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外国で一時的個人的無目的に暮らすということは

猫と酒とアルジャジーラな日々

2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(34)~イタリア南部バジリカータ州への旅・アリアーノ到着編~

2020-11-10 09:15:54 | イタリア

 

 

今回は、バジリカータ州のマテーラからアリアーノに到着した時の話。(前回の話

 

バスのチケットを買ったお店の人の話では、14時発のサンタルカンジェロ行きの路線バスに乗れば、そのバスがアリアーノまで行くという話だったが、14時近くまで待ってもそれらしきバスはやって来なかった。その間、様々な会社のバスがやってきては、ターミナルに群れていた学校帰りの子供たちを乗せて、次々出発していった。

 

う~む。本当にサンタルカンジェロ行きのバスは来るのだろうか。 

 

不安になった私は、握りしめていたチケットに印刷されている「cotrab」(バジリカータ運輸会社連合 Consorzio Trasporti Aziende Basilicataの略)のマークが入っている停車中のバスのところに行き、サンタルカンジェロ行きのバスはいつ来るのか運転手さんに質問してみた。

 

彼の話によると、このバスはサンタルカンジェロには行かないが、これに乗ってスカンツァーノ(おそらくScanzano Jonicoのこと)で別のバスに乗り換えれば、アリアーノに行けるという。「アリアーノに行きたいなら、乗り換えのバスが来るところで降ろしてあげるから、乗りなさい」と言ってくれたので、よくわからないまま乗り込み、窓際に座る。バスは間もなく出発した。

 

 

このコロブラーロ行きのバスに乗った。親切な運転手さんで助かった。

 

 

バスは大きくて真新しく、エアコンが効いていて快適だった。

 

乗るはずだったバスが来ず、行先のよくわからないバスに乗り込んで、運転手さんの言葉を頼りに前に進んでいく。こういう旅をイタリアでやったことはなかったが、アラブ諸国ではありがちなことだったし、時間も早かったので、あまり焦ることなく、のんびりした気分で窓の外を眺めていた。旅の経験を重ねていくと、多少のことでは慌てなくなるものだ。単におばちゃん化現象かもしれないが・・・

 

 

バジリカータ州を含むイタリア南部諸州でバスを運行している会社「SITA SUD」のサイト。

https://www.sitasudtrasporti.it/orari/basilicata

私が乗ったのはこの会社のバスだと思われる。

 

 

車窓から見えていたのは、オリーブの木立などの見慣れた風景だった。

 

 

ある時点で(おそらく約1時間後)運転手さんが私に声をかけ、「ここで降りてあのバスに乗りなさい」と、乗るべきバスを指さして教えてくれた。チケット代の清算は、乗り換えたバスの方ですればいいとのことだった。

 

 

教えられたバスに乗る前、行先表示を確かめたら、ちゃんと「アリアーノ」(Aliano)と書いてあった。よかった、無事に着きそうだ。

 

 

ベンツのバス。こちらも大きくて綺麗で快適だった。

 

 

年配の運転手さんに事情を説明し、アリアーノまでの追加料金を1.5ユーロ払ってから窓際に座る。他の乗客は地元の人らしき人達が数人だけで、アリアーノに着くまでに1人、また1人と降りて行った。最後まで残ったのは私だけで、さすがに少し心細かった。

 

 

バスは小さな町をいくつか通り抜けて、だんだん辺鄙な土地に入っていく。終点のアリアーノに着いた時は、もう夕方の17時近かった。合計3時間近く乗っていたことになる。アリアーノは石造りの建物が並ぶ、小さくて可愛らしい町に見えた。運転手さんに行先を尋ねられたので、宿の名前を教えたら、その近くに停車してくれた。私がスーツケースを運んでいたので、気を遣ってくれたのだろう。バジリカータ州、親切な人が多いな・・・

 

 

予約していたB&B「la Casa dell'Americano」(アメリカ人の家)は、鍵が閉まっていたが、電話したらすぐに経営者らしき人が来てくれた。宿賃を前払いして鍵を受け取り、部屋の設備や朝食等について説明を受ける。彼は同じ建物のリストランテも経営していて忙しいらしく、説明を終えるとすぐに去っていった。宿泊客は私1人のようだった。

 

 

B&Bは2階にあり、左の入口から入る。1階はリストランテ

 

 

ドアには、「わざわざこんなとこまで来るなんて物好きやな」とでも言いたげな顔の天使(?)が付いている。おっしゃる通りですわ・・・

 

