松本健史の「生活リハビリの達人」になろう!

超高齢社会の切り札「生活リハビリの達人」になる!講師・原稿依頼は matumomo@helen.ocn.ne.jp まで

NPO法人内 勉強会「明日から使える生活リハビリ」開催しました

2012年05月25日 | Weblog
デイサービス「生活リハビリ道場」を会場にして、
動きを引き出す介助法について勉強会をおこないました。
NPO法人丹後福祉応援団も、職員数が増え、お互い初対面の人が多く、同じ法人だけど
自己紹介からはじまりました。
6:30~8時に終わる予定が30分延びましたが、最後まで熱心に参加してくださり、ありがとうございました。
少しでも明日から使えることがあったらうれしいです。
みなさん、地域のため、家族のため、未来のため、仕事頑張っていきましょう!

意見が割れたら終わり!?職場の人間関係に効く映画『豚がいた教室』

2012年05月23日 | Weblog
今の世の中、ナイーブな人が多くて、職場で意見が割れたら終わりって思ってしまってます。
互いの意見が食い違ったら、人間関係に溝ができてしまい、もうそれから
「あの人とは合わない」、「もうしゃべらない」、「一緒に仕事したくない」、なんてなってしまいやすい。

意見が割れたら退職していく人もいます。なんてモッタイナイ!
仕事はそこから!そこから!
互いの違いを認識して、わかり合える部分を積み上げて、人間関係を崩さず、建設的に話しができたらすごい職場になるはず。

どこでも多かれ少なかれある、人間関係のギクシャク。
今日はツキイチの生活リハビリ道場全体ミーティング。6時半から9時までの2時間半、議題の中心は連携が難しい職場環境をどうしたらうまくいくか、について話し合いました。
意見をぶつけ合って、いろんな意見が存在し、「みんな違ってみんないい」、という職場づくりができたらと思い、この映画をみんなでみたいなと一枚のDVDを僕は用意しました。
映画「豚がいた教室」を10分間上映、子供たちの圧巻の議論のシーンをみてもらいました。映画が始まって1時間5分ぐらいのところから10分間、子供たちの台本のない議論がみれます。
この子供たちのストレートな思いのぶつけ合いをみると、大人の僕たちはもっと恐れず、意見を言い合っていいんじゃないかって思います。
リハビリ、介護の世界には答えのない問題がごろごろしています。飼育した豚を食べるか、食べないか、で子供たちが議論したように、例えば、たばこを吸いたいという人に「やめておいたほうがいいですよ」というのも「いや、もう長生きしてきたんだから、好きに吸ったらいい」というのも、どちらもありえます。どっちが正しいか、なんて誰にも言えないと思います。白か黒かではなく、グレーゾーンでお年寄りと関わり、その日その日の答えを見つけていくのが僕らの仕事なのではないでしょうか?



「豚がいた教室」(2008年)
あらすじ
6年2組の新任教師の星はこどもたちに「先生はこのブタを育てて、最後にはみんなで食べようと思います。」と提案。6年2組は騒然となる。ブタにPちゃんと名づけ、校庭に小屋をつくり、交代しながらえさやりから掃除、糞尿の始末まで生まれて初めての作業に戸惑う子どもたちであったが、やがてPちゃんに家畜としてではなくペットとしての愛着を抱くようになっていた。卒業の時は迫り、星はPちゃんをどうするかみんなで話し合って決めてほしいと提案。クラスの意見は「食べる」「食べない」に二分されてしまう。



ブタがいた教室 (通常版) [DVD]
クリエーター情報なし
NIKKATSU CORPORATION(NK)(D)



ちなみにうちの職場でも意見が2分し、豚のPちゃんを「食べる人」7人、「食べない人」5人、「保留」2人となりました。




痛みは避けられない、でも苦しみは自分次第だ

2012年05月16日 | Weblog
走ることが好きになって、もう6年がたつ。娘が小学校1年の時のマラソン大会でがんばっているのをみて
「俺も走ろう・・・。」と出てきたおなかをさすったのを覚えています(笑)。


村上春樹さんが走ることについて語った一風変わった本があります。
「走ることについて語るときに僕の語ること」(文芸春秋)
僕はこの本が大好きで、何度も読み返し、線だらけです。
こんな一節があります。

走ることは、僕がこれまでの人生の中で
後天的に身につけることになった数々の習慣
のなかでは、おそらくもっとも有益であり、
大事な意味を持つものであった。
そして二十数年間途切れなく走り続けること
によって、僕の身体と精神はおおむね良き方
向に強化され形成されていったと思う。


走ることで自分も鍛えてもらいました。
フルが走れてから、体調を崩しにくくなったし、いろんな場面でのスタミナがついたかなと思います。
締め切りのある仕事が来てもなんとか乗り切れるようになりました。


もう一カ所好きなところです。

“Pain is inevitable. Suffering is optional.”


