人の親として、奈良の放火殺人がどうしても気になってしまいます。
私は事件の概要を知るほど、なんてことをしてくれたんだという思いが強くなります。少年に対してではなく、父親の方です。少子化で子供の絶対数が減っている折、逸材をスポイルしてしまったこの強迫神経症気味の父親も一緒に矯正施設に入った方がいい。たしかに、少年の引き起こしてしまったことの結果は重大で、被害者の将来を奪ってしまった事実は許されるものではありません。ただ、5年程度で社会復帰できるのか、逆送されて10年以上を塀の中で過ごすのかは、現在のところわかりませんが、彼が人生のけものみちに足を踏み入れたことを残念に思うのです。
比べるようなものではありませんが、同じ時期に起きた東大阪「大学」の学生による生き埋め事件などは、喧嘩大好きな高校生の生態を描いた「ビーバップ・ハイスクール」の登場人物の方が、よほど分別もインテリジェンスを備えていると思えるほど幼稚で、とても大学生の所業ではありません。
今週の週刊誌で、奈良の少年が小学校卒業時に書いた文集の作文が全文掲載されているのを見て、彼のポテンシャルに感心してしまいました。ワイドショーなどのマスコミ報道では事件が発生する度に、決まって犯罪者の文集が晒されますが、たいていは「なるほど馬鹿だったんだな」と納得してしまうような代物です。一例を挙げると、昨年町田で横恋慕していた同級生の女の子をめった刺しにした事件の少年の中学校の卒業文集はこんなもんです。
「修学旅行、学校生活で一番の思い出があり、楽しい二泊三日です。奈良では、最初の東大寺に行き、中に入ってみたら十五Mくらいのでかい大仏があり、裏にもいろんな形をした像や絵がありました。いろんな物を見て、旅館に帰り、食事して、寝て、一日が終わった。〈中略〉印象に残ったのは、金閣寺でした。やはり金の寺だから印象に残ったのかもしれません。見終わってたくさんおみやげを買って、そのまま京都と分かれた。こういう思いがあり、いい思い出になりました。」
稚拙ですが、犯罪少年に限らず、これが平均的な中学生の文章なのかもしれません。
対して、奈良の少年が小学校6年時に著したのは「将来の夢・医者」と題した400字足らずの作文ですが、これを読むと、彼が相当に聡明な少年だったことがよくわかります。
まず書き出しは、こんな感じです。
「ぼくの将来の夢は、医者になることです。医者になりたいと思う理由は、三つあります。」
最初に結論を簡潔に述べたうえで、その理由が「三つあります」と論点整理しています。スピーチや論文を書くときの定石ですね。そしてその理由とはこうです。
一つめは、父の執刀写真が家に飾ってあるのをいつも憧れを持って見ていて、それによって父が仕事で頑張っていることに尊敬の念を抱いているからとしています。
二つめは、医者が登場する漫画を読んで、仕事のやりがいを感じたと書いています。手術で治した患者の家族に感謝されて、その喜ぶ顔や姿に触れることができるという医師の仕事の醍醐味を語ります。
三つめは、「世界にはまだまだ病気や飢えで苦しんでいる人たちがたくさんいますが、そういう人たちを救いたい」という崇高な動機を挙げています。
大学生のレポートでも、「ポイントは3つあります」と宣言したはいいが、重複したり、有機的な関連がまるでなかったり、ぐちゃぐちゃになって何を言いたいのかわからなくなるものが多い。偉い人のスピーチでも、「大事なことは3つある」と言っておきながら、2つで終わってしまって、おいおい3つめは何処にいったんだよと突っ込みたくなるようなことがたまにあります。
少年が医者になりたいという志望動機として書いた3つの理由は
身近な人の実例 → 読み物の影響 → グローバルな社会問題
と近くから遠くへ順に構成されています。
しかも理由を述べる3つの段落は、きっちり各4行に収められています。(2番目は「ありがとうございます」という患者の家族のセリフに1行使っているので、正確には5行)
そして最終段落では、
「医者になるという夢をかなえるためには、たくさんの努力をしていかなければならないと思います。だから、たくさんの努力をして、自分の夢(医者になること)をかなえたいと思います。」
と結んでいます。
きちんと主題(タイトル)に対応する形で文章を収めている。簡潔にして明瞭だから非常に読みやすいし、原文も美しい。
大人でも、字数を考慮せずに頭でっかち尻すぼみになったり、余計なサイドストーリーに脱線して戻って来れなかったりという人はたくさんいます。挿入句が多くて、主語と述語動詞が大きく離れてしまうような極めて読みにくい文章も珍しくない。その意味で、この少年の作文は模範解答といってもよいと思います。
でも、この一編は決して面白くはない。少年らしい荒削りな躍動感に乏しいし、憧れの職業を語る時のパッションもさほど感じられない。先に模範解答と書きましたが、中学受験のエクササイズの賜物と見れないこともない。あまりに整いすぎているからです。
