戦後、まだ幼かった私は、アメリカに憧れ、アメリカ人のようになりたいという願望をいだいて育った。英語をアメリカ人のように話し、アメリカの生活スタイルや価値観を身につけたい。それが英語を学ぶ動機にもなった。やがて成長するとともに、日本人としてのアイデンティティを維持しながら異文化を理解するほかないと知るようになる。「世界の共通言語」である英語を異なる人種や民族の文化を理解するための道具とすることで、私たち自身の言語や文化もよりよく理解できるにちがいない。だが、いわゆる「英会話」なるものを、私たちは、けっしてニュートラルな言語として学んでこなかった。そのことに気づかせてくれたのは、ダグラス・ラミス著『イデオロギーとしての英会話』(晶文社、1976)であった。世界を席巻しているアメリカ的価値やイデオロギーを当たり前のこととして受け入れている自分に気づくことによって、世界のさまざまな言語と文化、価値観に目を向けることができるようになった。いっぽう「日本人」「日本文化」といわれているものもけっして一枚岩ではない。「異文化」対「日本文化」という単純な図式からは、それぞれに内在する多様性が見えてこない。
交通や通信の発達にともない、経済やビジネス、環境問題、知的資源や技術など、さまざまな局面で、人種・民族、国家、その他の集団や組織の枠を越えて地球規模の交流が急速に進むなかで、多様な声が尊重される社会をどのように構想し、実現していくか。自他を切り離したうえで、お互いに干渉しあわずにバランスを保ちながら平和的に共存をはかるという「異文化理解」の構図のなかに自らを位置づけていていくことでは、問題の解決にならない。多様な人々が共に生きる現場で、互いに感じる異和をどのように受けとめ、乗り越えていけばいいのか。次に紹介する3冊の著作に語られている生の声に耳を傾けてみたい。キーワードは「越境」である。(次の記事につづく)
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