嬉々是好日 L`Atelier de Megummy since2000

行く先々でMIX犬疑惑を掛けられているビーグルならぬ、ぴーくる姉妹との徒然や、常が旅の途中な日々を綴っている備忘録

甲斐ってなんだろね?

2008-07-05 | megummy's

昨日は、珍しく…。
というか、私には基本的にありえないお仕事の掛け持ちで、かなりタイトに移動をしました。というのも、私は1日1ヵ所って決めて予定を入れていたり、さすがに2つを掛け持ちすると、事前の準備も気持ちも追いつかないのね(笑)

それに、移動中の交通機関に問題があった時なんて、それこそ「時間がぁ…。」と変な汗かくし(汗)

なのですが。

やっぱり、ご依頼を頂けるってことは非常にありがたく♪お断り出来るような身分でもなく、それよりもご依頼を頂いてる先がね、大好きなの(笑)

変な話、今、私が関わっているお仕事は全部が紹介なのね。だからこそ、ご紹介頂いた方に迷惑をかけちゃいけないなぁ、とも思うし、それ以上に、やっぱり今自分の口で伝えられる物事を聞いてくれる人達が居るっていうのは感謝なことだから!

一昨日ね、他者の自己実現をはかることが自己の自己実現って考えると、皆のお陰で私はすっごく自分に返って来るものが沢山あるよぉ~、ありがとねぇ。なんて話をしました。単純にね、ソツなく1回1回をこなしていけば仕事としては成立するのかも知れないけれども。対、人に関わるときって、例えば、そんな割り切りや怠惰さみたいなもの程、よく伝わってしまうと、私は思ってます。

仕事なんて自分の代わりはいくらでもいる、って言う人もいますが。それは、そうだとも思うのね。組織としては、自分じゃなくても結果として同じことをクリアして回せれば良いわけで。

ただ、結果の前のプロセスとして。与えられた仕事を、自分だからこそ出来ることや、そのやり方は必ずあって。それを意識するかしないかで、人間の関わり方って無意識に大きく変わってくるって思うんだよね。私の場合は、必ずそこに人が介在するからこそ、「お願いします」ってご依頼が来た時や、その時々にダイレクトに返って来るレスポンスに、「自分」を意識します。

って、そんな感覚が、私の所謂、やり甲斐なんだろうなぁ~って(笑)

で。
2つ目のトコは、駅から離れているからいつもタクシーを呼んでくれるのだけれども。私、すごいなぁ~、嬉しいなぁ~って思うのがさ。電車の時刻をちゃんと調べて下さってて、それに合わせてタクシーを呼んで下さるのね。「それまで、お茶どぉ~ぞ」って(笑)、当然、行きはタクシー券を郵送してくれててね、「気をつけていらしてください」って。そんな些細なお心遣いや、フト後ろを振り返るとタクシーが見えなくなるまで頭を下げてお見送りしてくれる姿にも…。

「私が出来ることを精一杯にやらせてください」ってモチベーションが上がってみたりね♪

でね。昨日は帰り際に、写真の入浴剤なんて頂いちゃって!「週末、ゆっくり休んでくださいね」って、すんごい嬉しいサプライズと、すんごい感謝なお心遣いに、狂喜乱舞でした(笑)



帰宅後に早速、どれにしようかなぁぁぁ♪と迷った挙句、「では。○から」と、お風呂でのびのびしました(笑)

ちと、さすがに2日続けての、しかも違う場所で、違う方々がお相手って仕事は気も遣うしだったりの「くたびれモード」だったけれど。それこそ、やっぱり「くたびれ甲斐アリ」で(笑)

今日1日は、しっかり自宅ワークをこなして!
明日は、ゆっくりお休みしよぉ~!!!

心地良い疲れって、疲れの成分に間違いなく幸せって物質が含まれてるよねぇ(笑)

ありがとぉ!!!

2008-07-04 | megummy's

昨日、一昨日は…。

心底、「みんなありがとぉ~!」なことが沢山ありまして…。

その都度、「ありがとぉ~!」って言ってたら、言ってる自分って、普段、気付かない内にこれだけの人に支えられてるんだわぁ~って実感と共に、真摯に正直に素直でいる自分すら、「あ。自分にもありがと」って思いました!

自分で言うなって感じもしなくもないけど(笑)

人間は別に何かを期待して善意を見せるのではないと思うし、見返りを期待して尽くすというわけでもないだろうし。

ただ、ただ、自分の出来ることをするってことの積み重ねが、とある時に、自分に返ってくる喜びやら、嬉しさって。何物にも代えがたい宝石みたいだなぁ~って思います!

