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ラーメンLOVE

ぼちぼち頑張ります。

唐津くんち2005 その1

2005年11月05日 | 唐津くんち
1番曳山 赤獅子です。

11月2日 宵曳山



やはり夜の写真は難しいですなぁ


11月3日

こんな感じで14番曳山まで行きますのでよろしく~
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唐津くんち 最終日

2005年11月04日 | 唐津くんち
今日は唐津くんちの最終日。

僕は自分の家に帰りましたが、
最後は盛り上がったんだろうなぁ。

この画像は昨日の様子。
祝日ということですごい人でした。


そしてこれは、2日に撮った、くんち料理にされる前のカニ。

一晩中、ガザゴソと動いていました。


さて、今年の唐津くんちも終わってしまいましたが、まだまだ自分のくんち熱は冷めません。
というわけで、明日からはこの唐津くんちで撮った写真を曳山順に載せていこうと思います。

完全に自己満足ですがお許しを~
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唐津くんち(11月3日)

2005年11月03日 | 唐津くんち
今日も少しですが…。

さぁ、今日は唐津くんち2日目でした。

今日の天気は晴れ。
ものすごく暑かったです。

しかし、午前6時30分時点では…

神社通りは小雨がぱらぱら。曇り空。
曳山も2台を残して展示場の中に入っていました。
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唐津くんち 宵曳山

2005年11月02日 | 唐津くんち
詳しくは実家から帰って報告致しますが。

とりあえず、3年ぶりに見るくんち。
泣けるくらい興奮しましたっ!!

画像は、
11番曳山の、酒呑童子と源頼光の兜です。
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今日から待ちに待った

2005年11月02日 | 唐津くんち
唐津くんちです。

早く帰りたいです。

画像は、14番曳山の七宝丸です。
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明日の今頃は~

2005年11月01日 | 唐津くんち
唐津くんち宵曳山の真っ最中です。

いつの間にか一日前になっていたのですね。
早く明日になって下さい!!!

昨日よりテンションが上がってきました。
さっ、帰省の準備をしなくてはっ!!

画像は部屋に飾ってある唐津くんちの特大ポスターです。
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あさっての今頃は~

2005年10月31日 | 唐津くんち
唐津くんち宵曳山の真っ最中です。

いつの間にか二日前になっていたのですね。
早くあさってになって下さい!!

毎年のことながら写真をたくさん撮りたいなぁ~
またテンションが上がってきました。

画像は僕が持っている唐津くんちの本3冊です。
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唐津くんち 一ヶ月前

2005年10月02日 | 唐津くんち
とうとう1ヶ月前になりました!

いや~一人で盛り上がってきましたよー
この画像は僕の家の玄関に飾ってある、唐津くんちの曳山の置物達です。
置物は2種類。
上の小さい置物は左から1番山14番山
下の枠組み入りの置物は上段に1~6番山、中段に12番山、下段に13・14番山です。
非常に見にくいですがよーく見たらわかるかもしれません。

5番山の鯛だけは枠に入りきらず斜めに入っています。

曳山については以前、二週間かけて一台一台説明しました。
カテゴリー「唐津」を押したら見れます。めんどくさい方は→こちら


あ~ぁ、ほんと一人で盛り上がってすみません。。
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唐津くんち あとがき

2005年06月23日 | 唐津くんち
2週間かけて紹介してきた今回の「唐津くんち」シリーズ。

ほぼ自己満足の世界でしたが、お楽しみ頂けたでしょうか!?

正直、曳山の紹介だけでは良くわからなかったと思います。
そこで今日は「唐津くんち」のおすすめサイトを紹介したいと思います。

おそらく唐津っ子は胸高鳴るでしょう。
唐津くんちまであと4ヶ月以上あるこの時期に僕は大興奮してしまいました。


2004年、唐津くんち大特集!
動画で唐津くんちの興奮がよみがえります。約1時間。
唐津ケーブルテレビ「ぴ~ぷる放送」のサイト

曳山のはなし
一冊の本がネットで見れます。唐津くんちの歴史など。
僕はこの本、持っています。。

池田屋菓子舗の曳山ガム
僕の同級生のお店で売っている曳山を型どったガムです。
よくできていてかわいいです。
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14番山 七宝丸 江川町