 

部屋は比較的広めで、クラシックなインテリアで清潔だった。エアコンもテレビもミニ冷蔵庫も付いて35ユーロは安い。

 

 

 

久しぶりに冷蔵庫付きの宿に泊まったのに、入れるものがなかった・・・

 

 

荷物を置いてから、まずバスの窓から見えた観光案内所に行ってみることにした。帰りのバスの時刻を調べないといけないからだ。17時に閉まるかもしれないから、急がなければいけない。

 

 

(続く)

 

 

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(33)~イタリア南部バジリカータ州への旅・マテーラ観光編(2)~

2020-11-02 05:40:18 | イタリア

 

 

今回はマテーラのサッシ(洞窟住居のある歴史的地区)での観光の話の続き。(前回の話

 

 

遠くから見えた教会に向かって歩いて行ったところで話が終わっていた。画面左の教会だ。

 

 

正面にたどり着いてみたら、こんな感じだった。

 

 

案外普通だと思ったら、ファサードは17世紀に付け足されたものだった。13世紀に建てられた教会だが、17世紀に全面的に改築されたらしい。

 

 

「サン・ピエトロ・カヴェオーゾ教会」

 

 

内部の写真がフォルダーに見当たらないので、中に入らなかったか、入ったけど撮影禁止だったかのどちらかだと思われる。もう記憶が靄の中・・・

 

 

教会付近でお土産物を売っていたフレンドリーなおじいさん

 

 

父親の土産に竹笛と鳥笛を一つずつ買ったのだが、試しに値切ってみたら、7ユーロのところをあっさり5ユーロにしてくれた上、葉書もおまけしてくれた。この鳥笛は、素焼きの笛に彩色したもので、「Cuccu'」(クックウ=「カッコウ」)という名前だが、なぜか雄鶏の形をしている。かつては家の中の赤ん坊のゆりかごの上などに吊るして、悪い精霊を遠ざける役割を果たしていたらしい。つまり、お守りなのだ。

 

 

おじいさんが写真に撮りなさいと言ってくれたパンフレット。

この鳥笛についての説明がある。彩色する前のはだかの状態でもキュートだなあ。

 

 

いいお土産が買えたので、うふうふ笑いながら(不気味)ぶらぶら歩いていたら、洞窟住居があったので、3ユーロの入場料を払って見学することにした。

 

 

洞窟住居(Casa Grotta)の表示。なんと日本語表示もある。日本語のパンフレットもあった。

 

 

他の見学者はイタリア人の国内旅行者が多かった。音声ガイドが流れていた。

 

 

一室の中に大きなベッド、台所スペース、機織り機などが並ぶ。かつてここに一家と家畜が暮らしていたのだ。

 

 

テーブルに鎮座しているのは、マテーラ名物の岩みたいなパン。

 

 

この洗い桶に入っている洗濯板、懐かしい。(かつて実家にあった)

 

 

そういえば、昔は「洗濯板のような胸」という表現があったなあ。私もそうだったが。

 

 

ベッドの下にあるこの容器は・・・

 

 

 

洞窟住居の隣りには、氷室(Neviera)があった。

日本の氷室のイメージとだいぶ違う。

 

 

日本の氷室のイメージはこれ。(ウィキペディアから拝借した写真、天理市福住町の復元された氷室)

 

 

外に出て、上の方に登ってから辺りを見渡した。

 

 

正面に見えるドア付きの岩の塊みたいなのが、洞窟教会「マドンナ(サンタマリア)・デ・イドリス教会」

 

 

入場料3.5ユーロを払って入ったが、中には特に何もなく、説明もない上に撮影も禁止だった。

1ユーロくらいでいいかな・・・

 

 

沢山歩いて疲れてきたので、ぼちぼち戻ることにして、サッシの出口に向かって歩いた。

 

 

道すがら、また微妙な雨樋の家を発見

 

 

入り口に募金用の入れ物が置かれている家も見かけた。

「私たちには助けが必要です。年金では足りません。私たちは病気です。夫は目が見えないし、私もありとあらゆる不具合を抱えています。(募金)ありがとうございます!」

 

 

つまり、現代のサッシにも貧困は存在するということだな・・・

 

 

サッシ観光の振り出し地点に戻ってきた。

 

 

ここで、サッシ観光の最後の目玉ともいうべき、ラブリーな教会に遭遇した。「プルガトリオ(=煉獄)教会」(Chiesa del Purgatorio)だ。

 

 

 

 

近寄ってみると、ガイコツちゃんたちがいっぱい!

