新・シュミのハバ

ついに、定期小説の更新スタート!!!
いつまで、続くのやら・・・。

透明人間、14

2008-05-13 23:09:00 | 連載小説
14

僕は一体、何をしようとしているのか。

過去の幸せにすがって生きていくなんて、醜いことだと分かっていた。このバスが向かう先が、天国じゃないと分かっていた。
絶望の泉に潜り込んでいた。
誰の声も届かない水の底に、行く手を塞がれてた。
外の世界から見たら美しく見える世界に潜む闇。そこから手を伸ばしても、涙を流しても、何の変化もなく何の意味もない世界に、きっと僕は身を潜めている。
そんな闇の中を進むバスは、大きく揺れながらいつか見た景色を通り過ぎていく。

「斉藤さん・・・。」

ぼんやりと声を漏らす。もう力ない、心も篭らない声を、自分の意思と関係なしに僕は呟いていた。

「僕とサキは、幸せそうでしたか?」

自分の声が遠くから聞こえてくるような、不可解な感覚が僕を襲う。目の前を覆う涙の粒が、引っ切り無しに僕の世界をぼかす。

サキの笑顔が、バスの窓に反射していた。はっとして振り返ってみても、そこにサキはいなかった。
記憶の世界と現実の世界が混ざり始めているんだ、と気付く。
まだ胸の奥にしまい込めない思い出が、すぐ傍で僕の目に映り込んでいる。
確かに僕らは幸せだった。
でも、第三者の確かな言葉が欲しかった。
確かめてみたかった。
あの頃の曖昧な二人を、確かな記憶に変えたかった。どんなカップルよりも、幸せそうだと言われたかった。サキの笑顔が本物だったと、証明して見せたかった。
だけど、斉藤は黙っていた。
ただ前を向いて、静かにハンドルを握っていた。僕のことを悲しい顔で見つめることもせず、沈黙を貫いていた。
それが優しさだと気付くこともなく、僕は僕から離れていった。

段々と空白になっていったこの一年間は、両手ですくった水が流れ落ちていくように、肌の冷たさを残したまま、風に吹かれてむなしさが残った。
体が宙にふわふわ浮いているような、気持ち悪い感覚に満ちていた。
気がつくと、印象深い風景が窓の外に広がっていた。はっとして、目を見開いた。ようやくあの場所に着いた。バスががたんと揺れて、止まる。
感覚のない手で、僕はドアを開けた。
斉藤は、バスから降りようとせず、無我夢中であの展望台へと走って行く僕を、心配そうに見つめていた。何か言いたげな顔をしていたものの、相変わらず黙り込んでいた。
感情が絡み合って、正しい判断が出来なくなっている中、足はがむしゃらに前に進んだ。
繋ぐ手も、サキの横顔もない現実に慣れないまま、僕はあの場所に着いた。
二人で感動し合い、二人の思い出を埋めたあの場所。
天国の入り口のように見えた。
サキと二人でいた頃は、未来が広がっているかのように見えていたこの景色も、すっかり姿を変えていた。
あの頃のように、太陽はギラギラと肌を焼き、真夏の世界を創っていた。
暑い、という感覚はなかった。
ただワケもなく胸の鼓動は高鳴って、はじけて僕のすべてを溶かした。

すうっと意識が飛んでいくのが分かった。また現実から逃げようとしているんだ、と自分で理解した。隣でサキが笑っていた。その横で僕は泣いていた。永遠に越えられない過去と今の壁が、僕らの間にはあった。
早く、自分の中のサキの存在を消し去れなければならない。
サキの手の感触も、肌の柔らかさも、まだ忘れられない自分が愛おしかった。

やっぱり、出会わなければ良かったのか。
その問いに出す答えはただ一つ。僕はすべてをサキに捧げた。サキに恋して、生きる理由を見つけたから、きっと出会えて良かったんだ、と。

