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好きな映画だけ見ていたい

劇場映画やDVDの感傷的シネマ・レビュー

トゥモロー・ワールド◆「現在」に鋭く切り込む近未来からの啓示

2006-11-24 15:45:44 | <タ行>
   

  「トゥモロー・ワールド」 (2006年・アメリカ/イギリス)
   監督:アルフォンソ・キュアロン
   原作:P.D.ジェイムズ(「人類の子どもたち」)
   出演:クライブ・オーウェン/ジュリアン・ムーア/マイケル・ケイン/クレア=ホープ・アシティ

この映画の原題はイギリスのミステリー作家P.D.ジェイムズの原作と同じ「Children of Men」(人類の子どもたち)なのだが、むしろ邦題の「トゥモロー・ワールド」のほうが、明日にも起きるかもしれない世界をそのまま暗示していてぴったりのタイトルに思える。いまからおよそ20年後の西暦2027年、人類の出生率は急激に低下し、ついに世界で最後の子どもといわれた18歳の少年が死亡する。世界は秩序を失い、多くの国々が崩壊の一途をたどる中、イギリスだけは軍隊によってかろうじて体制が維持されている。その陰には、移民や不法入国者を厳しく取り締まる圧制があり、各地で反政府勢力による暴動やテロが頻発していた。この殺伐とした世界に、子どもを奇跡的に宿した移民の少女が現れて、主人公セオとともに「未来」への脱出を計ろうとする・・・・・・。

ひとことでいうと、秀作だと思う。人類が生殖能力を完全に失うという設定自体はSF映画のものだが、ここに描かれている世界の様相は、2006年の世界そのものを反映している。先進諸国で深刻化する少子化問題、ヨーロッパに大挙して流れ込む移民、政治や宗教問題に端を発する爆破テロ・・・・・・いまの世界を巧妙に写し取ったこの作品を、アルフォンソ・キュアロン監督はこう語ったという。「原作はSFだったが、この映画をフィクションにするつもりはなかった。<近未来>をいいわけにして<現在>を描き、観客に衝撃を与えたかった」

その衝撃は、キレのいい展開と臨場感あふれる映像によって、生々しいばかりの現実感を伴って客席に届く。冒頭のロンドン市街での爆破テロにはじまり、終盤の数分にも及ぶワンショットの戦闘シーンまで、映像、ストーリーともにただならぬ緊迫感に満ちている。行きがかり上、少女を港へ送ることになった主人公セオは、最後には混乱の中、命がけで少女を守る行動に出るのだが、その気負いのない自然な人物像には好感が持てた。熾烈な戦闘の場へ、セオが丸腰で少女を探しに行き、赤ん坊とともに救出するくだりは、無名の一市民が英雄に変わる印象的なシーンだった。大勢の兵士たちが赤ん坊の泣き声を聞いて発砲を止め、二人を静かに見送る場面は、救世主の到来を思わせる神々しささえ感じられた。

セオの元妻で、彼に少女を託す反体制グループのリーダー、ジュリアンや、セオの友人で元フォトジャーナリストのジャスパーら、周りを固める脇役陣の設定も過去に遡って深く掘り下げられていて、物語にいっそうの厚みを与えている(とくにジャスパーの家で流れる60~70年代のUKロックや大麻といった小道具は、その年代の人たちには説得力を持つにちがいない)。内容、映像ともに隅々まで堪能できる一編。



満足度:★★★★★★★★☆☆




父親たちの星条旗◆硫黄島の真実と英雄たちのその後

2006-11-15 15:01:13 | <タ行>
            

  「父親たちの星条旗」 (2006年・アメリカ)
   監督:クリント・イーストウッド
   製作:スティーブン・スピルバーグ
   原作:ジェームズ・ブラッドリー
   出演:ライアン・フィリップ/ジェシー・ブラッドフォード/アダム・ビーチ/バリー・ペッパー