 

 

 

ラブリーじゃないですか??

 

 

この教会の向かいにバールがあったので、外のテーブルに座ってビールを飲みながら、しばらく骸骨たちを眺めて楽しんだ。今思うと、かなり疲れていたのだろう。

 

 

 

 

ビールを飲み終えたら、ちょうどいい時間になっていたので、宿に戻って荷物を引き取り、バスターミナルに向かった。

 

 

 

 

途中でパン屋に寄り、ハムとカルチョーフィ(carciofi、アーティチョーク)のピザを買う。

 

 

こういうやつ。ちらり

 

 

聖アンナ・ホリデーハウスの敷地にあるマリア像。1泊しかしなかったが、いい宿だった。

 

 

暑い中を歩き回ってへなへなだったが、なんとか力を振り絞ってスーツケースを転がしつつ、バスターミナルに到着した。

 

 

学校帰りの子供がいっぱいいた。

 

 

14時のアリアーノ行きのバスにはまだ少し時間があったので、先ほど買ったピザを食べ、ペットボトルに詰めてきたワインの残りを飲みつつ、大きなリュックを背負う子供たちを眺めて過ごした。

 

 

ちなみに、私がマテーラを訪れたのは去年の9月半ばだったが、11月には豪雨による洪水が発生し、サッシはエライことになっていた。

 

 

(続く)

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(32)~イタリア南部バジリカータ州への旅・マテーラ観光編(1)~

2020-10-25 08:19:56 | イタリア

 

 

今回はようやくマテーラのサッシ(洞窟住居のある歴史的地区)を観光した時の話に入る(前回の話)。この日は午前中サッシを見て回って、午後にアリアーノに移動した。

 

 

宿泊した「聖アンナ・ホリデーハウス」の朝食時間は、朝8時15分~9時15分とやけに早かったので、間に合うようにがんばって8時に起き、生乾きの洗濯物をドライヤーで乾かしてから朝食ルームに向かう。9時前だったのに、他の客の姿はなく、片付けがもう始まっていた。みんな早起きなのね。

 

 

イタリアの安ホテルの朝食は、たいてい量産品の甘いパンと銀紙に包まれたチーズ、ジャム、パック入りのヨーグルトと飲み物(自動装置から自分で使い捨てのカップに注ぐ)くらいしかないが、ここには珍しくピザもあったので、1切食べてみた。味はまあ普通。

 

 

 

 

カプチーノとヨーグルトとピザとなんだかよくわからない味のジュース。 へんな朝食・・・

 

 

宿に荷物を預かってもらって、9時半頃に出かけた。日差しが強くて、けっこう暑い日だった。体力がないので、へばらないように気をつけなければ。

 

 

宿からサッシの入り口までは至近距離で、方向音痴の私でも迷わずにたどり着けた。

 

 

この広場を通って、サッシに降りる階段に向かう。

 

 

広場の片隅の噴水には、水をじょぼじょぼ吐き出す人たちがくっついていた。

 

 

サッシが見下ろせるバルコニーのような小広場(Piazzetta Pascoli)に到着。

 

 

サッシに降りる階段を示すサイン。非常にわかりやすい。

 

 

緩い石段を下りていく。他の観光客の姿が新鮮。イスタンブールでもフィレンツェでも全然観光しなかったからな・・・

 

 

道すがら、劇場があったり

 

 

イエスキリストの姿絵が飾られた壁龕があったり

 

 

ザクロの木があったり

 

 

微妙な形の雨どいが設置された家があったりした。

 

 

道の左手には、普通の住宅が重なり合うように建っていた。

 

 

マテーラのサッシの洞窟住居には、古くから人が住んでいたと言われる。20世紀前半には、窓のない穴倉に人間と家畜が同居する非衛生的な貧民街になっていたそうだ。その後、政府の政策によって住民が他地域に移住させられ、廃墟になっていたが、1993年にユネスコの世界遺産に登録されてから、それなりに観光地化が進み、道路が整備されてレストランやホテル等の施設が出来たという。交通の便が悪く、イタリアの他の観光地から離れているため、バリバリに観光地化されているわけではなく、「バ」程度ではあったが。

 

私がここに来るきっかけになったカルロ・レーヴィの著書(参考)の中には、彼がトリノからアリアーノ(本の中ではガリアーノ)に流刑になっていた1935年~1936年当時、医師だった姉が彼に面会する許可を得るためマテーラの警察署に来た際にサッシを歩き回って、そのあまりの惨状に衝撃を受けるシーンがあり、強く印象に残っている。1930年代は、サッシがまさに貧民街だった時期にあたる。しかし、現在のサッシからは、そのような陰惨な気配はもはや感じられなかった。

