幹事さんのひとりごと

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赤い靴

2016年10月26日 | 歌は世につれ
先日夫婦岩さんが書きこんでくれたコメントの「赤い靴」。
モーテルの話じゃなくて歌の話ね・・・

赤い靴

作詞 / 野口雨情 作曲 / 本居長世

赤い靴 はいてた 女の子
異人さんに つれられて 行っちゃった

横浜の 埠頭から 船に乗って
異人さんにつれられて 行っちゃった

今では 青い目に なっちゃって
異人さんのお国に いるんだろ

赤い靴 見るたびに 考える
異人さんに逢うたびに 考える


この女の子は実在の人で「きみ」ちゃん。
明治35年静岡県清水市の生まれ。
未婚の母の岩崎かよの娘。
私生児に世間が冷たくて北海道の開拓団として函館に渡り、
そこで出会った人と結婚したかよは3歳のきみちゃんを函館の
宣教師夫婦に養女として引き取られた。
宣教師夫婦がアメリカに帰国することになったとき、きみちゃんは
結核を患い船旅ができないことから麻布十番にある教会の孤児院に
預けられ3年間の闘病を続け9歳で亡くなった。

きみちゃんを託して2年後、かよは入植に失敗し二人目の娘そのを連れ
札幌に出た。
かよの旦那が札幌の新聞社に入社し、そこで出会ったのが野口雨情。
そんなかよのきみへの思いを聞き、母の愛に心を打たれ雨情は「赤い靴」
を作詞した。
母親のかよは娘きみの死を知らず、「きみちゃん,ごめんね」の言葉を
残して64才で他界した。

昭和48年の新聞の夕刊に掲載された、『野口雨情の赤い靴に書かれた
女の子は、まだ会った事も無い私の姉です。』という「岡その」さんの
投稿記事がきっかけできみちゃんの実在がわかった。

というような経緯なんだって。
なんだか最近涙もろくて・・・


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3 コメント

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赤い靴って (ぴーすけ)
2016-10-27 09:27:25
北海道の話だったんですね
横浜の話かと思ってました

入植者の話だったんですね
うちの先祖も入植者、開拓民でした
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蝦夷 (幹事)
2016-10-27 12:17:17
かなり厳しかったみたいだね。
今じゃ避暑地みたいな感覚だけど。
海を渡って極寒の地。
苦労も多かったろうなぁ。
返信する
取り上げていただき (夫婦岩)
2016-10-28 13:03:09
ありがとうございました。

哀しい話ですね。

でも何故『赤い靴』なのか?
ネットでは作詞の雨情が、国家の検閲から逃れるために、ソビエトを隠喩したって話も…。
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