俳優のみならず、監督としても堂々たる経歴を築き上げているクリント・イーストウッドの最新作。イーストウッドは1930年、大恐慌のさなかに生まれたというから、今年で76歳。老いてなお衰えない映画への情熱には驚くばかりだ。原作は、硫黄島で戦った衛生兵を父に持つ、ジェームズ・ブラッドリーの『硫黄島の星条旗』(2001年刊)。この本に感銘したイーストウッドは、硫黄島での日米戦の資料を読みあさり、元軍人の話を聞くなどリサーチに徹した。その過程で、日本側の物語を作る必要があると感じた彼は、日本軍の視点から硫黄島を描いた『硫黄島からの手紙』(12月9日公開予定)の製作にも着手。「私が見た戦争映画は善玉と悪玉がはっきり分かれていた。しかし人生も戦争もそうはいかない。2本の映画はけっして勝ち負けを描こうとしたものではない」――この言葉どおり、『父親たちの星条旗』は対立する一方の側の真実にできるかぎり忠実に寄り添いながら、戦争に翻弄された若き兵士たちの思いを真摯に受け止めた作品になっている。

物語は、硫黄島の擂り鉢山に星条旗を立てた6人のうち、1人の衛生下士官と2人の海兵隊員を中心に進んでいく。1945年2月19日、硫黄島沖から翁浜へ上陸した米軍は苦戦の末、海岸地帯を制圧。島で唯一の高地、擂鉢山に星条旗を打ち立てる。この様子を納めたジョー・ローゼンタールの一枚の写真が、落ち込んでいたアメリカ国民の士気を再び奮い立たせることになる。しかし、その陰で英雄に祀り上げられた3人は、戦費を調達するために戦時国債の宣伝キャンペーンに駆りだされる。激戦の末に戦友を失い、複雑な思いのまま故国に戻った彼らのそれぞれの苦悩を通して、栄光の写真の裏に秘められた真実が浮き彫りになっていく。

硫黄島は米軍にとって、日本本土空爆の中継基地となりうる要の島。一方、日本軍にとっては、硫黄島が落ちれば米軍の本土侵攻は必至であり、何としても死守しなければならない事情があった。戦いは酸鼻をきわめた。日本軍は島内に掘りめぐらせた塹壕に潜んで海兵隊を迎え撃った。5日で攻め落とすはずの戦いが1カ月にも及び、アメリカ側は7000人近い戦死者と2万人を越える負傷者を出した。戦いのシーンでは、全体が青みがかった抑えたトーンの中で、苦戦する兵士たちの流す血の色が美しくもまた非情に感じられた。激しい砲撃のたびに空中に吹き上がる黒い砂は硫黄島特有のものらしく、この同じ色の砂を求めて、戦闘シーンの撮影には同じ火山国であるアイスランドの半島が選ばれたそうだ。

終盤には翁湾を埋め尽くした米国艦隊を擂鉢山から撮った俯瞰(おそらく実際の硫黄島ではないかと思う)が出てくる。日本軍の決定的な敗退を象徴した絵として、個人的には最も印象に残るシーンだった。第二部の『硫黄島からの手紙』にも期待したい。




満足度:★★★★★★★☆☆☆



太陽◆日本の戦後を決定づけた「あの方」の物語

2006-09-13 23:00:53 | <タ行>
            

 「太陽」 (2005年・ロシア/イタリア/フランス/スイス)
  監督:アレクサンドル・ソクーロフ
  脚本:ユーリー・アラーボフ
  出演:イッセー尾形/ロバート・ドーソン/桃井かおり/佐野史郎

世界で絶賛されながら、日本での公開が危ぶまれていたアレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』が、いま首都圏を中心に上映されている。きわめて動きの少ない静謐な場面の続く作品でありながら、一瞬たりともスクリーンから目を離せずに115分が過ぎた。あたかも自分が終戦の日々を体験しているような臨場感がある一方で、空爆シーンや焼けた廃墟の映像には、幻想的な神話性を強く感じた。この映画と出合えたことは、映画ファンの一人として僥倖といっていい。