 

この日は映画007シリーズの新作「ノー・タイム・トゥ・ダイ」のロケをやっていて、カーチェイスのシーンなどの撮影があったため、立ち入り禁止になっている区域があった。

 

ロケ地。通ろうとしたら、「ダメ」と言われた。ちっ・・・

 

 

こういうシーンの撮影だったらしい。ヘリを見た記憶はないが。

 

 

立ち入り禁止地域を迂回して、サッシの低い外壁に沿って歩く。

 

 

壁に可愛い花が咲いていたり

 

 

道端にマテーラのクラフトビールの空き瓶が放置されていたりした。こんなビールがあったとは!飲み損ねた・・・

 

「マテーラ」ビールのHP(イタリア語)

https://www.birramathera.com/

「マテーラ」を生産するブルワリーが2014年に設立されたと書いてあったり、2015年設立だと書いてあったりするあたりが、非常にイタリア的。

 

 

サッシはごつごつした石灰質の白っぽい岩が目立つ渓谷に取り囲まれていた。なんだか懐かしい風景だ。こういう風景、パレスチナあたりでよく見かけたな・・・

 

 

 

 

渓谷の間を川が流れていた。あの橋は渡りたくない。

 

 

再びサッシの内側の方に目を向けると、岩々しい洞窟教会が見えた。こちらはカッパドキアを思い出させる。

 

 

地図を見てもどの教会かよくわからないが(地図が読めない女だから)、とにかくそちらに向かって歩いてみることにした。

 

 

(続く)



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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(31)~イタリア南部バジリカータ州への旅・アリアーノ行きのバスチケット購入編~

2020-10-20 19:07:45 | イタリア

 

翌日アリアーノに行く手段を調べようとマテーラの宿を出た私は、先ほど通ってきた街の中心部に戻り、宿のフロントで紹介してもらった旅行代理店に行った。(前回の話

 

その旅行代理店では、「うちはパッケージツアー専門だから、向こうにある別の代理店に相談してみて」と言われたので、そちらに向かって歩いていると、通りがかりのおじさんと目が合った。せっかく目が合ったので、ここはひとつ「おじさん方式」でやってみようと思いたち、「すみませんが、アリアーノ行きのバスがあるかどうかご存じですか?」と尋ねたら、「あの売店で聞けばいいよ」と、バスターミナルのそばにある売店を教えてくれた。

 

お礼を言って、その売店に行ってみたら、そこには第2のアンジェロ(天使)がいた。

 

店番をしていた若い男性が、先ほど宿探しでお世話になったアルベルゴ・ローマの受付の男性に負けず劣らず親切だったのだ。アリアーノ行きのバスについて訊いてみたら、「大通りを渡った向こう側にあるタバッキ( 煙草を置いている商店)がバスのチケットを扱っているから、あそこで聞いてみたらいい」と教えてくれた上、「アリアーノからマテーラに戻ってきた時の宿が必要なら、B&Bをやってる知り合いに聞いてみてあげるよ」と電話してくれたり、そこがダメだったら、たまたま店に買い物に来ていた常連客の女の子に宿探しを手伝うよう頼んでくれたり、なんだか想像を超えた面倒見の良さを発揮してくれたのだ。常連の女の子もこれまた親切で、私に付き添ってホテル探しを手伝ってくれようとした。マテーラ、素晴らしいところなんじゃないだろうか・・・

 

お世話になってばかりでは悪いので、お店の中で目についたサボテン風味の飴を買ってみたが、1ユーロしかしなかった。

 

これ。友人へのお土産にしたので、味は不明。

 

 

アラブ諸国で夏場によく出回るウチワサボテンの実のエキスが入っているらしい。ウチワサボテンは、アラビア語では「ティーン・ショウキー」( التين الشوكي)とか、「サッバール」(الصبار)等と呼ばれるが、イタリアでは「フィーキ・ディ・インディア」(fichi d’India=「インドのイチジク」)と呼ばれ、シチリアを中心に南部で食べられているらしい。私は食べたことはないが、美味しくて栄養も豊富だとか。(参考

 

買ってないけど、ザクロの飴もあった。ザクロも中東のイメージが強い果物だが、イタリアでも特に珍しいものではない。地中海沿岸だしね。

 

