山奥の鍛治工房

趣味でやっている鍛冶作業の記録

夏越祭にて

2007-07-16 18:24:46 | Weblog
今回は画像なし。
7月15日(日)
親類宅へお邪魔しました。夏越祭があり、神事として茅の輪をくぐって参りました。
無病息災を願う祭りです。
親類宅には、九州から叔母と従兄弟、広島に僕はおるけども、もう一人の従兄弟も
帰って来ておりました。
夕食も一緒によばれてしまったのですが、その時、伯父から貴重な話を聞くことができました。
鍛冶関係の話ですが、今現在鍛冶道具を形見としていただき使わせておる訳ですが、
親類のおじいさん(故人。今生きておられたなら98歳)は、店(工房)を構える以前は
大手建設会社に乞われて、工事現場に赴き、作業現場で削岩機のビット(通称ノミ)を
修繕していたとのこと。(終戦直後の話)
 つまり、渡り鍛冶と呼ばれる、店を持たない鍛冶屋だったと言うことでありました。
 作業小屋も道具類もみな建設会社が用意したといいますから、待遇されていたのでしょう。
 工事現場は終われば別の場所に移動するので、その度にその現場に乞われて行くという
案配だったようで、結局は、子供がおるし、そのたんびに変わるのはとてもやれんし子供が可哀想な、と言うて
やめちゃったそうです。
 店を構えてからもしばらく、たびたび乞われたらしいです。
開店当時の営業品目
農具の製作、修繕。建設工具の製作および修繕。漁具の製作、瓦用工具の製作、修繕。ときに蹄鉄製造。家庭用打刃物製造。
 燃料についても、昔ながらの松炭でやっていたけれども炭焼きさんがあまりいなくなったため、価格が上がって、
結局コストの安いコークスに変えたと言うエピソードも。
 コークスで鍛えたものと松炭で鍛えたものと、同じ製品なのに全く異なる仕上がりになった、とオヤジが言いよった。
とも聞きました。
 ハナシを聞き終えて、ふとした疑問が。
 弟子入りした鍛冶屋はどこだったのだろう?
 伯父に聞いても、解りかねるようでした。
 これほどオールマイティに作っていたなんて…。
 

 
 

  
 

本日の作業

2007-07-08 18:00:35 | Weblog
本日の作業(7月8日(日曜日)8時30分開始~11時30分終了)
 新金床での初めての作業。
 叩き心地は抜群。ぐらつかないし、甲高く響きもしない。
 工具用の穴があるので、まずそれに差して使う固定タガネ(刃はなく、主に荒延ばしに使用)を製作。
 火床に火を熾すとき、たき付けの枯れ竹をてんこもりにしたがために細工房は煙だらけ。しかも湿っていたのでなおさら煙かった。
 1・8キロハンマーの柄は、竹の集成材で作られていたため青カビがものごっつ生えてました(爆)
 固定タガネを制作するにあたり、使用した素材はかれこれ5~6年前にかの有名なピッケル作家の二村氏に頂いたクサノミ(石を割るクサビ。セリヤのこと)を使用。太さも手頃なのを叩きのめして穴の大きさに細め、実際に穴に差して叩き据え込んで整形。
 そのままの勢いで、焼き鈍しもせずエンジンオイルで焼き入れをした。しっかり入った。
 ヤスリがかからない。グラインダーに当てて刃先を丸く仕上げる。このときに散った火花は、長く二分裂し、花粉らしき火花が見られたので、これはS50C相当の鋼と思われた。
 いっぽう、続いてこの固定タガネを用いて、秋田型ナガサを制作するべく積層材を鍛え、鋼を張り合わせた時点であれあれ?
 ボケました。どっちに鋼つけたかいな~。
 おまけに滅多にポカしないのだが、やっちまいました。オーバーヒート。
 先端4センチは完璧に涙をのんで切断するしかないです。
 およよ~。