1945年、敗戦前夜から進駐軍占領下の首都を舞台に、歴史の転換点を生きた昭和天皇の姿を終始、淡白な映像美で織り上げている。地下壕での日常から御前会議で閣僚に降伏を示唆するくだり、研究室でのカニに関する知識の披瀝、東京大空襲の悪夢、そしてマッカーサーとの会談から、やがて神格を返上する決意にいたるまで、昭和天皇の戸惑いと苦悩、諦観がみごとに浮き彫りにされていく。天皇を演じたイッセー尾形は、ニュースフィルムなどに登場する昭和天皇の佇まいを彷彿とさせて、申し分ない出来だ。

せりふはマッカーサーとの会談のシーンを除いて、全編ほぼ日本語。ロシア人の監督にとって演技指導を行うのは容易ではなかったはずだが、せりふは日本人キャストが最後まで練り上げて完成したとソクーロフ監督は語っている(CINEMA TOPICS ONLINE インタビュー参照)。しかし、すばらしいせりふより前に、まずは監督はじめロシア人スタッフの周到な調査と史実に迫る透徹した分析力が、何よりこの作品に現実味を与えているのではないかと思う。監督は、これまでに20世紀の権力者を描く作品を2作撮っていて(『モレク神』のヒトラー、『牡牛座』のレーニン)、昭和天皇を描いた『太陽』は、連作の3作目にあたるといわれる。終戦前後の天皇の日常という、きわめてデリケートな題材に臆することなく、ここまで完成度の高い作品に仕上げたことに心から敬服する。

この映画の中に描かれた昭和天皇は、あくまでもソクーロフの天皇像ではあるけれど、多くの人たちが心に抱くイメージとさほど大きな隔たりがあるとは思えなかった。歴史や生物学の知識に長け、現人神として生きることを宿命と受け止めながらも、敗戦と同時に戦後を見据えた決断を躊躇なく下した天皇の姿には、感銘を受けた。天皇制という文化の内にある神聖さと脆さを垣間見せてくれた映画でもあった。



満足度:★★★★★★★★★☆



ダーク・ウォーター◆悲しくも痛々しい母親の物語

2006-07-02 16:06:35 | <タ行>
            

  「ダーク・ウォーター」 (2005年・アメリカ)
   監督:ウォルター・サレス
   原作:鈴木光司(「仄暗い水の底から」)
   出演:ジェニファー・コネリー/アリエル・ゲイド/ジョン・C・ライリー/ティム・ロス

梅雨時に見ると、いっそう気の滅入るような映画である。鈴木光司原作、中田秀夫監督の『仄暗い水の底から』のリメイク版だが、舞台をニューヨークに移しても、それほど違和感のない作品に仕上がっている。原作を数年前に読んだとき、捨てても捨てても戻ってくるハローキティのバッグや、生臭い水道水や給水塔での悲劇に、悲しさと恐ろしさの入り混じる不思議な感覚をおぼえたが、本作でもそうした要点はきちんと押さえられていて、全体的に暗く物悲しいムードの漂う作品になっている。ただ、原作の筋書きを知っているためか、そうしたホラー的要素の積み重ねに意外性が感じられず、新鮮さに欠ける印象があるのも否めない。原作も読まず邦画も見ないで見るのが、いちばんの鑑賞法かもしれない。

舞台はマンハッタンからほど近い、ルーズベルト島。離婚調停中のダリア(ジェニファー・コネリー)は娘の親権を得るために、家賃の安い集合住宅へ引越しを決める。古いアパートは陰気なうえ、天井に水漏れの痕がある。やがて染みは徐々に広がり、黒い水が滴り落ちるようになった。上の階の水漏れが原因と思ったダリアは修理を頼むが、水漏れはいっこうにやまない。一方、娘のセシリア(アリエル・ゲイド)は、空想上の友だちと頻繁に会話するようになる。夫との親権争いで神経を尖らせるうちに、ダリアは冷たかった母親の思い出にさいなまれ、持病の頭痛を悪化させる。やがて上の階で足音がするのに気づいたダリアは、無人のはずの部屋へと足を踏み入れる・・・・・・。

