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圧巻の美輪明宏 静まり返った「ヨイトマケの唄」nhk紅白

2013-01-01 22:06:43 | Weblog
圧巻の美輪明宏 静まり返った「ヨイトマケの唄」

注目の美輪明宏さん(77)の「ヨイトマケの唄」。
戦前、戦中、戦後の激動の時代を、貧しく苦しくとも互いにかばい合い、
生き抜いた親子の絆を描いた歌だ。
SMAPの木村拓哉さんが「親が子を思い、子が親を思う、無償の愛の歌をお届けします」と紹介した。
 
暗転したステージに「父ちゃんのためならエンヤーコーラー」と、振り絞るような声が響く。

民族音楽を思わせる太鼓が続く。
 明かりがともると、シンプルなスーツに身を包んだ美輪さんが浮かび上がった。
美輪さんは身ぶり手ぶりで「貧しい土方」の親子の物語を繰り広げる。
演出はスポットライトのみ。
歌というより、一つの舞台のようで、水をうったように会場は静まりかえった。
圧巻の歌唱は、6分にわたってお茶の間に届けられた。
 

終演後、美輪さんは「私のコンサートと同じで、一人一人の観客の人生に、
歌がしみこんでいくのが分かった」と語った。
さらに「親御さんのいない子供はいない。
今、親が子を殺し、子が親を殺すことがよく起きている。
一人でも、そういう人がいなくなるように、起こらなくなるようにという曲です」と、目に涙を浮かべながら語った。http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/121231/ent12123123080021-n1.htm

初めて発表したのは1964年(昭和39年)、リサイタルにて歌唱。
1965年(昭和40年)、NETテレビ(現在のテレビ朝日)『木島則夫モーニングショー』の
「今週の歌」で発表したところ、非常に大きな反響を呼び、
放送局には10万通を超える投書があり、異例のアンコール放送となった。
名曲で大ヒットしたが、歌詞の中にある『土方(どかた)』という言葉が問題となり、
間もなく放送禁止となる。
後に、新井英一、泉谷しげる、桑田佳祐、なぎら健壱、フォーククルセダーズ、槇原敬之らにカバーされ、今なお親しまれている。

74才の爺には今年の紅白は居眠りが多くなった歌手ばかりが出場
じっくり歌をを聞かせてくれる歌手がほとんどいない
なぜ、目障りなくらいまるで運動会の玉入れのごとく飛び回るダンスの邪魔
国民から金を取っているくせに 何と下手の演出 特に目立つのが照明
明かりを付けたり消したりするのが照明と思って位るNHK

出場者も 体育祭かと思うほどの子供達がガラスまで使って人数をごまかす馬鹿さ。
あんな集団は 紅白終了後 出口で 客の見送りに歌えばいいのだ 。

土手のぺんぺん草のようにじゃまな存在にたいして たった一人で照明までNHKに指示
ステージに浮かび上がる三輪さんには頭が下がった。

四季の言葉 「木 守 柿 キモリガキ」

2012-12-23 09:06:49 | Weblog



写真は フェスブックhttpwww.facebook.comOldDaddyO より

「柿の実」



柿の実を 

ひとり喰(は)みつつ

     涙ながせり

柿の実は 紅くひかりて

 まろく 黙(もだ)せり

柿の実を ひとり喰めるは われか

ひとり旅人

ふるさとの町

ひそかなる宿

柿の実の 皮をはぎつつ

そのかみの

秋を想いき


神保 光太郎の「柿の叙情」、冒頭部分である。

柿の言う名称は、赤い実のなる木、、すなわち「赤木」

あがき が略されたのであろう。



秋そのものという印象が、柿にはある。



上記の詩は、かっての幸せだった秋の日を思い出しながら、ひとり柿を食う

さびしい一人旅の男の心境。

  「四季の言葉」辞典  嶋岡 晨 著  大和出版より 




なかなか、美しい・忘れてはならない言葉が残っているんですね

一般的には、「木 守 柿 キモリガキ」

俳句等では、「木 守 柿 キマモリガキ」と使われているようです

我が家の6冊の辞典にはこの言葉が出てきません。

自作の茶杓には、この銘が付けてあります。


木守柿



天への捧げもの

柿は収穫するとき、すべてを

取ってしまわず、木の先端の

方に少しだけ残しておく

風習があります。地方に

よっては、残す数が一つ

だけだったり、数個だったり

するようですが、日本各地に

残る風習のようです。

理由も鳥にあげるため、

来年の豊作を祈るため、

神(自然)に捧げるためなど、様々です。 木守柿はジバング倶楽部12月号より

残された柿が、直接、          

木を守っているわけではないようです。

それでも、鮮やかに熟した柿が、葉もまばらな木の先端で、秋風に吹かれてい

るのを見ると、最後までふんばってその木を守っているように見えます。

鳥への思いやりが、長い目で見れば連鎖で自然を潤すことになるのでしょう。

木守柿を残しながら、人もまた、自然を守ろうとしたのですね。

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2012-12-18 10:45:34 | Weblog
こんなかっこうよく着物が着てみたい
ファエスブックノ中のコーナーに
「男達に着物を着せてみゃろう?」
其処を眺め定タラ、中田君が現れた
洋服もかっこいいが さすがサッカーで鍛えただけはある
ほれぼれする
何と言っても袴に女物の紬?のはおりと着物

