
鎮魂 侍たちの夏~福島・相馬野馬追~
福島県の双葉地方が相馬野馬追の舞台であり、ここでは東日本大震災によて1400人の命が
奪われ、原発事故で今も4万人が避難生活をしている。
相馬野馬追は毎年7月下旬に行われており、甲冑競馬や神旗争奪戦といった競技が行われる。
メイン会場は福島第一原発の30km以内に含まれており中止を余儀なくされた。今年は騎馬武者行列が開催することができた。
毎年欠かさず相馬野馬追に参加してきた中橋安彦さんは、亡くなった妻の供養のために
相馬野馬追に参加しようと決めた。
家族で相馬野馬追に出るのは、福島第一原発の30km圏の外に住んでいた
中橋安彦さんのみだという。
相馬野馬追に情熱を傾ける佐藤信幸さんは、実家が全て東日本大震災によってなくなってしまった。
東日本大震災で2頭の馬を必死に救出したが、1頭が体調を崩し命を落としてしまった。
騎馬武者に合図を送る螺役を子どもに伝授していた。
東日本大震災によって亡くなった人の魂を弔う特別な吹き方を行っていた。佐藤信幸さんは、今年の相馬野馬追で多くの御霊を慰めるつもりである。
妻の供養のため相馬野馬追に出ることにした中橋安彦さんは、妻と交わした最後のメールが今も残っている。
妻との思い出のものは全て流されたが、妻が相馬野馬追に出る中橋安彦さんのためにこまめにしていた甲冑は実家に預けていたため無事だった。
相馬野馬追に出るため中橋安彦さんは練習に励み、妻が言ってくれたアドバイスを思い出して練習をした。
相馬野馬追の伝統を後世に伝えたい佐藤信幸さんは、娘にその思いを託し練習をした。
佐藤信幸さんのところに新しい馬がやってきて、東日本大震災でのガレキによって脚などが傷ついていた。
この馬には娘の佐藤想愛羅さんが乗ることとなった。
本番2週間前、相馬野馬追に参加する人たちが集合し祭り当日の役職が発表された。
組頭の中橋安彦さんは、騎馬武者行列の先頭を努め、成功を祈って「相馬流れ山」を歌っていた。
相馬野馬追の前日、中橋安彦さんは妻のお墓参りへと訪れた。
お墓にケーキをそなえ、相馬野馬追の前日が誕生日なのでいままで誕生日をやったことがなかったという。
相馬野馬追当日、中橋安彦さんが甲冑を着て出陣の用意をした。
佐藤信幸さん父娘も出陣の時を迎えた。
相馬野馬追の出陣式開始の前に東日本大震災の犠牲者への黙祷が行われた。
相馬野馬追の騎馬武者行列が始まり、鎧兜をつけた武士たちが一斉に行進した。
今年参加した騎馬武者たちは80騎で、例年の6分の1となったが、この伝統行事をひと目見ようと全国から3万6000人の観客が集まった。
佐藤信幸さんは娘たちが次の世代に引き継いでいってくれたらと話していた。
相馬野馬追の騎馬武者行列の終盤となり、堂々と前を向いて闊歩する騎馬武者たちに多くの人が希望を感じていた。騎馬武者行列は3時間にわたって行われた。
ラジオ深夜便 7/27日
MARSHALL誕生日 入院日 ウナギの日