母に捨てられた子ども時代の記憶や娘の奇妙な行動に悩みながら、親権を欲しがる夫との争いに精神的に追い詰められていく母親像は、痛々しいのひと言。孤立した状況の中で娘を必死に守ろうとするダリアの愛は、結局は母を求めてさまよう少女の霊に取り込まれてしまう。その絶望的な悲しさは、陰気な島の風景とともに見る者の心に暗い陰画を残すだろう。なぜ少女の霊は、ダリアを諦めなかったのだろうか。ダリアが少女を給水塔から救った時点で、この物語は終わって欲しかった。日本的ホラーのリメイクとはいえ、その後の展開はあまりにも陰惨で、明らかに蛇足に思えるのだが・・・・・・。

陰鬱な気分にも耐えうる方のみ、ご鑑賞ください。



満足度:★★★★★★☆☆☆☆



ドニー・ダーコ◆世界の終わりとタイムとラベル

2006-03-14 17:27:24 | <タ行>
   

 「ドニー・ダーコ」 (2001年・アメリカ)
  監督:リチャード・ケリー
  製作総指揮:ドリュー・バリモア
  出演:ジェイク・ギレンホール/ジェナ・マローン/ホームズ・オズボーン
     メアリー・マクダネル/ドリュー・バリモア

リチャード・ケリーによる本作『ドニー・ダーコ』は、2001年の公開の翌年、サンダンス映画祭で批評家から絶賛され、若手俳優ギレンホールの名が世に認められるきっかけとなった一作。物語の中を流れる複雑な時間、錯綜する時空によって激変する運命、タイムトラベルの驚くべき意味・・・・・・どれを取っても、奥深い謎に包まれたミステリアスな作品だ。謎を解き明かしたい一心で、幾度となく映画館へ足を運んだ人もいることだろう。私も鑑賞二度目にしてやっと輪郭をつかめた気になり、三度目で時間のループの謎とドニーの決意の意味が理解できたほど。ここまで引きつけられた作品はめずらしい。

興味をお持ちの方は、まず映画『ドニー・ダーコ』の公式サイトへ。




 【ストーリー】

1988年10月、アメリカ・マサチューセッツ州郊外のある町。高校生のドニーは夜中にウサギの面を被った男に呼び出されて家を出る。朝目覚めると、そこはゴルフ場。腕には「28日6時間42分12秒」という奇妙な文字が・・・・・・。家へ戻ったドニーは、自宅の部屋に航空機のエンジンが落下していたことを知る。九死に一生を得た思いの家族。しかし、当時上空を飛行していた航空機からエンジンが脱落したという報告はない。ウサギ男はフランクと名乗り、その後もドニーの前に現われては謎めいた言葉を残す。ドニーはウサギ男に導かれるように学校を水浸しにしたり、教師が心酔する自己啓発セミナーの主催者宅に放火して、欺瞞に満ちた正体を暴いたりする(ドニーには放火歴があり、精神科の医師にかかっている)。やがてドニーは、科学の教師からタイムトラベルの話を聞く。タイムトラベルには高速の乗り物と時空の穴が必要なこと、変人で知られる元教師のスパロウが、タイムトラベルに関する本を書いていたことも知る。一方、学校でダンスチームに入っている妹は、母親と一緒にタレント・キャラバンに出演するため飛行機でLAに行くことになる。二人が家へ帰る晩、ドニーの家では盛大なハロウィーン・パーティーが開かれた。そこで不思議な現象を目にしたドニーは、時空の穴が開く瞬間を求めて、恋人のグレッチェンや友人と共にスパロウの家へ。しかし、そこでドニーを待っていたのは過酷な運命だった・・・・・・。


ご注意:ここから先は鑑賞済みの方のみお読みください。




【作品の解釈】


タイム・トラベルとは、やはり神の恩寵なのだろうか。 少なくとも『ドニー・ダーコ』の中ではそう見える。上空から脱落した航空機のエンジンの直撃を受けて、高校生のドニーは死ぬ運命にあった。哀れに思った神はドニーのために時間のループをつくり、もう一つの時間を生きるチャンスを与えた。たとえ行き着く先は同じであろうとも・・・・・・。

この時間のループは本線をそれて、彼の家にエンジンが 落下する日の夜を基点とし、28日6時間42分12秒 をかけて、元の本線へと戻ってくる。それが神がドニーに与えた「もう一つの時間」だ。ループの中を生きるドニーにとって、そこで起きることすべては「予兆」であり、過酷な運命を受け入れるための下準備だと考えられる。

