僕たちの仕事は相手の問題点を挙げてツッコミ倒すことではなく、受け止めていくことから始まると思うんです。受け止めて人を元気にする技法を最近、枝雀師匠の「代書」から学びました。以前にも載せましたが、今回ブリコラージュに掲載されましたので、再アップさせていただきます。「お笑いに学ぶ認知症ケア(落語編)」ぜひ読んでみてください10月号24ページ。そしてどうか枝雀師匠の名演に触れてみて下さい(ツタヤでレンタル可です)。きっとあなたのケアの考え方をまた新しくしてくれると思います。それではど-ぞ!
お笑いに学ぶ認知症ケア(落語編) ~よき受け止め手になる方法~
「お笑い」は人を元気にするアイデアの宝庫だというのが大阪人の僕の持論です。以前、お笑いから学ぶ認知症ケア「ボケ編」と「ツッコミ編」を書きました(雑誌ブリコラージュ2011年5・6月号参照)。読んでくれた方から「認知症者との関わり方の参考になった」「お年寄りにツッコミばかり入れてたので反省しました」といった反響をいただきました。今回は古典芸能の「落語」から人を元気にするケアの秘策を学んでみようと思います。
「笑いは緊張の緩和である」 ------ 桂枝雀
お笑いに学ぶ認知症ケア「落語編」で、教えを乞うのは桂枝雀師匠(1939―1999)です。師匠はほんわかした語り口、めまぐるしい百面相のような人物の演じ分け、お客をひきつけて離さないストーリー展開で、観客を笑いの渦に巻き込み、爆笑王の名をほしいままにした落語家です。師匠は「笑いとは緊張の緩和である」という言葉を残しておられます。師匠の洞察に「そうか!」と僕は膝を打ちました。「笑いとは何か?」という謎がありますが、師匠の言うように、笑いは緊張が緩和された時に生まれるものだと考えると合点がいきます。もともと笑いとは息詰まる緊張状態から解放された時に思わず洩れる「ハァ~、よかった」、「ホッ、助かった」などの「ため息」が原型なのだと思います(笑いがハハハとかホホホとかハ行なのは、その「ため息」の名残と考えられませんか)。いにしえの昔、人間がまだ原人だった頃、天敵の多い環境では、一難去ってまた一難、身の危険を感じて警戒し、ほっと胸をなで下ろす、そんな場面の繰り返しだったことでしょう。身の危険が去り「まだ生きれる!」という「快」の感覚が笑いには備わっているのです。そう考えると、「笑い」とは我々の生命活動と深い関わりのある感情表現であると言えないでしょうか?
僕らは職業柄、「食欲がない」「尿意がない」といった、お年寄りの生理的不調を心配しますよね。それなら感情表現に「笑いがない」という人も同じように心配しなければいけません。お年寄りが「笑わない」ということは、直接生命に関わる緊急事態といってもおおげさじゃないのです。でも、よく勘違いして「笑わせたら勝ち」的な関わりがみられることがありますが、あれはいただけない。笑いの強制だと思います。ただ笑わせることが目的になってはいけません。オムツにうんこをはさんで人は笑えるでしょうか?(まぁ笑うことも不可能ではないでしょうが・・・)そんな笑いにはなんの意味もありませんね。その人の合った排泄ケアをして、生理的な「不快」を取り除くことが先でしょう。そうして自然と笑える「快の環境」、笑いあえる「快の関係」がそこにあるかどうか、をもっと重視しなければいけないと思います。
名作「代書」を聴く
1.「笑い」は人の生命活動と深くかかわる感情表現である
2.笑わせることではなく、自然と笑える心地よい環境・関係づくりが大事
・・・ということを押さえた上で、落語の鑑賞に入ります。桂枝雀師匠の十八番(おはこ)「代書」にみられるケアの極意について学びます。
「代書」のあらすじ・・・