2005年06月22日 | 唐津くんち
江川町の七宝丸は明治9年(1876)に製作されました。

曳山には赤獅子青獅子のように対となるものがあり、七宝丸を製作するにあたり、
中国の古記の中にあった龍頭鶏首の船による貴族の舟遊びの記録をもとに、
当時の製作者は、大石町の対の船として、
龍頭の七宝丸を製作したと考えられています。

七宝丸は前後に長いため、支柱が二本使われています。
重心は前におかれ、カジ取りがうまくいくように設計されています。

この曳山の特徴は太陽に珠を頂いた屋形と磁器の龍の爪と歯で、しかも、
屋形は左右に自在に動くように工夫されています。
さらに唐津くんちではその屋形に人が乗ります。
よくあんな揺れるような高い所に乗れるなぁと、感心しています。

七宝丸には七つの宝があります。
まず、船の上に宝珠、船尾に軍配と打出の小槌が竿に立てられ、
隠れ蓑と宝袋が飾り付けられており、船の横の勾欄間にはまが玉が互い違いに配され、
欄干の前には一対の巻物がはめ込まれている。
その他、笠の後方には長寿のまき絵と鍵。
また、後方の宝袋には松竹梅の折鶴のまき絵が描かれています。

曳山は原則として、制作年代順に曳くことになっています。
しかし、水主町と江川町は製作時期もほぼ同じなため、4日の「追いやま」の日には
坊主町の角で江川町が曳山を引き込み、水主町が追い越して順番を入れ替えています。

それにしても、龍の顔が生き生き作られています。
ほんとカッコイイ!!横から見るとまた龍の首の曲がり方や、足などが見れます。


七宝丸
幅:2.0m
高さ:約6.3m
重さ:推定3.0t
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13番山 鯱 水主町

2005年06月21日 | 唐津くんち
水主町(かこまち)の鯱(しゃち)は明治9年(1876)に製作されました。

唐津城下の外町で町火消組に加入している町のうち、
水主町だけが曳山を持っていませんでした。

そこで水主町は、龍王丸を造ることにしていましたが、
ちょうど同じころ江川町で七宝丸を造る話が出ていると聞き、
計画を急に変更して鯱の曳山を造ることになりました。

鯱は火災よけの魔力があるとされ、屋根の上に置かれていました。
水主町は、町名が水から始まることや、火災と深い関係にあることなどから、
鯱を造ることが決まったと考えられています。

むかし、「シャチホコ」という呼び名を知らない子供たちは、
色や形から判断して「オコゼ」と呼んでいたそうです。
確かに僕も幼いころそう呼んでいたかもしれません。

水主町は威勢がよいと評判です。
これは序列が確立していて上席者の指示には絶対従うという永年の伝統が、
今もって受け継がれているからでしょう。

確かに威勢はよいです。
唐津くんちの町廻りで、塩をいちばんまいているのはこの曳山でしょう。
僕は小学生の時、鯱で塩をまいている人に、「こっちこっち」と言ったら、
思いっきり塩をかけられました。
今でも、周りの人に迷惑をかけたと反省しています。

鯱は、5番山のや、7番山の飛龍と同じく、胴体が上下に動くよう工夫されています。
また、鯱は、後に続く14番山、江川町の七宝丸とはほぼ同時期に完成したため、
唐津くんちの3日間のうちの1日(11月4日)だけは14番山として町を廻ります。



幅:2.5m
高さ:約5.9m
重さ:推定1.5t
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12番山 珠取獅子 京町

2005年06月20日 | 唐津くんち
京町の珠取獅子は明治8年(1875)に製作されました。

この曳山は青獅子が朱玉にしっかりと爪を食い込ませて乗っている姿を型どったものです。
モチーフになったものは唐津焼の「珠取獅子」でした。
これまでの11台にない新しいデザインです。

一般に「珠取獅子」といえば、片方の前足で珠を押さえているものですが、
京町の珠取獅子のように四本の足で珠の上に乗っているのは珍しいそうです。

その珠玉を守る獅子の姿は、珠をつかんで耳を張り、キリっと前を見据えています。
横から眺めると、後ろ足は力強く踏ん張っています。

どの曳山もそうですが、前からだけではなく、横から後ろから見るとさらに曳山の奥深さがわかります。

この曳山も、後ろから見るとおしりをツンと突き出していて、とてもチャーミングです。
また黒の体と金色の毛並みのコントラストが美しい曳山です。


珠取獅子
幅:2.6m
高さ:約5.2m
重さ:推定1.6~1.8t
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11番山 酒呑童子と源頼光の兜 米屋町