ドニーはループの中で級友のグレッチェンと出会い、恋仲となる。ウサギ男、フランクの導きで自己啓発セミナーを主催するセラピストの正体を暴く。さらにタイムトラベルの秘密を知る元教師スパロウの本から、時空の穴の存在を察知する。不幸にもループの終わる手前でグレッチェンは事故死し、ドニーは彼女を轢いたフランクに銃を向けてしまう。さらにドニーがセラピスト宅に放火した結果、母親はめぐりめぐって妹たちの引率でLAへ行き、帰りの便でエンジンの脱落する飛行機に乗り合わせることになる。ループの中で愛する者の死を目の前にしたドニーは、だからこそループを抜け出て、あの事故の夜に戻らなくてはならなかったのだ。自分が死ぬことによってしか世界を救えないことを悟ったドニーは、エンジンが直撃する自室のベッドの上で笑いながら死を待った。グレッチェンの言ったように、ドニーは名前のイメージどおりのヒーローとなって、ループの世界における悲劇を救ったのだ。なんという自己犠牲だろう。死を待つドニーの笑顔は、何度見ても胸を打たれる。

この物語には、暗示的な謎めいた事物が散りばめられている。不気味なウサギの面、タイムトラベルの本、奔放な女教師の言葉・・・・・・それらが最後に一本の線に重なりあって、ドニーの最期に向けてまっしぐらに進んでいく。エンジン落下事故の翌朝、家の前で茫然自失の家族の前を、ドニーの遺体が運び出される。通りかかったグレッチェンは、もちろんループの時間を共に生きたドニーを知らない。しかし彼女が生きているという事実そのものが、ドニーが「生きた」なによりの証しなのだ。

ドニーはなぜ、「もう一つの時間」を生きることを許されたのだろうか? それはたぶん、神がドニーの死を深く哀れんだからに違いない。たとえ神にさえ、運命は変えられなかったとしても・・・・・・。



満足度:★★★★★★★★★★



寸評◆誰も知らない

2006-01-27 11:37:43 | <タ行>
  

 「誰も知らない」 (2004年・日本)
  監督・脚本:是枝裕和
  出演:柳楽優弥/北浦愛/木村飛影/清水萌々子/YOU
  

カンヌ国際映画祭で、主演の柳楽優弥が史上最年少の最優秀男優賞を受賞した話題作。父親の違う4人の子どもたちが、新しい男のもとへ走った母親に置き去りにされ、けなげに日々を送る姿を淡々と描く。

柳楽演じる長男の明(12歳)は、母親から託された現金で3人の妹や弟を文字どおり養っていく毎日。クリスマスに帰るはずの母親は戻らず、兄弟は子どもだけで年年越しを迎える。母を恋しがる幼い妹のために、お母さんを迎えにいこうと駅へ連れて行く明。帰り道にモノレールを見た明は、妹にこう言う。 「いつかモノレールに乗って、飛行機を見に行こうね」。 だが・・・・・・。

「いつか」という言葉は、とても悲しい。いつかという未来は、おそらく果たされないだろうという予感を、内に孕んでいる。 願ってはいるけれど、実現されない未来。こうした物語の中で、「いつか」に続くフレーズが現実になったためしは、あっただろうか?

子どもは大人とともに生きることで、子どもでいられる。大人の保護を受けなければ、子ども自身が大人にならざるを得ない。兄弟の世話を母親から託された明が、妹や弟のために大人顔負けの気配りを見せるシーンには、幾度となく心を打たれる。

ところで、この映画は現実のある事件を下敷きにしている。1988年に起きた「巣鴨子ども置き去り事件」だ。事件の大筋はこの映画と重なるけれど、もちろんまったく別物。映画のほうが、ずっとやさしい。

子どもが子どもでいられるような環境をつくるのは、大人の責任。その責任を放棄してまで自分の幸せを優先する大人。その大人のために犠牲になる子どもたち・・・・・・。あくまでも淡々とした風景のなかに、子どもたちの悲しみが滲んでくる。一見の価値あり。



満足度:★★★★★★★★★★