先日、取引先の方と話をしていたら、最近のビジネス誌がこぞって「文章術」の特集を組んでいるという話題になりました。その方曰く、これはビジネス社会でもそのニーズが高い証左であるというのです。仕事では稟議書やレポートを、プライベートではブログなど、現代人は好むと好まざるとアウトプットの機会が増えていますが、どうやって書いたらいいかわからない人が意外に多いんですね。
少年は小6にして、これだけ端整な文章を書けてしまう。これは想像ですが、たぶん彼はほとんど推敲することもなくさらさらと書いたのだと思います。それなのに誤字・脱字もないし、論旨明快です。きっと頭の中が整理されていて、クリアなんでしょうね。こういう子は別にごりごり勉強させなくてもいいんですよ。要領がいいし、最短距離がどこにあるのか知っている。やる時はきっと馬力を出します。スポーツも得意で、対人コミュニケーションにも問題がなかったといいます。将来は凡庸な人たちを引っ張って行くリーダー役になるような子だったのかなと。だからこの子の父親の罪は万死に値すると思うのです。
少年はなぜか、父親の命令で大好きなサッカー部を辞めさせられて、剣道部に転向しているのですが、剣道も二段取ったほどですから、運動能力も非凡だったようです。でも、やっぱりサッカーが好きだったんですね。
高校3年時も、毎晩居間に寝そべって、だらだらとナイター中継など観ていた私からすると、犯行後に「ワールドカップが観たかった」と言って民家のTVのある部屋に侵入したという16歳を哀れに思わざるをえません。
私は事件の概要を知るほど、なんてことをしてくれたんだという思いが強くなります。少年に対してではなく、父親の方です。少子化で子供の絶対数が減っている折、逸材をスポイルしてしまったこの強迫神経症気味の父親も一緒に矯正施設に入った方がいい。たしかに、少年の引き起こしてしまったことの結果は重大で、被害者の将来を奪ってしまった事実は許されるものではありません。ただ、5年程度で社会復帰できるのか、逆送されて10年以上を塀の中で過ごすのかは、現在のところわかりませんが、彼が人生のけものみちに足を踏み入れたことを残念に思うのです。
比べるようなものではありませんが、同じ時期に起きた東大阪「大学」の学生による生き埋め事件などは、喧嘩大好きな高校生の生態を描いた「ビーバップ・ハイスクール」の登場人物の方が、よほど分別もインテリジェンスを備えていると思えるほど幼稚で、とても大学生の所業ではありません。
今週の週刊誌で、奈良の少年が小学校卒業時に書いた文集の作文が全文掲載されているのを見て、彼のポテンシャルに感心してしまいました。ワイドショーなどのマスコミ報道では事件が発生する度に、決まって犯罪者の文集が晒されますが、たいていは「なるほど馬鹿だったんだな」と納得してしまうような代物です。一例を挙げると、昨年町田で横恋慕していた同級生の女の子をめった刺しにした事件の少年の中学校の卒業文集はこんなもんです。
「修学旅行、学校生活で一番の思い出があり、楽しい二泊三日です。奈良では、最初の東大寺に行き、中に入ってみたら十五Mくらいのでかい大仏があり、裏にもいろんな形をした像や絵がありました。いろんな物を見て、旅館に帰り、食事して、寝て、一日が終わった。〈中略〉印象に残ったのは、金閣寺でした。やはり金の寺だから印象に残ったのかもしれません。見終わってたくさんおみやげを買って、そのまま京都と分かれた。こういう思いがあり、いい思い出になりました。」
稚拙ですが、犯罪少年に限らず、これが平均的な中学生の文章なのかもしれません。
対して、奈良の少年が小学校6年時に著したのは「将来の夢・医者」と題した400字足らずの作文ですが、これを読むと、彼が相当に聡明な少年だったことがよくわかります。
まず書き出しは、こんな感じです。
「ぼくの将来の夢は、医者になることです。医者になりたいと思う理由は、三つあります。」
最初に結論を簡潔に述べたうえで、その理由が「三つあります」と論点整理しています。スピーチや論文を書くときの定石ですね。そしてその理由とはこうです。
一つめは、父の執刀写真が家に飾ってあるのをいつも憧れを持って見ていて、それによって父が仕事で頑張っていることに尊敬の念を抱いているからとしています。
二つめは、医者が登場する漫画を読んで、仕事のやりがいを感じたと書いています。手術で治した患者の家族に感謝されて、その喜ぶ顔や姿に触れることができるという医師の仕事の醍醐味を語ります。
三つめは、「世界にはまだまだ病気や飢えで苦しんでいる人たちがたくさんいますが、そういう人たちを救いたい」という崇高な動機を挙げています。
大学生のレポートでも、「ポイントは3つあります」と宣言したはいいが、重複したり、有機的な関連がまるでなかったり、ぐちゃぐちゃになって何を言いたいのかわからなくなるものが多い。偉い人のスピーチでも、「大事なことは3つある」と言っておきながら、2つで終わってしまって、おいおい3つめは何処にいったんだよと突っ込みたくなるようなことがたまにあります。
少年が医者になりたいという志望動機として書いた3つの理由は