2005年06月19日 | 唐津くんち
米屋町の、酒呑童子と源頼光の兜は明治2年(1869)に製作されました。

酒呑童子(しゅてんどうじ)とは丹波の大江山に住んでいた野盗軍団の首領の名前で、
京都に近いため略奪を繰り返し、人々に怖れられていました。
そんな折、池田大納言の「くりから姫」が誘拐され、その話が一条天皇の耳に入り、
源頼光に討伐の命がくだされました。
頼光の一行6人は、さまざまな苦労の末に酒呑童子に会い、毒酒を飲ませて酔い潰し、
酒呑童子の首を切り落としたそうです。

一説には、頼光と酒呑童子が斬り合い、頼光が一瞬早く酒呑童子の首を切り落とした。
その斬られた首が宙を飛び、頼光の兜の鉢に噛み付いたと言う。

この曳山はその噛み付いた様を型どっています。
確かに、横から見ると鉢に酒呑童子の牙が食い込んでいるのがわかります。

製作者は兜に関する知識が深いだけでなく、酒呑童子の表情の表現力がすばらしいです。
特に、酒呑童子の血走った眼を表現するために、当時としては希少であったビードロを、
長崎・出島のオランダ屋敷から譲り受け、それを半分に切断してから使用したと伝えられています。

とにかくこの迫力は唐津くんちの曳山の中では一番でしょう。
僕は物心がついて初めてのくんちの時、この曳山を見て怖くて泣いたのを憶えています。
今でも変わらず、この曳山が通ると子供が泣いている姿が見受けられます。

昭和53年に、商工会議所百周年記念全国郷土祭、日本橋京橋祭に鳳凰丸と共に招かれました。


酒呑童子と源頼光の兜
幅:3.0m
高さ:約6.2m
重さ:推定1.6~1.8t
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10番山 上杉謙信の兜 平野町

2005年06月18日 | 唐津くんち
平野町の上杉謙信は明治2年(1869)に製作されました。

平野町周辺の町々(刀町新町、紺屋町(今はないですが、黒獅子)、木綿町)が、曳山を完成させ、
また、米屋町も曳山を造ることとなったことから、
木綿町と平野町とが協議を重ね、武田信玄と上杉謙信の兜を造る事となったらしいです。

この兜は角があることから雄獅子を型どったものであり、獅子頭を表している。
この角は長く、その長い角が蓮根に似ていることから「レンコンヤマ」とも呼ばれ、
人々に親しまれています。
今もそう呼ばれているかはわかりませんが、僕の祖母はレンコンヤマと呼んでいます。

獅子の頭髪に使われているのは北海道の白熊の毛です。
また、兜の吹返しには上杉家ゆかりの紋が形どられています。

平野町は、上杉謙信が塩を贈った故事にならい、唐津くんちの際は、
塩まきはタップリとまき散らします。

昭和56年、アメリカのディズニーランドで行われた「日本の祭り]に、
また、昭和59年にオランダのロッテルダムで開催された日蘭通商375年記念の
「日本の祭り」に出演しています。


上杉謙信の兜
幅:2.4m
高さ:約6.7m
重さ:推定1.6~1.8t
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9番山 武田信玄の兜 木綿町

2005年06月17日 | 唐津くんち
木綿(きわた)町の武田信玄の兜は元治元年(1864)に製作されました。

武田信玄の兜は、絵図か文献を参考にしたと思われます。
正確な資料が集まらなかった事と、曳山としての見栄えを考えて、
現在の型になったと思われます。

この鹿角は木製です。
そして兜の飾りや面の髭に使われている白い毛は中国産のシャグマの毛です。

木綿町では、上杉謙信から塩の救援を受けたという故事にちなんで、
塩を大事に取り扱い、唐津くんちの時には、決して塩をまく事をしないと決めています。

個人的な見解ですが、くんちの時に曳き手の列が、きちんと並んでいてきれいなのがこの木綿町です。


武田信玄の兜
幅:2.7m
高さ:約6.2m
重さ:推定1.6~1.8t
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