昔は字を書くことができない人も多く、代書屋という職業があった。現代でいうなら行政書士のような仕事。その代書屋に履歴書をつくりにきたのが40代の学のない男、トメ五郎。履歴書を代書してやろうと代書屋はトメ五郎の幼少時代や過去の職業について質問するが、それに答えるトメ五郎はすぐに興奮して、話を脱線させてしまう。職業経験も書きにくいようなものばかり(たとえば、『夜店を出したが寒くて2時間でやめた!』など)、それをなんとか恰好がつくように仕上げよう、と代書屋は四苦八苦する。あっけらかんとしたトメ五郎に生真面目な代書屋は振り回され、なかなか履歴書はできあがらない・・・。
僕の研修会の人気コーナー「お笑いに学ぶ認知症ケア」でこのビデオを流し、参加者と大笑いしながら見終わった後、僕は質問しました。なぜ、代書屋に来たトメ五郎はどんどん元気になっていったと思いますか?実際、話が進むうちにトメ五郎のテンションは来たときと比べて数倍にも上がっていきます。参加者から「自分の過去の話を代書屋さんが懸命に聞いて、格好良く書いてくれたから元気になったのではないだろうか?」と鋭い答えが返ってきました。代書屋は興奮したトメ五郎の無駄話を聞かされ、仕事なので仕方なく体裁をつけていきます。しかし、この長々とした(どーでもえーような)トメ五郎の経歴が代書屋の手にかかると、かっこいい履歴書に仕上がっていきます。ちょっとそのシーンを抜粋してみます。
ト:トメ五郎 代:代書屋
ト:だいたいは、わたいはガタロだんねん
代:「ガタロ?」何やその「ガタロ」て?
ト:あんたもこんな賢い仕事してて、案外もの知らんな!ガタロちゅうて胸までのゴムの長靴はいて、川へ入ってな、金網でガサ~ッと砂利の中から鉄骨とか、ゴム靴片方とか拾ろてるやつがおまっしゃろ。
代:はぁはぁ、あれガタロちゅうのん。初めて聞いた「ガ、ガタロ~……」こんなん、履歴書にどない書こかな
ト:どないだっしゃろなぁ「ガタロ商を営む」ちゅうのん、あかんか!
代:ちょっと黙ってなはれ。えぇ~ッと(サラサラと筆で書き付ける)「河川に埋没したる廃品を収集して生計を立つ」と。
ト:(嬉しそうな顔で)うまいもんやなぁ、「生計を立つ」そぉ書くと商売がグッとよぉ見える!
よき「受け止め手」は人を元気にする!
トメ五郎が話せば話すほど元気になっていったのだから、代書屋の対応には、なにか人を元気にする秘密があるのではないか?そう考えるうちに、この代書屋の振る舞いが優れたケースワーク技術とケアの黄金則「居場所と役割づくりの3条件」に裏打ちされていることがみえてきました。
《居場所と役割づくりの3条件》
1.かつてやっていたことかそれに近いこと
2.今でもできること
3.周りの人に認められること 三好春樹「痴呆論」(雲母書房)
この条件が揃うと人は元気になるので、僕もお年寄りが元気がないときは、この3条件を満たす活動はないかと必死に探します。なぜ、この条件が満たされると元気になるのか?その秘密を代書屋は図らずも教えてくれています。人は自分の過去を肯定されたり、ありのままを受け止められたりすると「今までしてきたことが間違いじゃなかった」そんな気になって元気になるのです。代書屋は、トメ五郎の職歴を格好良く記載し、過去を肯定する存在となっています。言い換えると、トメ五郎の人生の「受け止め手」になっているわけです。ホントカナ?と思うでしょ。代書屋の仕事を以下に分析してみますね。
代書屋の仕事に隠されたケアの側面
1.トメ五郎に過去の出来事を自由に語らせる(←回想法を導入し、一生懸命傾聴している)
2.うまくいかなかった仕事もあるが、どれも否定せずに書き取る(←四苦八苦しながら履歴書に書き、失敗した過去を受容)
3.本人の人生を一枚の履歴書に仕上げ、次の仕事にありつけるように援助する(周囲との開かれた関係の構築)
と、こう考えると、代書屋は自然な振る舞いの中にケースワークの原則を取り込み、「居場所と役割づくり」を実践しているのです。このように人を元気にするケアの実践者は、まず一流の「受け止め手」であるべきなのだと思います。皆さんもよき「受け止め手」になるために、ぜひこの「代書」を聴いてみてください。きっと偉大なる枝雀師匠に弟子入りしたくなるはずです!