらに強大な敵が存在するからだ。
この絶対的な敵という存在感がこの映画の肝になっている。
ターミネーター=終焉をもたらす者という絶対的な存在感は揺るがない。

なぜそんなに絶対的なのか。
前作でも同様なのだが、その絶対的な強さが、現代人にも感覚的に捉えられるという点にある。
液体金属。
在りそうでなかったその設定は、聞くだけで絶望感に溢れている。
実態のない液体で、誰にでも化けることができる。
原始的なナイフなどの武器に変形でき鉄格子を軽々乗り越える。
当然、拳銃などの攻撃にはダメージが残らず、攻守にわたり、絶対的だ。
前作のシュワちゃんも絶対的な運命を象徴する存在として立ちふさがったが、今回もそれに負けない存在感がある。
わかりやすいその設定は、あり得るわけがないと考えながらも、あり得そうな映像で迫ってくる。
まずはこの存在感が、この映画の最も大切なところを抑えている。

そしてこの映画の最大の魅力はその前作の流れを踏襲しながらも、巧みに深化させたことにある。
一つは言わずもがな、シュワちゃんが味方になったことだ。
これは現実のシュワちゃんのキャリアと非常によくマッチしていた。
前作でそれまで無名だった強面のシュワちゃんが、公開当時ではすでに人気の絶頂にあった。
誰もが知っているアクションスターだった彼が、今度は味方になる。
しかも、最強の戦士ターミネーターなのだから心強い。
敵だった絶対的存在が味方になる。
これほどのおもしろさはなかなか味わえない。

それだけで終わらない。
物語としての味付けも、キャメロン監督は忘れない。
カイルとの関係を、未来からの恋人、と捉えることで、今度の守護神は「未来からの父親」と位置づけたのだ。
未来からの父親と位置づけることによって、映画は深みを増す。
なぜなら、親子の関係を描きながら、父親殺しの物語へと深化させたからだ。
ジョンが未来からきたターミネーターを乗り越える物語。
そうすることによって、物語の深みを増し、当然、エディプス・コンプレックスの典型を抑えることになった。
エディプス・コンプレックスが重要なのではない。
そうすることによって、多くの人間が共感し、感情移入することができたのだ。

それは単なる〈同化〉の効果だけではなかった。
父親とT800型を位置づけることによって、人間とロボットの境界に迫るという新たなテーゼを生み出すことにも成功した。
心理をどう機械が理解するのか。
父親に守られる存在であるジョンは、機械にどう心を教えていくのかということも学んでいく。
それはあたかも、未来になって送り出す側の人間になることを予感させもする。
アクション映画にはまれなほど、シリアスなドラマがそこにはあるのだ。

そして物語は逃げるから、闘うへと進化する。
逃げるしかできなかったコナーは、今度は未来を変えるために動き出す。
だから物語は俄然おもしろくなる。
NO FATEという言葉が重く感じられるのは、そのためだ。
もはや「」はこの作品なしには語れなくなってしまったこと自体が、この映画の偉大さを如実に表す。

残念な点もある。
これほど重厚な物語と設定をもっていながら、描写がしつこすぎる。
あえて核戦争が起こる描写を挿入したり、余計なサラの語りを随所にちりばめたり。
大衆向け映画なのはわかるが、もっと観客を信頼してほしかった。
蛇足と感じる説明が多すぎる。
キャッシュディスペンサー詐欺や、精神病棟で異常な看護師を演じる男など、世界観を広げる描写が多いだけに、残念だ。

いまでも家の鍵などを忘れたりすると、手が鍵に変形しないかと想像したりする。
僕はそうとうT1000型に影響を受けている……。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ターミネーター(V) | トップ | 25時(V) »

コメントを投稿

映画(た)」カテゴリの最新記事