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ラーメンLOVE

ぼちぼち頑張ります。

8番山 金獅子 本町

2005年06月16日 | 唐津くんち
本町の金獅子は弘化4年(1847)に製作されました。

赤獅子青獅子の次は金獅子です。
前にできた二台に負けるわけにはいかないと、いちばん豪華に造りたかったのでしょう。
顔の大きさも二台より大きいです。

というか、数年前までは日本一大きな獅子頭でした。
どこか獅子が金獅子の獅子頭が抜きました。みたいなニュースを見た覚えがあります。
いまその獅子頭がなければ、これが一番大きいです。

耳は赤獅子と同じく垂れており、
角は青獅子と同じく二またです。

色が金だけに、塗り替えには莫大なお金が掛かりそうです。

昭和49年に明治神宮外苑で開かれた「日本のまつり」に、
魚屋町の鯛と共に参加しました。

獅子は近くで見たらいまいちかっこよく映らないですね。
少し遠くから見るとかっこいいんです。


金獅子
幅:3.1m
高さ:約5.5m
重さ:推定1.6~1.8t
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7番山 飛龍 新町

2005年06月15日 | 唐津くんち
新町の飛龍は弘化3年(1846)に製作されました。

飛龍は字の通り、空を飛翔する龍を意味しています。
また「飛龍天に在り」という言葉のごとく、聖人が天子の位にあることを言うそうです。
飛龍は中国では、麒麟、鳳凰、亀と共に四霊と呼ばれ、神秘的な動物とされています。
龍は渕に棲むと言われていて、水や雨に関係が深い動物です。
日本でも神話では水神、海神として神聖化されています。

龍は、顔はラクダ、髭はナマズ、牙はトラ、目は鬼、耳は牛、角は鹿、胴はヘビ、
うろこは鯉、足(爪)はタカ。という逸話から、想像してこの飛龍は造られました。

この曳山は本体が上下左右に自由に大きく揺れるように造られています。
また新町は、太鼓の叩き方が独特で、躍動感たっぷりに跳ねるような叩き方をします。

昭和25年に福岡市の市制施行祝賀の街路パレードに参加。
昭和52年には、NHKの第一回郷土芸能の祭に特別出演。
さらに、数年前の紅白歌合戦では、北島三郎さんの「まつり」の時に登場しました。


飛龍
幅:2.2m
高さ:約6.8m
重さ:推定1.8t
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6番山 鳳凰丸 大石町

2005年06月14日 | 唐津くんち
大石町の鳳凰丸は弘化3年(1846)に製作されました。

前年に製作された魚屋町の海の幸に対して、山の幸として鳳凰をと考えたのでしょう。
鳳凰を造るにあたっては、大きすぎて道路を曳き回る時の多大な障害になると考えられるが、
あえて京都の祇園祭の船鉾を模して造られたそうです。
船の首部に鳳凰を型どったものを造り、それを胴体と結合して御座船を造ってあります。

この鳳凰丸は材木町の亀と浦島太郎と同様に前後に長いため、
二本の心棒で支えられています。

長さも、重さも唐津くんちの曳山の中で一番あります。
それだけに、この曳山だけには、前にもカジ棒が付けられています。

加えて言うと、曳き手も数もダントツで一番多いです。
なので、先頭を曳く子供達が通ってから曳山が来るまでは、かなりの時間がかかります。

昭和53年に、商工会議所百周年記念全国郷土祭、日本橋京橋祭に出勤。
また平成2年に博多どんたくに登場しました。


鳳凰丸
幅:2.1m
高さ:約4.4m
重さ:推定4.0t
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5番山 鯛 魚屋町

2005年06月13日 | 唐津くんち
鯛は弘化2年(1845)に製作されました。

町の名前からもわかる通り、その当時、魚屋町には魚屋が軒を並べていました。
この町名にちなんで、海の幸として日本人の珍重する鯛をお供えすることを決め、
鯛曳山を造り神興に供奉したものと思われます。

それにしても良くできています。
単純な魚の体をここまで見事に造形したものは他にないと思います。
体の厚さ、目の大きさなど見た目のバランスは最高です。
また、この鯛は、胸ビレを開閉できるようになっていたり、
鯛の体がシーソーのように上下に動くように作られています。
実際に上下に動かしながら曳かれていく姿は、あたかも人波の上を本当に泳いでいるかのように見えます。

鯛はこの非常にかわいらしいルックスから、子供や女の人に大人気です。
僕は以前、そのかわいさで人気のところが大嫌いでした。
でもいまはそんなことないです。ほんと、こんなかわいい鯛は、見たことありませんよね。

昭和54年には、フランスのニースカーニバルに出演しました。



幅:2.2m
高さ:約6.7m
重さ:推定2.0~2.5t
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4番山 源義経の兜 呉服町