身近な人の実例 → 読み物の影響 → グローバルな社会問題
と近くから遠くへ順に構成されています。
しかも理由を述べる3つの段落は、きっちり各4行に収められています。(2番目は「ありがとうございます」という患者の家族のセリフに1行使っているので、正確には5行)
そして最終段落では、
「医者になるという夢をかなえるためには、たくさんの努力をしていかなければならないと思います。だから、たくさんの努力をして、自分の夢(医者になること)をかなえたいと思います。」
と結んでいます。
きちんと主題(タイトル)に対応する形で文章を収めている。簡潔にして明瞭だから非常に読みやすいし、原文も美しい。
大人でも、字数を考慮せずに頭でっかち尻すぼみになったり、余計なサイドストーリーに脱線して戻って来れなかったりという人はたくさんいます。挿入句が多くて、主語と述語動詞が大きく離れてしまうような極めて読みにくい文章も珍しくない。その意味で、この少年の作文は模範解答といってもよいと思います。
でも、この一編は決して面白くはない。少年らしい荒削りな躍動感に乏しいし、憧れの職業を語る時のパッションもさほど感じられない。先に模範解答と書きましたが、中学受験のエクササイズの賜物と見れないこともない。あまりに整いすぎているからです。
先日、取引先の方と話をしていたら、最近のビジネス誌がこぞって「文章術」の特集を組んでいるという話題になりました。その方曰く、これはビジネス社会でもそのニーズが高い証左であるというのです。仕事では稟議書やレポートを、プライベートではブログなど、現代人は好むと好まざるとアウトプットの機会が増えていますが、どうやって書いたらいいかわからない人が意外に多いんですね。
少年は小6にして、これだけ端整な文章を書けてしまう。これは想像ですが、たぶん彼はほとんど推敲することもなくさらさらと書いたのだと思います。それなのに誤字・脱字もないし、論旨明快です。きっと頭の中が整理されていて、クリアなんでしょうね。こういう子は別にごりごり勉強させなくてもいいんですよ。要領がいいし、最短距離がどこにあるのか知っている。やる時はきっと馬力を出します。スポーツも得意で、対人コミュニケーションにも問題がなかったといいます。将来は凡庸な人たちを引っ張って行くリーダー役になるような子だったのかなと。だからこの子の父親の罪は万死に値すると思うのです。
少年はなぜか、父親の命令で大好きなサッカー部を辞めさせられて、剣道部に転向しているのですが、剣道も二段取ったほどですから、運動能力も非凡だったようです。でも、やっぱりサッカーが好きだったんですね。
高校3年時も、毎晩居間に寝そべって、だらだらとナイター中継など観ていた私からすると、犯行後に「ワールドカップが観たかった」と言って民家のTVのある部屋に侵入したという16歳を哀れに思わざるをえません。
こういう事件が報道されるたびに、自分の子育てに自信がない私は、ますます怖くなってしまいます。
自分の子供がこんな事件を引き起こしたらどうしようと・・・。
子供も頑張っているのに、もっとできるはず、もっとやりなさい、と追い立てている自分を止められないからです。
私は子供に特定の職業に就け、とは強要はしていませんけど、少しでも親より良い生活をするために、頑張ってよね、とは思ってしまいます。どうして医者って、子供を医者にしたいんでしょうね。医者の子供ってどうして医者になっている子が多いのでしょうね。小さい時からマインドコントロールされてしまっているのでしょうか。もっと子供の心のままに好きな道を選ばせてもいいんじゃないの、と思います。
ところで、このお父さんにも素行に問題があった、という話も聞きました。真相はわかりませんが、子供は親を良く見ているし、敏感に感じ取っているということがよくわかった気がします。やはり親の生き方が子供に大きく影響するのかもしれません。怖いです。
起きるたびに子どもにとっての理想とは一体なんだろう
と思います。
この少年の父親も息子に最善の将来を掴ませたくて
愛情をもって始めたことだと思うのだけれど、
ただ個々の人間にとっての最善は他人がきめられる
物でもないし、自分も死んでいくときにしかわからない
ものじゃないでしょうか。
息子にとって何がいいのか、娘には何が必要なのか
毎日試行錯誤を積み重ねていますが、子どもへの
愛情だけは忘れないように心がけています。
TVでコメンテーターの弁護士が、離婚調停の経験上、お医者さんは親権争いで男の子を手元に置きたがる傾向があると語っていました。
でも、開業医なら少しはわかるんですよ。継いでくれないと医院の設備や什器なんて二束三文だし、散々金かけてきたんだから・・・と。政治家の世襲もそうですがね。でもこの父親は勤務医で、開業予定もなかったみたいですから、この異常な執着がわかりません。
親の背中を見て育つというのは本当にそうですね。
>ぽたこさん、毎度ありがとうございます。
ぽたこさんのように、自覚的な人はいいですよね。本当は何がいいのかわからないということに無自覚な大人が危険なんだと思います。