ここ1ヶ月の色々が、それはまだきっと、プロセスの中にある結果の1つなのだろうけれど。起こるべくして起こったって感じの納得に。それすら感謝で。見えない時ってホント自分の立ち位置すらが見えないから、どう動いていいのか分からずに闇雲に動き回って、色んなとこにぶつかって痛い想いをするけれど(笑)

やっぱり、物事って単純なのよね…。

単純なことが連続して起こるから、複雑に見えるけれど、そこには何か必ずココってことがあって、それを丁寧に観ていくと。やっぱり単純なことが見えてくることに一期一会の不思議さを感じます。

ちょっと、意味不明なことばかり書いてるけれど、完全復活!

で。

そもそもが、私は。ずっと観察ってことを強いられてきた人間なので、それは無意識に自分の中に組み込まれているのです。他者との関係において、何かしらの問題場面を考察する時、プロセスレコードっていうものを使い、スーパーヴィジョンっていうのをするのだけれども。これって、ずぅ~と繰り返し行っていると、レコード化しなくとも、頭の中で描けてしまったりするものなんですね。

そして、更には、私。状況から発生する人の言葉や行動を因子分析し続けてきたので。その時々、「視た」「視た」って瞬間があって。それはナンとも表現し難いのだけれども…。

多分きっと人間には、自己と他者って境界線があるのだろうけれど、時々、私、その境界線を越えて他者が見えてしまうときがあるのです。その見えてしまったものは、きっと本人が隠しておきたい部分だったりして、だからこそ、そこに触れるのはタブーなんだと思うのでね。それを-と見なさず、それはその人自身であって、その人を構成する+の一部なんだって思うのね。

私、昔からね、人やら物事を+に見る天才って言われて続けてきたのね(笑)面白くないことを面白く楽しめる天才とか(笑)

それは何でなのか良くは解らないけれど、きっと、「?」ってことを-要素として斬捨てて行く人も世の中にはきっと居て。その-が積み重なると、一定の許容量を越えた時、結局はその物事を斬捨てていくのだろうなぁ~って思うの。その切捨てられた部分には、きっと、嬉しいことや楽しいことの要因だってあるはずなのに、-評価を下した時点で、そんなことも斬られていくんだろぉ~なって…。

そうするとさ。自分に戻ってくるちょっとした幸せというか、そんなささやかなことすら感じられなくて自己肯定感がすごく低くなるよね…。こんなはずじゃないかったトカ、こんな評価しかされないトカね、その時々を自分が選んでいるはずなのに、選んだことに対して-ばかりを付けていったら残るものがないのは当たり前じゃない…?

でも、そぉ~やって生きてきた人は、そぉ~やって生きてきたからこそ、そういう生き方しかできないし、そういう生き方でしか自分を守れないのだと思うの。そうやって守ってきた自分だからこそ、何らかの影響が自分に与えられた時は、すごい違和感とすごい恐怖感を感じて、ますます守ることに必死になるのだろなぁ…。と。そして、その変化を拒んで、やっぱり-として切るのじゃないかな。

自己と他者の価値観や生活感は当然違ってて、違ってるからこそ、そこに関わるときにお互いが変化していく、その変化がとても素敵なんだと私は思ってて。人間って1人じゃ変われないからね、だから他者との関わりの中で自己を覚知して確立して、そしてまた変わっていく中で、確立できた瞬間が自己肯定なんじゃないかなぁ~と。

生きてくことって、変化していくことなんだよね(笑)変化を望まない、自分は変わっていないと思っていたとしても、毎日の人との関わりの中から得るものがあって、与えられているものがあって。その相互作用が既に変化のプロセスの中にあるってことを自覚してね、得られた+を、与える+にしていくことって、それはまた自分に廻ってくる+になる、それこそ目には見えない廻り合わせ、仕合わせ、為合わせなんだと思うの。

大勢の人に囲まれて、楽しそうに振舞っている人を見ていると、時々、その中にさ、楽しそうなんだけど、この人ってきっと孤独で満足してないんだなぁ~って思う人が居てて。それは、なぜか不思議とその人が浮き上がって見えて感じられる時があるのね。

きっと孤独だからこそ、大勢の賑やかなところで、自分は孤独じゃないよって思ってるのだと思うのだけれども、目に見える形と、その内実は違うからね。やっぱり、居ることを楽しむってことも既にその変化に乗るってことでさ。変化を拒みつつ、でも、人と居ることで自分の孤独を気付きつつ、見ないふりをしてるって、すごく痛い人だなぁ~って思う時があります…。

孤独って悪いことじゃないと私は思ってて、1日のうち数時間を独りで過ごすことって、寂しいことじゃなく、フィードバックの時間だって思うのね。良いことも悪いことも含めた、1日の感謝の時間とかさ。その時には感じられなかったことを振り返ることで、こういう意味があったんだね、自分。って、自分への問いかけの時間が1人になる時間というか。

独りが寂しいから、他人とワイワイしたところで、ホントの孤独からは抜け出せないし、それは、より一層に孤独を増すだけなんじゃないかな…?

