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ネタバレ必至で読み解く主観的映画批評の日々!

ターミネーター3

2010-11-09 22:58:51 | 映画(た)
評価点:55点/2003年/アメリカ

監督:ジョナサン・モストウ

50を超えた肉体を見せるシュワルツェネッガー。

2003年、十年前の戦いによって世界は危機から救われたかのように見えた。
しかし審判の日である1997年を過ぎたにもかかわらず、ジョン・コナー(ニック・スタール)は言いようのない不安に駆られていた。
そして二体の「未来からの贈り物」が現代に現れる。
一人(クリスタナ・ローケン)の目的は、ジョンとその部下たちを殺すため。
そしてもう一体(アーノルド・シュワルツェネッガー)は、ジョンとその妻になるというキャサリン(クレア・デインズ)を守ること。
バイクの事故で動物病院に忍び込んだジョンは、たまたまそこの獣医だったキャサリンと再会する。
彼らは10年前の中学の同級生だったのだ。
しかし、そこに容赦なく新型TXのターミネーターが現れる。

この映画は恐らく賛否両論になるだろうと思う。
「1」は非常に良くできた設定で、当時無名に近かったシュワちゃんを冷酷なターミネーター(終わらせる者)として描いた。
続く「2」は、シュワちゃんが知名度も上がり、「味方にしてみたい」という観客の願望を見事に叶え、設定も正統進化した。
当然、このつながりからいくと、期待してしまうわけだ。
結果としては、前作までの殆どの要素を踏襲し、なお結末で「賭け」に出た。
観客の期待に沿い、かつそれを裏切らないといけない監督の使命は生やさしいものではない。変に萎縮してもおかしくない。
きちんと「冒険」してくれたという意味においては、期待を裏切らなかったと言えるだろう。

▼以下はネタバレあり▼

殆どの点において前作までを踏襲した形になった。
例えば、ターミネーターとの邂逅。
ジョンの抹殺者のTXが先に到着し、すんでの所で守り役の850型が助け入る。
続いて、カーチェイス。
逃げることが主な行動目的となるシリーズではおなじみのシーン。
ここで過剰にカーチェイスを繰り広げたところにこの映画の結末を暗示しているのだがそれは後に言うとして、ここまでの展開は王道だと言える。
語りがジョン・コナー自身であったり、磁力で液体金属を分解するシーンや、850型が警察と対峙するシーンも同じだ。

しかしキャラクターという意味においては、踏襲しているとは言えない。
特にクレア・デインズは、そのキャラクター性が掴みにくい。
婚約者と父親が立て続けに死んでしまうという難しい境遇で、感情移入できない。
恋人が死んだことを聞かされたあと、「地下室でのキスが私にとってファースト・キスだったのよ」と恥ずかしそうに語られても、おいおい、恋人はどうなった? とビックリする。

ことさら強調して機械、機械しているTXも、怖さがない。
「1」も「2」も無機質と恐怖を持ったターミネーターだったのに対し、本作では、無機質さしか伝わってこない。
やたらと残酷な殺し方をするが、それが効果的に恐怖を駆り立てない。
むしろ死体と戯れている感さえある。
女性蔑視ではないが、女ターミネーターは失敗だった。

ジョン・コナーも頼りないし、存在感があるのは850型と精神科医だけだ。
もっとも精神科医の方は、絶対出てくると踏んでいたので読めたね。
むしろ登場させてくれて嬉しかった。
存在感があったのは、妙に不自然なシーンでとってつけたように出てきたから。
それはさておき、前作までの流れがありながら、これだけキャラが淡泊では、ちとつらい。
ジョン・コナーらしさを見せるために、あの「キャッシュ・ディスペンサー暗証番号解読」をみせてほしかった。

そして肝心のストーリー。
僕が「T3」が出ると聞いて、一番期待したのはこれだ。
先にも言ったが「2」は正統進化して、ストーリーの面から言っても説得力があり、世界観を壊すことなく広げていた。
一応完結した(かにみえた)ターミネーターの世界をもう一度積み上げるための説得力あるストーリーを期待してしまうのは当然だ(と思う)。
結末を除けば、非常にシリーズを意識した展開になっている。
しかし、説得力に欠け、不自然に感じてしまう点が目立った。

「マイクの地下室」のエピソードがプロットでかなりのウエイトを占めるが、明らかにとってつけたような「言い訳」染みた説明だ。
スカイネットがキー・ポイントになっているところはまだ許せるが「ファースト・キス」云々はいらなかった。

