行雲流水の如くに

農的循環社会への道ーー生産者、流通業者、消費者それぞれに責任がある

この数年、嵐のように襲ってきたものはコロナ過であり食品価格の高騰だ。

世界に目を転じればロシアによるウクライナ侵攻もある。

そしてじわじわ進んでいるのが日本農業の迷走と食生活の劣化だ。

 

日本がかろうじて自給出来ているのが米と野菜くらいだろうか。

その米さえも農家は自由に作れない。

所得補償して農家に作りたいだけ作ってもらって、余ったら輸出すればよいのだが、逆にアメリカから毎年36万トンも輸入している。

どうもやることがトンチンカンだ。

 

これから推進すべきは、「自然の摂理に従った農業」だ。

それは「有機農業」もしくは「減農薬農業」であろう。

だいたい肥料や農薬も大部分海外から輸入している。それらが思ったように入らない。

十分に入ってこないのならば否応なく減らす努力をすべきだろう。

 

消費者は形の良い野菜などにこだわってはいけない。

少々不ぞろいでも当たり前に売れるのであれば、流通は規格にこだわらないだろうし、おそらく価格も安くなる。

農的循環社会を目指すためには、生産者、流通業者、消費者が手を携えて小さな選択を繰り返すことがおおきなうねりになるのだ。


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コメント一覧

megii123
楕円と円さん、こんにちは。
建設的なご意見をありがとうございます。
リタイア後も農業の分野に関わっておられることに敬意を表したいと思います。

確かに誰が「規格品」を求めているのか?
この辺りから問題点を洗い出すべきなんでしょうね。
もし流通側が自分たちの都合の良いように考え出したというのであれば、改善の余地はあります。
消費者がもっと声を出すべきなんですね、あるいは賢く買い物をすべきなんだと思います。
dsnchar1
行雲さん>おっしゃるとおりです。
農作業の手伝いに行っていて、聞いてはいたけれどあまりに細かい「規格」で、農家にとっては厳しく不合理なことに改めて驚いています。
私は〝消費者〟という言葉は昔から懐疑的で、それは〝流通〟の分野の声ではないかと思っています。
野菜、果物は輸送の利便性、陳列のし易さからダンボール詰め、トレイ詰め用の「規格」が生まれたと考えられます。
穀物類は江戸時代の〝ハネ品で金儲け〟という商慣行を引きずっています。色合い、艷は買い叩くために生まれたと考えられます。
日本も欧米のように売り場で買う人が選択する方法を採り入れる時代です。
仕事で関わってきた者には忸怩たる思いです。




消費者は形の良い野菜などにこだわってはいけない。

少々不ぞろいでも当たり前に売れるのであれば、流通は規格にこだわらないだろうし、おそらく価格も安くなる。

農的循環社会を目指すためには、生産者、流通業者、消費者が手を携えて小さな選択を繰り返すことがおおきなうねりになるのだ。
megii123
shimaさん、こんにちは。
コメをアメリカから輸入して日本の農家のコメ生産を「自主規制」という形で制限しています。
これは日本の自動車産業を守り、農業を生贄として差し出すという何とも自立心の無い卑怯なやり方ですね。
対米貿易上どうしてもやむを得ないというのであれば、農家に所得補償をすべきです。

岸田政権はさらに悪いとことにバイデンの言われるがままに「防衛費倍増」という政策を打ち出しました。
その大部分は、アメリカで不要になったポンコツ武器を買うわけです。

消費者はもっと賢い消費者運動をすべきですね。
御指摘の通り、価格高騰を黙って受け入れるのではなく、規格外の商品を流通させる方法を考えて価格をもっと下げさせるべきだと思います。
fumiel-shima
行雲さんおはようございます。

全て仰る通りだと思います。

農家の米の生産を制限し、他国から輸入するとは本末転倒・・
日本は長年にわたり、いったい何を考えて来たのか?・・
現政権もそれを不思議だと思わないのか・・・と思います
また規格に合わない農産物の多くは廃棄処分され、食品ロスを増加させる一因になっているんですよね。

「規格」の設定も解りますが、「規格外」の品物の活用をもっともっと真剣に考えるべきだと思いますね。
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