 

ヨルダンの首都アンマンの市場のサボテン売り

 

 

ちなみに、翌日歩いていて、別の売店に「HOTEL INFORMATION」と書かれた張り紙がしてあるのを見かけたので、もしかしたらマテーラでは、売店がツーリストインフォメーション的な役割を果たしているのかもしれない。

 

教えられたタバッキに行ってアリアーノ行きのバスのチケットがあるかどうか尋ねたら、事情に通じた女主人らしき風情のあるカウンターの中の女性が、丁寧に教えてくれた。彼女の話によると、マテーラからの直行便はないが、翌日14時発のサンタルカンジェロ行きのバスに乗って終点まで行けば、同じバスがそこでアリアーノ行きの便に変わるから、それに乗って運転手さんにアリアーノに行きたいと伝えればいいとのことだった。つまり、そのバスに乗ればサンタルカンジェロ経由でアリアーノまで行けるわけだ。但し、このタバッキではサンタルカンジェロまでの4.8ユーロ(600円弱)のチケットしか売っていないということなので、ひとまずそれを買って、追加料金は運転手さんに直接払うことになった。翌々日のアリアーノからの帰りのバスについては、便があることは確実だが時刻はわからない、向こうで確認してからチケットを買えばいいと言われたので、その言葉を信じることにした。

 

とにかく、翌日アリアーノに行けることになったので、1泊分宿を予約することにした。僻地のアリアーノで宿が見つからないと野宿だからな・・・

 

ネットで調べておいたアリアーノ唯一の宿泊施設だと思われるB&B「ラ・カーザ・デッラメリカーノ」(La casa dell'Americano、「アメリカ人の家」)に電話を入れたら、あっさり予約できた。シャワー・トイレ付きのシングルが1泊35ユーロ(4300円強)。マテーラよりさらに安い。リストランテが階下にあるらいしので、夕食はそこでとってもいいかもしれない。

 

「アメリカ人の家」のHP

http://www.casadellamericano.it/

 

 

アンジェロたちのおかげで翌日の段取りを全て終えることが出来たので、どこかで手早く夕食を取って、早めに宿に戻って休むことにした。近くのスーパーで必需品のワインなどを仕入れてから、目についたヘルシーフード系のバールで豆のスープとパンを食べ、ビールを飲んだ。

 

 

「グリーン・フード」というお店。当然ここの店員さんも感じがよく、親切だった。チップは置かなかったが。

 

 

雑穀粥のような味わいで、パンも手作りっぽい香ばしさ。ビールは私の好きなイタリア製の「ナストロ・アッズッロ」(Nastro Azzurro=「青いリボン」)だ。疲れた心身に染みわたる・・・

 


9時前に宿に帰って、シャワーを浴びて洗濯し、久しぶりにテレビをつけてイタリアの長寿番組「モンタルバーノ警部」を見ながらワインを飲んだ。明日は午前中にサッシ観光、午後はアリアーノに移動しなければならない。また長い一日になりそうだ。がんばろう・・・

 

(続き)

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2019年チュニジア・トルコ・イタリア旅行記(30)~イタリア南部バジリカータ州への旅・マテーラで宿探し編~

2020-10-16 19:06:37 | イタリア

 

 

夕方マテーラにバスで到着してから、私がまずやったことはホテル探しだった。(前回の話

 

私には基本的に海外でホテルを予約する習慣がない。それに、いくらマテーラのサッシ(洞窟住居がある歴史的地区)が世界遺産で国際的に知られた観光地だといっても、交通の便の悪いこの地に、しかも平日の月曜日に観光客が詰め寄せてホテルがいっぱいになることはあるまいよと高をくくっていたのだ。

 

幸いバスターミナルは市内中心部にあり、移動が楽だった。地球の歩き方で目星をつけていた安ホテル「アルベルゴ・ローマ」(Albergo Roma、albergoはイタリア語で「ホテル」の意味)はすぐそこだった。ホントはサッシの中にある洞窟ホテルに泊まってみたかったのだが、やや高そうだし、荷物を運ぶのが大変そうなので除外した。

 

アルベルゴ・ローマのHP。グーグル先生の愉快な日本語版もある。

http://albergoroma-matera.it/

 

HPから拝借したレセプションの写真

 

 

ここに泊まる気満々だったのだが、ホテルが入っている建物の入り口には、「満室」(completo)の表示が出ていた。ま、まさかの満室?! いや~ん・・・

 