深呼吸した。もやもやした気持ちを吐き出すために、大きく息を吸い込む。・・・

タイムカプセル。

ふと、サキの言った言葉を思い出して、衝動的に僕はしゃがみこんだ。まだ埋っているだろうか。サキが生きた証は、今もまだあるだろうか。
僕は土を掘り出した。手が土で真っ黒になるまで、無我夢中で土をかき出した。狂ったように、必死だった。幸せだったことの証のように思えたから、もう一度確かめてみたかった。
タイムカプセルは意外にも簡単に見つかった。小さな箱が姿を現した。それは紛れもなく、サキと二人で土の中に眠らせた、二人だけのタイムカプセルだった。
一年前に、タイムスリップする。笑顔で一杯だったあの頃に戻って、僕は箱のふたを開けた。
サキにかけられた呪いと、封印を解いた気持ちになる。
そこには下手糞な出来のミサンガと、サキが僕に見せてくれなかったノートが入っていた。
僕は高鳴る胸を押さえつつ、そのノートを手に取った。
一体何のノートだろう、とふと考えた。きっと未来の二人に向けて書いたものだろう、と自分を納得させる。たった一年後取り出されるなんて、思ってもいなかっただろう。そう思うと、また悲しくなった。
悲しみを抑えて、僕はノートを開いた。

『リョウスケへ・・・。』

見覚えのある可愛らしい文字で、そう書かれていた。
少しだけ、その先を見るのをためらったが、僕はもう一度深呼吸をした後、そのノートを開いた。

「リョウスケへ…。

リョウスケをはじめて見たのは、私が通っていた病院の横にある、図書館ででした。
リョウスケはあそこでいつも、一生懸命勉強していましたね。
あれはきっと、一目惚れでした。
あれは私が中学二年の夏のことでした。
実はずっと前から私は知っていました。
自分があとわずかしか生きられないということを。
昔から病弱だった私は、よく病院に通っていました。
ある日、私は担当の病院の先生と両親が話しているのを聞いてしまったんです。
あと5年の命・・・。
それを知った日から、私は生きる希望をなくしました。
将来の夢も何もかも、すべて無意味なものになってしまいました。
あれから、学校にも行かなくなって、家に閉じこもって、何もしない毎日を送っていました。
どうやって死のうか、ずっとそんなことばかりを考えていました。
私はどんどん衰弱していき、病院に通うことも増えました。
楽しいことなんて、何もありませんでした。
5年という歳月は、すべてを諦めてしまうには長すぎて、夢を追いかけるには短すぎました。
一体、どうやって生きたらいいか、ずっとそれを考えていました。
未来がないから勉強する必要もないし、人の優しさも、ただ煩わしいだけのものに変わってしまいました。
そんな私の唯一の楽しみは、本を読むことでした。
病院の横にある小さな図書館。
そこで、私はいつも一人で本を読んでいました。
朝から、図書館が閉まるまでずっと。
私にとって、リョウスケとの出会いは小さな革命でした。
何もなくなった私の人生に起こった、革命でした。
恋愛なんて、もうとっくに諦めていました。恋をするだけ無駄だと思っていたから。
でもリョウスケを見ると、不思議に胸が高鳴って、どうしようもありませんでした。
初めてリョウスケを見た日から、気になって仕方がありませんでした。
認めたくなかったけど、きっとこれは恋なんだと私は気付いてしまいました。
毎日、夕方になると現れる彼に、私は恋をしました。
そんなある日のことでした。
図書館が閉館の時間になって、いつも通り本を片付けて帰ろうとしていると、誰もいなくなった机の上に、一冊の本が忘れられていることに気付きました。
その席には、いつもリョウスケが座っていました。
思わず、私はその本を手に取りました。
それは参考書のようでした。
南丘予備校と書かれた下に、佐々木亮輔と名前の欄に記入されていました。
リョウスケ・・・。
いつしか、私はあなたのことばかり考えていました。
5年という短い時間の中で、人を好きになれた奇跡を私は離したくありませんでした。
すべてを失った私が新しく手に入れた夢は、リョウスケと同じ高校に入ること、ただそれだけでした。
声はかけられないけど、リョウスケの近くにいたくて、私はあなたと同じ塾に入りました。
ろくに勉強していなかった私は、その塾の中でも一番成績が下のクラスでした。
ある日、リョウスケが友達と話しているのを聞いて、あなたが南山高校を目指していることを知りました。
その時の私の成績じゃ、とうてい入れるはずもなかったけど、その日から私は必死で勉強しました。
リョウスケと同じ高校に入りたい。
その気持ちだけが、私を変えていきました。
一年間、すべてを捧げるように勉強して、そして私は南山高校に入りました。
だけど、リョウスケと同じクラスになれなかった・・・。
がっかりしました。
リョウスケの背中を見つめて、声も掛けられない日々は、もどかしくて切なかった。
あと一歩が踏み出せない自分が、情けなかった。
日々が流れても、私の気持ちは大きくなっていく一方でした。
恋をしている、それが私の生きる証でした。
何もなかった過去の自分と、随分私は変わっていました。
恋が私を変えたのです。
想いが届いたのか、運が良かったのか、二年になってリョウスケと同じクラスになることができました。
嬉しかった。
涙が出るくらい、私は喜びに包まれていました。
それから、毎日が楽しかった。
相変わらず、まともに話せなかったけど、でも傍にいれることが嬉しかった。
死が近付いているなんて、忘れてしまうぐらい、楽しい毎日でした。
近くにいるだけでよかったけど、私は最後の賭けをしました。
告白なんて、できるはずないと思っていたけど、友達に背中を押されて、私は勇気を振り絞りました。
想いが伝わればそれでいい。
そんな気持ちで、リョウスケに告白しました。
あの日・・・人生で一番幸せだった日。
夢のまま終わってしまうと思っていた私は、その奇跡が信じられませんでした。
リョウスケの最高の彼女になれるか不安でした。
だけど、そんな私の想い以上に、あなたは私を愛してくれましたね。
幸せな日々が、私のすべてを埋め尽くしていきました。