そしてやはり結末。
これは相当な「賭け」に出ている。
アメリカ映画としては、ハッピー・エンドを避けたのは意外だった。
ただ、今までの展開のように、「未来がどうなるかわからない」というような結末ではさすがに誰も納得しなかっただろうから、成功しているとは言えるかもしれない。
「アメリカ映画として」おもしろいと思うのは、主人公たちがパラドックスに陥っていることだ。

前作では、ターミネーターを開発した(するであろう)サイバーダイン社を破壊し、未来は救われたかのように見えた。
しかし、人工知能「スカイネット」の開発に関しては、続けられていた。
軍の特別管轄内の開発部はあと少しというところまできていたところに、TX型が送り込んだコンピューターウイルスが蔓延し始める。
あらゆる機能を飲み込もうとしたウイルスをとめるために開発途中であった「スカイネット」を起動させる。
しかし、「スカイネット」はウイルスに汚染されてしまい完全に人工知能にのっとられてしまう。
つまり、人工知能の始まりは、人工知能がよこしたウイルスであったのだ。
自らの起源を自らが送り込んだというわけだ。
この「スカイネット」は、いわゆるひとつのスーパー・コンピューターが総括するのではなく、ネットワークとして機能しているため、一度起動してしまうともう止めることは不可能なのだ。
それをとめることができないと知っていた開発者のロバート・ブリュースターは、娘とその彼氏(彼は誰がフィアンセであったか知らなかったようなので最後までジョンをフィアンセだと信じていたと思われる)を生き残らせるために、核シェルターへ向かわせる。
ジョンとキャサリンはこの事実を知り、物語は終わってしまう。

しかし、この絶望的な結末は、実は主人公たちに更なる深い矛盾を突きつける。
端的に言えば、二人が生きている限り核戦争は止められなかったのだ。
二人がレジスタンスを形成し、カイル(マイケル・ビーン)を送り込まなければジョンは生まれなかったし、ジョンが生まれていなければ、今回のTXが送り込まれることはなく、よって「スカイネット」が暴走することもなかったのである。
ジョンが生きている限り、この連鎖は続く。
世界を救うにはジョンが必要だが、ジョンがそもそもいなければ、世界は救う必要がないのである。
映画の終幕で、ジョンが絶望に陥っているシーンは、実は、自身へのただ生きているだけで犯してしまう運命的な「罪」の意識がそうさせているのである。
ここにアメリカ映画的でない、面白さがある。
だから観客は、期待していたハッピーエンドをとらなかったことへの、裏切られたカタルシスを、素直に受け取ることができずに複雑な後味の悪さを感じてしまうのだ。

実はこの結末は、映画的な伏線がある。
観ている人で思った人も多かったのではないかと思うのだが、アクションの見せ場がやたらと前倒しされていることだ。
カーチェイスのシーンは、普通のアクション映画ならば、後半近くにもってきてもいいほどの盛り上がりを見せる。
展開がやたらと速いのは、「後半でひっくり返しますよ」という、ジョナサン・モストウ監督からのメッセージなのだ。
急がないと結末へもっていけないからなのだが、ここに疑問を持てば、ある程度のどんでん返しは予想できたかもしれない。
まあ、無理だろうけどね。

総評としては「微妙」なことは確か。
けれども何度も言うように、冒険したことに対しては評価したい。
もし「4」を作るなら、送り手側の話になるだろう
けれどマイケル・ビーンも髪の毛が薄くなっているし、作るのは難しいだろう。
ここまで裏切ったのだから、作ってほしい気はする。

(2003年執筆)
 

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3 コメント

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Unknown ()
2010-11-10 05:58:13
ターミネーター1、2の批評もお願いします。
返信する
とりあえず「1」を。 (menfith)
2010-11-10 22:30:00
管理人のmenfithです。
L'Arc~en~Cielのカウントダウンライブに参加する気満々だったのですが、なんとまさかの落選でひどく心を痛めているmenfithです。
いや、本当に今日は一日へこむことが多くて、げんなりしているmenfithです。

だれか僕にライブチケットを譲ってください(泣)

>あ さん
たまたま僕自身も考えていました。
とりあえず「1」を書きましたのでアップしました。
「2」はもう少しかかるかもしれません。
気長に待っていてください。

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Unknown ()
2010-11-10 23:39:13
分かりました。待ちます。
返信する

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