2005年06月12日 | 唐津くんち
源義経の兜は天保15年(1844)に製作されました。

この曳山は、中町の青獅子から20年目、材木町の亀と浦島太郎から3年後に造られました。
日本人の判官びいきの思想から神興の守護にあたる武将として、義経を選んだと考えられます。

個人的な意見ですが、この曳山は唐津くんちの曳山の中では1番派手さが少なく、
地味な曳山だと思われます。曳き手も少ない印象があります。
しかし、よく見れば兜の作りはすばらしく、
他に数台ある兜の曳山と比べても飛び抜けて精巧に作られています。

また、兜に付いている龍は、小さいながら下から見るとすごい迫力があります。
横から見ると躍動感もあり、すばらしいです。
しかし正面から見るとその良さがいまいちわからないのでちょっと悲しいです。


源義経の兜
幅:2.8m
高さ:約6.1m
重さ:推定1.6~1.8t
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3番山 亀と浦島太郎 材木町

2005年06月11日 | 唐津くんち
この曳山が完成したのは天保12年(1841年)です。

中町の青獅子ができて17年後になりますが、その間、何を造ろうか迷っていたと思われます。
亀になったのは、材木町はいちばん海に近いことや、当時九州の三大祭の一つとされていた八代の妙見祭の神興に供奉している亀蛇にもヒントを得たようです。
亀の背にははじめ宝珠を乗せました。
しかし、完成から二十年後くらいに浦島太郎になったそうです。

この亀の顔は恐く、怒っているように見えますが、実は笑っている顔だそうです。
亀は笑うと怒ったような顔になるという学者の説から来ています。
雨の日には浦島太郎に笠をかぶせます。その姿には実に味があります。

またこの亀と浦島太郎は曳山自体が前後に長いため、支柱が2本入っています。
支柱が2本なのはこの曳山を含め3台あります。


亀と浦島太郎
幅:2.6m
高さ:約5.3m
重さ:推定2.5t
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2番山 青獅子 中町

2005年06月10日 | 唐津くんち
この青獅子は文政7年(1824年)に製作されました。

赤獅子と同じ、獅子がモチーフです。
赤獅子に比べるとすべての面で小ぶりに造られています。
角は二またで耳は垂れずに垂直に立っています。
また、鼻の大きさや向きも違います。

ただ、僕は目の上のぐりぐりがわざとなのか、やや雑に造られている感があるのが小学生の頃からずっと気になっています。
赤獅子に比べ、凛々しい顔立ちです。男らしい顔です。

あと、中町は掛け声などが激しく、威勢も良く、いかにもお祭りという感じで、大人しい刀町の赤獅子を曳いていた僕にとってはすごく羨ましかったです。


青獅子
幅:2.5m
高さ:約4.8m
重さ:推定1.6~1.8t
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1番山 赤獅子 刀町

2005年06月09日 | 唐津くんち
刀町の赤獅子は文政2年(1819年)に製作されました。

刀町の木彫り師が京都に立寄った際に、祇園山笠を見て、それをヒントに赤獅子を造り、
唐津神社に奉納したのが現在の唐津くんちの曳きやまの始まりと言われています。

この赤獅子。実は以前、僕が曳いていた曳山です。小学生の時6度と大学の時に1度。
大学の時にはtonhashiさんと曳きました。とても楽しかったですね!
今でも小学校時代の友人達はいろんな町の曳山を曳いています。ほんとにうらやましいです。

自分が曳いていたからかもしれませんが、僕はこの赤獅子の顔がいちばん好きです。
どの曳山もきれいですが、赤獅子の作りは実に丁寧で。まさに芸術です。
200年も前の物なのにほんとにすばらしいです。


赤獅子
幅:3m
高さ:約5.4m
重さ:推定1.6~1.8t
コメント (2)
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唐津くんち はじめに

2005年06月08日 | 唐津くんち

「唐津くんち」は以前ここで紹介しましたが、佐賀県唐津市で11月2・3・4日に行われるお祭りです。

今回のシリーズでは、その唐津くんちで町の中を曳かれる、14台の曳山(ひきやま・やま)を毎日1台、2週間かけて紹介していこうと思います。

これらの曳山は、すべて漆塗りで、江戸末期の文政2年(1819年)から明治9年(1876年)にかけて造られ、江戸時代唐津藩の祈願所でもあった唐津神社に奉納されたものです。


このシリーズは、唐津出身者による、ほぼ自己満足に近いものですが、ラーメンの合間に御覧下さい。

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唐津くんち

2005年04月29日 | 唐津くんち
「唐津くんち」とは11月2・3・4日に佐賀県唐津市で行われるお祭りです。

今日は唐津神社の御鎮座1250年祭ということで行われています。
今も町を練り歩いているところです。
僕は幼いころからこの祭りが好きです。
おはやしなど活気があって実にいいお祭りです。

みなさんもいつか生でご覧下さい。
コメント (3)
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