念のために受付に行って確認しようと思い、石地蔵のように重く感じられるスーツケースを抱えて階段を上った。ホテルは最上階にあるのだ。

 

受付にいた30代くらいの小柄なイタリア人男性に、「あの、今日は空いている部屋はないんですよね・・・?」と聞いてみたら、やはりないという。重ねて、「あの、ここくらいの価格帯の経済的なホテルで、空いてそうなところが近くにありませんかね?シングルのトイレ・シャワー付きで」と聞いてみる。

 

ダメモトで聞いたのだが、男性は「ちょっと待ってね。今聞いてみるから」と言って、すぐに近隣のホテルに電話をかけ、空き状況を調べてくれた。なにこの人、天使か??

 

いくつか当たってくれたホテルはどこも満室だということで、目の前がグレーになったが(黒になる手前くらい)、最後にかけてくれた修道院経営の宿泊施設に空きが見つかったそうで、「41ユーロだけど、大丈夫?予約する?」と聞かれた。もちろん、すぐに予約してもらう。

 

41ユーロは現在のレートで5千円ちょっとだ。フィレンツェでは、この値段でシャワー・トイレ付きのシングルにはまず泊まれない。マテーラは相場が安めのようだ。男性は行き方を説明しながら、地図に線を引いて渡してくれた。

 

お礼を言って立ち去る前に、「まさかマテーラのホテルがどこも満室とは思わなかった。来る時期を間違ったかしら」とぼやいたら、彼は笑顔になって、「君は来る年を間違ったね。今年はマテーラが『欧州文化首都』に指定されたから、イベントが多くて観光客が増えてるんだよ。去年や一昨年のこの時期は、どこもガラガラだったよ」と教えてくれた。そうなんだ、知らなかった・・・チェックが甘かったぜ。今後またマテーラに行くことがあれば、次はぜひこのホテルに泊まりたいものだ。

 

泊まれることになったのは、「Casa per Ferie Sant'Anna」(カーザ・ペル・フェリエ・サンタンナ=「聖アンナ・ホリデーハウス」)というところで、アルベルゴ・ローマから徒歩で10~15分くらいの距離だったと思う。私は極端な方向音痴で、迷いながら行ったから、もっとかかったが。

 

聖アンナ・ホリデーハウスのHP。イタリア語と英語のみ

https://www.santannamatera.it/

 

紹介動画もあった。

 

 

通りがかりのおっちゃんに道を尋ねて、なんとかたどり着いた。私はアラブ諸国では、路上で暇そうにしているおじさんたちに質問しながら探し物を見つける「おじさん方式」をよく使っているのだが、イタリアでやったのはマテーラが初めてだった。フィレンツェ人は京都人と同様、よそ者と距離を置く人が多いのでやりにくいが、南部ではありだと思った。

 

 

この要塞が入り口付近に立っているので目印になる。13~19世紀にかけて南イタリアを支配していたナポリ王国のジョヴァン・カルロ・トラモンターノ伯爵が16世紀初頭に建設させたという「Castello Tramontano」(カステッロ・トラモンターノ=「トラモンンターノ城」)だ。

 

 

ちなみにウィキペディアによると、このトラモンターノ伯爵は、要塞の建設費用等のためマテーラの住民に重税を課して「暴君」と呼ばれ、後に住民に暗殺されたという。事件の調査のため王国から調査官が派遣されて、暗殺の首謀者4人が絞首刑に処され、他の人々にも罰金が科せられて、それに対する反乱が起きたりして盛り上がったらしい。

 

 

聖アンナ・ホリデーハウスの建物は、敷地の入り口から少し坂を上ったところにあった。飾り気がなくてシンプルな外観だ。

 

 

受付のスタッフにさっき電話で予約を入れてもらった旨説明し、宿泊料を支払って鍵を受け取る。

 

 

廊下は病院風

 

 

室内は修道女の個室風。清潔でWi-Fiもテレビもあり、朝食もついて41ユーロは安い。しかし、なぜ40ユーロじゃないのか。

 

 

シャワーとトイレもピカピカで、シャンプーや石鹸なども一通りある。

 

 

快適そうな宿が見つかって安心したが、翌日は空いていないそうだし、他の宿を見つけるのも難しそうなので、翌日のうちにアリアーノに移動する手段を探さなければならない。というわけで、荷物を置いて、またすぐ出かけることにした。

 

長くなったので、続きはまた次回。つい色々調べて脱線するから、なかなか進まない・・・

 

(続く)



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