昨日の大きなニュース。
ソウルの南大門炎上ってヤツです。
個人的にかなりショックを感じているのですが、コレに関して「ふぅ~ん・・・。」と思ったのが、私の周りにはこのニュースにえらく心を痛めている人が多かったってことかなぁ。
新聞記者をやってる人やら、韓国に駐在してた人やら、はたまた韓国にいったことのない友人まで。なんでしょうかねぇ、日本人だからこそお隣の国の惨事を自国の出来事のように受け止められるんでしょうか…。1つ言えることは、この方々は韓国の国民性をふかぁ~く理解してるってことでしょうかね。
つい数日前に、知人の息子、インターナショナルスクールの6年生に在籍してる彼から「国際問題について悩んでいる」って相談を受けました。
ことの発端は、韓国人の同級生達との会話の中で「俺達はいつか戦争にいかなきゃならないんだ」って一言に「戦争なんかしてないじゃないか」って返したコトから始まったようです。
なんか論点ズレてるだろぉ~と苦笑してしまいましたが(笑)
韓国って戦争が終わった国ではなく、あくまで休戦してるだけなんですよね…。守ることを放棄したその瞬間、自分の守るべきものが犯される恐怖は時として、自分の命をも擲って戦うという意識を裏付けるものだと思います。
ソウルの幹線道路が非常時には戦闘機の滑走路になったり、年に数回、有事を想定した避難訓練をしている国の。傍目からは何事もなく平和に見えるその日常も、根底に「いざ」って時の心構えがある国の国民は、当然、強いだろうと…。
「彼らはきっと、戦争なんてしたくないと思うけれど。戦うために戦場に行くんじゃなく、守るために戦うのでしょう」
「自分の命を懸けて、守るものの価値を、その歳ながらに解っているのしょう」
「銃を降ろしたその瞬間、大事なものが奪われる恐怖を代々の血脈に刻み込んでいるいるからこそ、その時には迷いなく引金を引けるのでしょう」
なぁ~んてコトを言いながら…。
「あなたは、何を背負っているの?」
「あなたの守りたいものはナンなの?」
「あなたが命を懸けて守るものの価値を知ってるの?」
と矢継ぎ早に聞いてみたら、黙ってしまった彼でしたが(笑)
きっと、そんな意識を以ってして、国を愛する国民性を持つ韓国の人達だからこそ、そのシンボルと成り得る国宝の焼失は、言葉では言い現せないくらいの喪失感なんじゃなかろうかと…。
そんなコトやらを、「南大門が焼けちゃったね」の第一声を発した友人と深夜のおしゃべりをしつつ。
じゃ、自分達、日本人はナンジャロカ…?と。
初めて陸路で国境を越えた時、日本国のパスポートという天下の宝刀を振りかざして通り過ぎて行った私は、確かに旅人で。間違いなく、日本という国に守られた日本人なのだなぁ~と無自覚に自覚しました。
厳しいチェックにうんざりしつつも。その行為自体が、国を守るためであって、延いては自分という日本人を守るが故の行為なのだと…。
と。
そんなセンチメンタルな感覚は、戦争をしない国の曖昧な平和ボケした当たり前の幸せの上に成り立ってる、なんとも御気楽な幸福が故に感じられるものであったりして(笑)
そんな日本人だからこそ、ユング心理学がなんとなく理解できるかも知れない!みたいな話の流れから、「えぇ~、オカルティズムかよっ」とドン引きされたんだけれども、よくよく考えてみても。八百万の神を信仰していたり、神様と仏様の区別が曖昧だったり、そこらへんに咲いてるお花やらに命の芽吹きを感じられる日本人って、それそのまま森羅万象の「混沌」の中にある調和の意味をよっく理解しているんじゃないかと思うのです。
それこそ、「無意識」に(笑)
「全ての混沌には調和が、無秩序の中には秘められた秩序がある」って感覚は、思慮深さを以ってして感じられる事柄なんじゃないかしら…?
