今、憲法改正が声高に叫ばれている。
そもそも憲法とは何なのか?
こんな基本的な、根本的なことすらよくわかっていないということに気がつく。
憲法というと法律の「親玉」のような印象を漠然と持ってしまっている。
戦前の「大日本帝国憲法」は伊藤博文が欧米視察の末に、立憲君主制が強いプロイセンの憲法にヒントを得て作成したと教科書には書いてある。
また、戦後の日本国憲法は戦勝国であるアメリカによって「押し付けられた」とされるものである。
前者は、非民主的で後者は民主的と、それぞれ性格は大きく異なるが、どちらも「西洋」にそのルーツとしている。
小室氏は、冒頭に憲法を次のように定義している。
憲法とは、
西洋文明が試行錯誤の末に生み出した英知であり、
人類の成功と失敗のいきさつを明文化したものである。
つまり、憲法を学ぶということは、すなわち西洋の歴史を学ぶということに等しい。
本書もそれを主眼において書かれているので、かなりの分量を歴史的な記述に割いている。
長い歴史の中での試行錯誤が憲法をつくらしめ、そして修正せしめてきたのだ。
これを読むと日本という国が憲法を不磨の大典のごとく、後生大事にしている現状がむしろ奇異に見えてくる。
そもそも憲法とは何なのか?
こんな基本的な、根本的なことすらよくわかっていないということに気がつく。
憲法というと法律の「親玉」のような印象を漠然と持ってしまっている。
戦前の「大日本帝国憲法」は伊藤博文が欧米視察の末に、立憲君主制が強いプロイセンの憲法にヒントを得て作成したと教科書には書いてある。
また、戦後の日本国憲法は戦勝国であるアメリカによって「押し付けられた」とされるものである。
前者は、非民主的で後者は民主的と、それぞれ性格は大きく異なるが、どちらも「西洋」にそのルーツとしている。
小室氏は、冒頭に憲法を次のように定義している。
憲法とは、
西洋文明が試行錯誤の末に生み出した英知であり、
人類の成功と失敗のいきさつを明文化したものである。
つまり、憲法を学ぶということは、すなわち西洋の歴史を学ぶということに等しい。
本書もそれを主眼において書かれているので、かなりの分量を歴史的な記述に割いている。
長い歴史の中での試行錯誤が憲法をつくらしめ、そして修正せしめてきたのだ。
これを読むと日本という国が憲法を不磨の大典のごとく、後生大事にしている現状がむしろ奇異に見えてくる。