引き揚げと舞鶴港
1945年終戦の年海外に残された日本人は660万人以上と言われ、この方々をすみやかに帰国させねば
ならなくなりました。これを’引き揚げ’といいます。
1970年’岸壁の母’の舞台となった引き揚げ桟橋を見下ろす丘に引き上げ記念公園が整備され、そこに
1988年に舞鶴引揚記念館が建設されました(同記念館資料による)。
今日ここを訪れました。
記念館正面と引揚桟橋説明の看板です。

丘から舞鶴港入り口と桟橋(1994年復元)を見下ろす。

丘にあるたくさんの碑の中からの2点です。

記念館展示資料で写真撮りが許されたものです。
引き揚げ船の図と引揚者を求め集まった方々の写真。

シベリア収容所外観図と中を再現したもの。
収容所に遺された白樺日誌の一部。

’強制労働’
南の空 ふし読む朝夕の点呼 一人思い深かる
2015年にこの記念館の収蔵資料の中から570点がユネスコ世界記憶遺産に登録されました。
戦争の悲惨さを世界中のこれからの世帯に伝える貴重な資料が集まっており、静かに考えさせられる一日になりました。
1945年終戦の年海外に残された日本人は660万人以上と言われ、この方々をすみやかに帰国させねば
ならなくなりました。これを’引き揚げ’といいます。
1970年’岸壁の母’の舞台となった引き揚げ桟橋を見下ろす丘に引き上げ記念公園が整備され、そこに
1988年に舞鶴引揚記念館が建設されました(同記念館資料による)。
今日ここを訪れました。
記念館正面と引揚桟橋説明の看板です。


丘から舞鶴港入り口と桟橋(1994年復元)を見下ろす。


丘にあるたくさんの碑の中からの2点です。


記念館展示資料で写真撮りが許されたものです。
引き揚げ船の図と引揚者を求め集まった方々の写真。


シベリア収容所外観図と中を再現したもの。


収容所に遺された白樺日誌の一部。

’強制労働’
南の空 ふし読む朝夕の点呼 一人思い深かる
2015年にこの記念館の収蔵資料の中から570点がユネスコ世界記憶遺産に登録されました。
戦争の悲惨さを世界中のこれからの世帯に伝える貴重な資料が集まっており、静かに考えさせられる一日になりました。