ナンかさぁ、そういう人の本質的なものを感じる時ってね。隠すことは辛いでしょ…。疲れるでしょ…。そのまま素を出したって否定する人は居ないよ。トカ、ちゃんと受け止めるから大丈夫だよ。とかって、なんだか切なくなるだよね。決して、口に出しては言わないけれども。それを言ってしまったら、その人にとってはもしかすると自分の生き方を全否定されているように感じるだろうし、簡単に今までの自分を変えることなんて出来ないから。

からこそ、今、変わることを恐れちゃいけないよ…。って心の中で思うのですよ。

失敗が許されない中で育った人は失敗を恐れるからこそ、守ることに必死なんだろうなぁ~と。失敗した時にね、「いいんだよ。大丈夫だよ」って抱かれることをしてこなかった人は、抱かれることすら知らないんだろぉ~ねぇ…。

自分で一生懸命に守らなくても、誰かが守ってくれるとか、抱きしめてくれる安心感を知らないって、痛くて切ないことだと思う。そういうことを知ったらば、もっと楽に生きられるのにね…。

そんな「楽」とかが、当たり前の中の幸せを感じられたり、与えられたりするのだろうし、自分の許容範囲を拡げていくことにもつながるのじゃないかな?受け入れる隙間がなかったら、それはただ不快なことで、違和感で。

その違和感を感じる自分が、なぜ感じるのかって自分の問いかけを繰り返していくことで、受け入れるってことに変えていくのは決して難しいことではなく。ただ単純に自分って我を捨ててみるってだけのことなんだけれど。やっぱり捨てずに蓄積された我は、それこそ、自分自身を捨てるって恐怖なんでしょうね…。

まぁ、まぁ、長々と色んな思うことや考えることを書きとめてみて(笑)
すっごく、良いタイミングで自分に良いことが起きてくれたなぁ~って思ってます!そして、昨日程に、全てのタイミングが合致した日は中々ないので、違う価値観で生きてる人達が、同じタイミングでものを言ったり行動していることの不思議さや、それを受け取けとれたことに感謝!

胸の支えが綺麗に、スーって消えました(笑)

捨てる神あれば拾う神あり。日本語ってすごいよね(笑)両方の神様が自分に御降臨あそばしたみたいな実感っていうか(笑)

1つの変化を受け入れて、少し、自分が変わったことが。こんなにも全てを変えるって世界観の変化に、単純に、みんなに「ありがとぉ^^」


赤ペンの色々

2008-07-03 | megummy's

昨日は旅行に出かける母を途中の駅まで車で送り、すっごく久しぶりにデニで朝ごはんを食べました。

母お気に入りの八幡平にあるホテルは、この間の地震で1度キャンセルしていたのにも関わらず、電話で確認してみたら被害はないってことで…。

すごい勢いで出かけて行きました。こぉ~いう時の母は妙にアクティブです。

私はというと、諸処の赤ペン使いに、お気に入りのがインク切れなのでホームセンターに出掛け、数本を纏め買してきました。たかが赤ペン、されど赤ペンです。あなどるなかれで、1日を赤ペン握ってる日なんて腕やら肩やらの疲れ具合が断然違います!

というわけで、私はPentel派(笑)

それからは、赤ペンを握り締めながら、レポートと格闘し…。

集中力が途切れた所で、ほっときっぱなしだった髪の毛をどうにかしようと美容室にTELをし、「今からおいでぇ~」に出かけてみると、超混雑状態(笑)

混んでるとこにおいでぇ~ってのも何だけど、待ってる間にタオル畳んでたり、お客さんのコーヒーを運んでみたりと、猫の手くらいのお手伝いをし、どうでも良い世間話なんてしながらの。

結局のところ、今回もやっぱり「美容師好み」の頭にしてもらいました(笑)いろぉ~んなオーダーを持ってくるお客さんが多い中、そのオーダーと自分の感性でカットしていくらしいのだけれども。美容師さんにも個人的な好みはあるらしく。

「自分の妹ならば、こぉ~いう頭でいて欲しいっ!」って、相変わらずのクルリンな巻き髪に、今回は、前髪を+で「短くして全部下げても良い?」に「良い」ってナンだかおかしな会話で、久々にストンとした前髪が登場です(笑)

「このまま、髪の毛、伸ばして」「じゃぁ、そぉ~するか」で。

毛先の3㌢くらいを切っただけの、前と大して変わりはなくなんだけどね。暫らくは、このままのクルクルで2年後くらいにストレートにするって言ってたので。

そっか、私は2年後にはストレートになるのか…。と爆笑しちゃいました!