あるときパリのホテルの部屋で寝ころんで、
インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙を
読んでいたら、マラソン・ランナーの特集記事が
たまたま載っていた。
何人もの有名なマラソン・ランナーにインタビューして、
彼らがレースの途中で、自らを叱咤激励するために
どんなマントラを頭の中で唱えているか、という質問を
していた。なかなか興味深い企画である。

 その中に一人、兄(その人もランナー)に教わった文句を、
走り始めて以来ずっと、レース中に頭の中で反芻していると
いうランナーがいた。
Pain is inevitable. Suffering is optional.
それが彼のマントラだった。正確なニュアンスは
日本語に訳しにくいのだが、あえてごく簡単に訳せば、
「痛みは避けがたいが、苦しみはオプショナル(こちら次第)」
ということになる。たとえば走っていて
「ああ、きつい、もう駄目だ」と思ったとして、
「きつい」というのは避けようのない事実だが、
「もう駄目」かどうかはあくまで本人の裁量に
委ねられていることである。この言葉は、マラソンという
競技のいちばん大事な部分を簡潔に要約していると思う



「痛みは避けられない、でも苦しみは自分次第だ」
今年の箱根駅伝のCMで仲間由紀恵さんが朗読していた印象的なフレーズです。


今置かれている状況がどんなものであれ、それを「もはやこれまで」
とあきらめてしまうのか「お、鍛えてくれるね」と立ち向かえるのか。
同じ状況もとらえ方次第。苦しみはオプショナル、いい言葉だと思います。




走ることについて語るときに僕の語ること
村上 春樹
文藝春秋



すてきな詩に出会いました 

2012年05月12日 | 暮らすこと、生活リハビリにもとても大切
フェイスブックでいろんな人とつながり、いろんな考え方、暮らし方に触れています。
先日、ある方がすてきな詩を紹介してくれましたので引用させていただきます。
吉野弘さんの「生命は」という詩です。
お時間のある方は読んでみて下さい。


「生命は」
  吉野 弘

生命は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃っているだけでは
不充分で
虫や風が訪れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命は
その中に欠如を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分
他者の総和
しかし
互いに
欠如を満たすなどとは
知りもせず
知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄
ときに
うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように
世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻(あぶ)の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻(あぶ)だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない


(『吉野弘 詩集』角川春樹文庫 より)


療法士.comさんのブログテーマがタイムリーに「あなたのモチベーションの保ち方は?」というテーマでした。
うーんと考え込んでたんですが、
いままで、モチベーションの持続って自分の技術・経験・能力で困難な状況を切り開くこと、困っている人の役に立つこと!
なんて思ってましたが、この詩を読んで、そんなことではないな・・・と感じました。
あるときは自分が知らぬ間に、誰かの役に立ったり、命をつないだりしている。またあるときは自分が命をつないでもらっている。
そして、気づきもしない、お礼も言ってない、その人のことをうとましく思っていることさえあるのかも・・・なんて考えました。
今日も生きて、やれることをやろう。

理学療法士・作業療法士のサイト 療法士.com




PT森田さんの開設したデイにお邪魔してきました。

2012年05月09日 | Weblog
 


PTの森田浩史さんが開設したデイ「おはな」(宇治市)にお邪魔してきました。
構想2年、奥さんや家族を説得してついに今月開設されました。
おめでとうございます!(写真中央が森田夫妻)

 民家を改修し、生活の中でできるリハビリをメインに定員10人のデイサービスです。
ウッドデッキのある庭、ヒノキの生活リハビリ浴槽、男性の尊厳!?立ち便器のあるトイレ・・・。
いろんなところに思いの詰まったとてもすてき施設でした。
振り子時計、昔ながらの家具と照明のある空間でとてもゆったりとした雰囲気がありました。
これからどんなエピソードが生まれるか、とても楽しみです。


 森田さんの話を聞いていてとても感銘を受けたことがありました。
老健で働いていた頃、後輩からの質問「地域の認知症老人になにができますか?」
という問いに「現時点では何もできない」と森田さんは答えたそうです。
そしてその後から「なにができるだろう?」とずっと問い続けたそうです。

「ある問いが頭に鳴り続ける」そのとき自分のミッションがそこにある。

森田さんはきっと、この問いを自分のミッションとして追求し、カタチにしてこられたのだと思います。
その答えが「自分の住む地域でのデイの開設」だったのです。

とにかくおめでとうございました。これからいろんな困難もあるとおもいますが、
奥様、職員さんと力を合わせてがんばってください。微力ながら応援したいです。
森田さんの経験からまたいろいろ教えてください。
お互いがんばりましょう!!