『利休にたずねよ』

2012-11-08 12:34:48 | Weblog
市川海老蔵、最新作は千利休役! 直木賞受賞作「利休にたずねよ」映画化で中谷美紀と初共演!
シネマトゥデイ 11月5日(月)10時32分配信

拡大写真
初共演に期待です!
 歌舞伎俳優の市川海老蔵が、来年の正月に公開される映画『利休にたずねよ』で、主役の千利休を演じることが発表された。本作は、第140回直木賞受賞作である山本兼一の同名作を映画化。妻・宗恩役には、海老蔵とは初共演となる中谷美紀が扮し、『火天の城』の田中光敏がメガホンを取る。

 海老蔵が演じる千利休は、蜜月の関係であった豊臣秀吉の怒りを買い、切腹を遂げた「茶の湯天下一」とうたわれた茶人。本作は、利休を取り巻く策略、師、弟子、妻との交わりを通して、美を追求し続けた利休の情熱と共に、日本芸術史上唯一の殉職といわれた利休切腹の真相を描く。

 「約400年以上続いている市川家を築き上げた、初代・市川團十郎にはきっと特別な才能があったと想像しています。同じ頃、茶道の世界に現れた希有の天才が、千利休であったと思います」と役柄への格別の思いを語った海老蔵。オファーを2年前から受けていたことも明かし、「私に期待されているであろう、抜き身のごとく鋭い感性を持った千利休を表現できれば役者冥利に尽きます」と意気込みも十分だ。

 妻役の中谷は、「利休ほどの人物に寄り添い、理解を示し、そして支えた宗恩という女性の深い愛と哀しみを佇まいだけで表現できるように努めたいと思います」とコメント。日本映画をけん引する女優と、歌舞伎界のプリンスの初共演にも注目したい。

 海老蔵が松竹配給以外の作品に出演するのは、本作が初めて。映画『大奥』など、絢爛(けんらん)豪華な様式美を作り上げてきた東映京都撮影所美術チームが集結し、天下人・秀吉も驚愕(きょうがく)した究極の美の形・利休型を完全再現する。11月5日にクランクインする撮影は、京都・滋賀を中心にオール関西ロケを敢行する予定。

 「利休の本当の魅力は彼の人間性。狂気と思えるほどに、美しいものを追い求める情熱にあったと私は、想像しています。きっと美にかかわることであれば、時には天下人である秀吉に対しても冷たい目で一瞥(いちべつ)するような瞬間もあったのかもしれません」とコメントした海老蔵。クランクインを目前に、自身が演じる「利休像」は、すでに出来上がっているようだ。
 
 これまで、三船敏郎や三國連太郎と名だたる名優が演じてきた、千利休。古典芸能である歌舞伎の世界で芸術感覚を磨き続けてきた海老蔵が演じる、新たな利休に早くも期待が高まる。(編集部:森田真帆)

映画『利休にたずねよ』は、2013年12月全国公開予定
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121105-00000061-flix-movi

川島「福島を救って」涙目会見で訴え

2012-10-21 09:22:21 | Weblog
【リエージュ(ベルギー)18日=益子浩一】日本代表のGK川島永嗣(29=スタンダール)が当地で、東日本大震災の被災地に向けた会見を開いた。フランス国営テレビが、川島の腕が4本ある合成写真を映し「福島(第1原発事故)の影響」と発言したことに対して「冗談にもならない」と反発。さらに「福島には、いまだに家に帰れない人もいるんです。世界中の人々が日本を救って欲しい」と訴えかけた。

 初冬を迎え周囲の木々が紅葉した練習場から会見室に入ってくると、川島はしっかりした口調で語った。日本代表として出場した12日フランス戦後、フランス国営テレビが、自身の腕が4本ある合成写真を放送。司会者が「福島(第1原発事故)の影響ではないか」と発言したことは現地でも大きな波紋を呼んでいる。

 川島 私たち日本人にとって、それは冗談では済まされないことです。非常に悪いジョークだ。福島には今でも家に帰れない人がいる。家を失ってしまった人もいる。私だけでなく、日本にとって、重要な問題なのです。世界中の人々に、日本を救って欲しい。

 被災地の光景が浮かんだのだろう。英語で話すと感極まった表情になり、目頭を熱くした。昨年夏に仙台、冬には原発から近い福島県相馬市、今夏にも岩手を訪問。帰国すれば、必ず被災地へ足を運ぶ。

 川島 原発の被害は、目に見えるものではない。常におびえている人がいる。子供たちは外で遊ぶこともできず、心おきなく(サッカーの)練習もできない。当たり前のことが、当たり前にできない。復興だけでなく、心の傷は簡単には癒えないのです。

 この日の会見は、自ら希望して開いた。自分の口で言いたかったのだという。

 川島 今回の出来事は、日本人がどうあるべきかを示す機会にもなる。僕がどう考えているか、しっかり主張をする。今まではなかったことかも知れませんが、これからの日本人はどうあるべきか。それを伝える責任がある。サッカー以外でも、行動を起こしたい。

 最後に、被災地への思いも残した。

 川島 常に一緒だということを忘れないでほしい。日本人のメンタリティーは世界に誇れるものですから。

 遠いベルギーから発信した言葉の数々。それは、心から伝えたい思いだった。

 [2012年10月19日8時46分 紙面から]