少し切るだけで、頭も気持ちもスッキリしますねぇ(笑)

でもって今日は、午後からお仕事なので!しっかり、自分!デス。といっても、お昼には到着してて、ココでも赤ペン握って暫らく格闘ですが(汗)それがさぁ、個々の考えやら想いだからね、それに少しばかり触れることが出来るのは嬉しいんだよね。だから異様にインクが減るのだけれども…。

外を見ると、なんとなく不安定っぽいお天気なので。
「今日1日は降らないで」って、いつもと言ってることが違うじゃんって木曜日です!


忘れるっちゅぅ~コトは労力が必要ですね

2008-07-01 | megummy's
私、随分と早起きなので…。
4:30とか5:00に目を覚ますと、今の時季、お外はどんよりしてて。今日のお天気が解らないのね(笑)

やっぱり昨日も、「今日は雨か。」と思っていたら期待を裏切るお天気だったので、どうも釈然とせず、yahooの天気予報、大雨注意はどこにいったんだ?と不思議です。

少し前に頂いたアレンジメントのお花達は枯れてしまったけれど、一緒にちょこんとのっていた緑達を少し水切りして挿していたら、新しい芽が出てきました♪相も変わらずの気分は低空飛行で、今時季のお天気と同じくドンヨリしてますが…。

こんなちっちゃな新芽を見つけると、単純に安心しますね。って、その安心ってどんな意味なのか自分でもよくは解らないのだけれども。



水挿しポットに、早く根が張らないかなぁ~なんて楽しみにしている次第です!

昨日は、我慢ならない体中の傷みに鍼灸にいってきました。助手さんが今までの人とは代わっていて。「驚く程に鍼を打つんですねぇ」の一言に私も驚き。というか、それが普通なんだと思うくらいに全身鍼だらけで、頭から爪先まで、ついでにお灸なんて当たり前だと思っていたので、ちょっとびっくり(笑)

先生曰くの、私はアスリート系の細い筋肉らしく、しかも逞しいらしいので、そんな筋肉を持つ人には、鍼を多めに打ってもその反応に耐えうるらしいデス。

確かに、確かに、1本1本打ってもらう度に、ズドンってくる重さみたいなのがあって、暫らくすると、その部分が緩んでくるのが自分でも解るんですよ!

「こりゃぁ、満身創痍だねぇ…。」

って。そう、そうなの、自分と自覚するだけに。「身も心も」の身の部分は、どうにかお手当てしてもらえるけれど、心のお手当てっちゅぅ~のは上手い具合にいきませんねぇ…。

「心と身体は直結してる」って言葉に、「あぁ、今ならば。とってもよく解る」と心の中で頷きつつの。一時の感情が許容量を越えることは治まってきた様子ですが、限界ギリギリのところでどうにもならない感情を毎日持て余しております。

ただただ単純に、彼と一緒に過ごした数週間と同じだけの数週間が過ぎれば、時間という概念からしてみて納得できるかな?なんて馬鹿なことを考えてみたりしますが、彼の顔を最後に見てから2週間、今週が過ぎると3週間なんて数えていると逆に、「時間が解決してくれる」って「時間」は、決して一緒に居た時間に比例するものではないので。

解決してくれる時間が、1ヶ月なのか、半年なのか、1年なのか…?と想像すると、その時点で居たたまれなくなりますねぇ…。

そんなことばっかり考えて滅入っているのも何なので、ひたすら集中出来そうなものに神経を集中させて、一昨日から読み始めたジェフリー・アーチャーのゴッホは欺く上下巻を昨夜のうちに読みきってしまいました。

すごい展開の速さで進む内容って、こういう時には良いですね(笑)しかしながら、麻薬が切れたって感じもしなくもないので、次に集中できる読み物を既に模索中…。

忘れようと努めるから忘れられないにしても、じゃ、忘れずにそのままで感情の波が収まるのを待ちましょうっていうのも難しいもので。

こんな時の良い、対処法を知ってる人が居たならば。ぜひとも処方箋を頂きたいって思う次第の火曜日です。