長くなってしまいましたね。
リョウスケがこのノートを読んでいる頃には、きっと私はもうこの世にいないでしょう。
ずっと隠していて、ごめんなさい。
あなたに大きな秘密事をしていた、それだけが心残りでした。
どうか、悲しまないで下さい。
私はとても幸せでした。
何もなかった日々を、変えてくれたのはあなたでした。
リョウスケは、私の最後の5年間のすべてでした。
リョウスケ、私のために笑ってくれて、ありがとう。
私のために待っていてくれて、ありがとう。
私のために走ってくれて、ありがとう。
そして・・・私のために泣いてくれて、ありがとう。
リョウスケは、どうしようもないくらいお人よしだから、私のことを忘れないでいてくれているでしょうね。
でも、それも今日までにして、リョウスケは新しい恋愛をしてください。
これが、私の最後の願いです。
あんなことを言ってしまったけど、やっぱり私は透明人間にはなれません。
私はもう、リョウスケの傍には居れません。
でも、私は悲しくありません。
リョウスケが、一生分の幸せをくれたから、もう、それで十分です。
あとは、リョウスケが他の誰かと幸せになってくれたら、それ以上の喜びはありません。
私のためにも、幸せになって下さい。
そして、最後にもう一度言うね。
リョウスケ、本当にありがとう。

山城沙希」



僕は泣いた。サキの想像以上の想いに、そして自分の不甲斐なさに。
もっと愛してあげたかった。もっと、一緒にいればよかった。
後悔は次々に僕を襲う。
サキは全部知っていたんだ。自分だけが知ってるなんて思って、サキの苦しみに気付かなかった。
「実は、透明人間になれるんだよ・・・。」
サキは一体どんな気持ちで言ったんだろう。
自分が消えてしまうのが怖かったのだろう。
あれは僕に言ってたんじゃない、自分に言い聞かせていたんだ。
サキは苦しんでいたに違いない。死が近付いて、恐怖に襲われて。それでも、笑った顔を僕に見せた。
昔の自分が憎らしくて仕方なかった。自分が傷つくのが怖くて、サキを素直に愛せなかった自分が。
お礼を言わなきゃならないのは、僕の方だ。
サキと出会えて、サキのために生きて、本当に幸せだったから。
僕は叫ぶ。

サキ、ありがとう。