まぁ、そんな深夜の戯言に。
時々、そんなくだらない話を真剣に相手してくれる友人に感謝と(笑)
日本国内にも、無警戒に立っている美しい国宝の建築物は多い中で。
その時々の時代を経た、戦争ですら焼かれなかったという人間の最低限の良心に支えられて保存されてきた建造物は。その最低限の良心という性善説すら覆されちゃうのかしら…。と。
お隣の国の事件が他人事ではなく、痛く感じられました…。
ソウルの南大門炎上ってヤツです。
個人的にかなりショックを感じているのですが、コレに関して「ふぅ~ん・・・。」と思ったのが、私の周りにはこのニュースにえらく心を痛めている人が多かったってことかなぁ。
新聞記者をやってる人やら、韓国に駐在してた人やら、はたまた韓国にいったことのない友人まで。なんでしょうかねぇ、日本人だからこそお隣の国の惨事を自国の出来事のように受け止められるんでしょうか…。1つ言えることは、この方々は韓国の国民性をふかぁ~く理解してるってことでしょうかね。
つい数日前に、知人の息子、インターナショナルスクールの6年生に在籍してる彼から「国際問題について悩んでいる」って相談を受けました。
ことの発端は、韓国人の同級生達との会話の中で「俺達はいつか戦争にいかなきゃならないんだ」って一言に「戦争なんかしてないじゃないか」って返したコトから始まったようです。
なんか論点ズレてるだろぉ~と苦笑してしまいましたが(笑)
韓国って戦争が終わった国ではなく、あくまで休戦してるだけなんですよね…。守ることを放棄したその瞬間、自分の守るべきものが犯される恐怖は時として、自分の命をも擲って戦うという意識を裏付けるものだと思います。
ソウルの幹線道路が非常時には戦闘機の滑走路になったり、年に数回、有事を想定した避難訓練をしている国の。傍目からは何事もなく平和に見えるその日常も、根底に「いざ」って時の心構えがある国の国民は、当然、強いだろうと…。
「彼らはきっと、戦争なんてしたくないと思うけれど。戦うために戦場に行くんじゃなく、守るために戦うのでしょう」
「自分の命を懸けて、守るものの価値を、その歳ながらに解っているのしょう」
「銃を降ろしたその瞬間、大事なものが奪われる恐怖を代々の血脈に刻み込んでいるいるからこそ、その時には迷いなく引金を引けるのでしょう」
なぁ~んてコトを言いながら…。
「あなたは、何を背負っているの?」
「あなたの守りたいものはナンなの?」
「あなたが命を懸けて守るものの価値を知ってるの?」
と矢継ぎ早に聞いてみたら、黙ってしまった彼でしたが(笑)
きっと、そんな意識を以ってして、国を愛する国民性を持つ韓国の人達だからこそ、そのシンボルと成り得る国宝の焼失は、言葉では言い現せないくらいの喪失感なんじゃなかろうかと…。
そんなコトやらを、「南大門が焼けちゃったね」の第一声を発した友人と深夜のおしゃべりをしつつ。
じゃ、自分達、日本人はナンジャロカ…?と。
初めて陸路で国境を越えた時、日本国のパスポートという天下の宝刀を振りかざして通り過ぎて行った私は、確かに旅人で。間違いなく、日本という国に守られた日本人なのだなぁ~と無自覚に自覚しました。
厳しいチェックにうんざりしつつも。その行為自体が、国を守るためであって、延いては自分という日本人を守るが故の行為なのだと…。
と。
そんなセンチメンタルな感覚は、戦争をしない国の曖昧な平和ボケした当たり前の幸せの上に成り立ってる、なんとも御気楽な幸福が故に感じられるものであったりして(笑)
そんな日本人だからこそ、ユング心理学がなんとなく理解できるかも知れない!みたいな話の流れから、「えぇ~、オカルティズムかよっ」とドン引きされたんだけれども、よくよく考えてみても。八百万の神を信仰していたり、神様と仏様の区別が曖昧だったり、そこらへんに咲いてるお花やらに命の芽吹きを感じられる日本人って、それそのまま森羅万象の「混沌」の中にある調和の意味をよっく理解しているんじゃないかと思うのです。
それこそ、「無意識」に(笑)
「全ての混沌には調和が、無秩序の中には秘められた秩序がある」って感覚は、思慮深さを以ってして感じられる事柄なんじゃないかしら…?
まぁ、そんな深夜の戯言に。
時々、そんなくだらない話を真剣に相手してくれる友人に感謝と(笑)
日本国内にも、無警戒に立っている美しい国宝の建築物は多い中で。
その時々の時代を経た、戦争ですら焼かれなかったという人間の最低限の良心に支えられて保存されてきた建造物は。その最低限の良心という性善説すら覆されちゃうのかしら…。と。
お隣の国の事件が他人事ではなく、痛く感じられました…。