goo blog サービス終了のお知らせ 

ブログ

marshallのブログ

ブログ移動

2013-06-05 06:39:34 | Weblog
http://www.facebook.com/jikon.kamawanu

フェスブックに移動しました。
名前は

鎌○ぬ かまわぬ  で登録しています

宜しくお願い致します

猫に小判

2013-05-14 11:49:38 | Weblog
午前中 生み立ての卵のお礼に近所の●●宅へ
世間話後 こんなものはいらぬかと出された桐の小さな箱
あけてびっくり
茶道で使用する 「蓋置き」である。
彼曰く
底のない湯飲み茶碗か、ぐい飲みなんかいらぬからと 差し出された。
彼の妹が持ってきたそうだ。
いるんだったら持って行け!
早速 家に持ち帰る。
三輪 休雪 の最後の弟子に当たる作品
氏没後 独立 
迦葉山窯  柴田 武師  (号)快  元
萩焼である
使えば使うほど 変化があれわれる
「萩のお化け」と賛え非常に珍重されている。
味のある大胆な作品


伽羅蕗と伽羅先代萩

2013-05-09 23:57:07 | Weblog
今朝は4時に目が覚め 日の出と共に庭より蕗を採集
板ヅリをし 5センチに切って 皮付きのまま湯の中で5分
あく抜きのため 火鉢より灰を入れたので そのまま外でさます
半日あく抜きで 早速 何度も水を換えておいた蕗を
醤油 砂糖 酒 昆布だし 唐辛子で 薄味にし1時間煮込む

ここで 味み
やや甘味が強いので 調味料をたし 再び火にかけ30分

今夜はこのまま

明日は又かき混ぜ 火にかける
そのまま ほったらかし

3日目 汁がしみこむ蕗
汁がなくなるまで 煮込んで仕上がり

さぁた、男の料理
頭で考えたとおりできあがるかな

できあがったら 写真のセル予定。

伽羅といえば
先日仏事で上京
歌舞伎座の前を通ったら
なんと 
伽羅仙台(先代)萩 の看板
みたいなぁ

4月2日 日記 伊達騒動の張本人
       (伊達綱村)

帝劇では レ・ミゼラブル
これは観劇済み
ジャンバルジャンが 2たりともけがで入院
一人残った 吉原光夫 が頑張っている
連休中に 2日間も公演中止
いいとき観劇しました
映画と同じ流れ
感激した 
涙がたくさん出ました

7月に 再観劇予定

歌舞伎も見たい

年金では苦しい
芝居見るのに 汽車賃 宿代 木戸銭 めし 8万かかる

歌舞伎座向かって右の文明堂から4/5軒目
「銀の塔」
ここは和風ビーフシチュウ専門店
土鍋で出てくる
おすすめである

歌舞伎の俳優さん達の姿も見れる
45/6年のご贔屓の店

そばにあった 仙台が本店の七十七銀行東京支店が
ビルごと 無くなっている
冴えないところに、人通りの少ないところへ引っ越し
営業が冴えないのかな?

やっぱり見に行こう
そして うまい物を食って 友達に会い 茶の友にも稽古場に行って挨拶
多忙だね

66年ぶり4月24日の雪

2013-04-22 07:12:57 | Weblog

今日は、朝から牡丹雪
寒いですね
ストーブがフル回転

庭の山野草が 折角 芽吹き始めたのに
雪の重さで おれたり倒れたり

一年間 楽しみにしていたものが あっという間に 雪に埋もれてしまった
椿は満開
これも凍えている

4月23日 9時現在 2センチの積雪
でかい でかい雪がどんどん落ちてくる
音がないのが不思議である

車もタイヤを取り替えたばかり

ここは坂道
キィキィ タイヤの音
事故につながるであろう
外出は控えておこう

庭の藪椿の今朝の写真

伊達騒動 伊達綱村

2013-04-02 19:19:12 | Weblog

久々に 裏の山まで散歩
2時間歩いた
東北工大の野球場を回り 野草園 ジム仲間の山のてっぺんの門を過ぎ 伊達綱村の廟を参拝

歌舞伎で有名な
伊達騒動  本人である
大地震で墓標が皆倒れていたが 今は整理されて 元の姿にたたずむ
墓石の倒れていた工事の爺様と目が合う
煙草を吹かして 一休みの所におじゃま
いい体格
年の頃は 60代前半
こっちは、腰痛を気にしゆっくりの散歩
世間話をして引き返す
だいすきな 追い羽根 は まだ芽吹く前
櫻もすこし堅い目をふくらませている
疲れがくると 場所を選ばず 腰掛ける
2時間はきつかった今朝。



★「伽羅」と書いて「めいぼく」と読む
  
  伊達家のお家騒動を足利家に変えて人形浄瑠璃で上演し、
評判になったので歌舞伎でも上演した。
  人形浄瑠璃(今の文楽)と歌舞伎では違っていたが、
現在上演するのは両方が交じっている。

(仙台の伊達家当主の座をめぐる後継者争いのこと。)
台藩3代藩主の伊達綱宗は遊び三昧であった為、
叔父にあたる伊達宗勝(兵部)がこれを注意したが
聞き入れられなかった。
宗勝は親族大名であった。
岡山藩主池田光政、柳川藩主立花忠茂、宮津藩主京極高国と相談の上、
老中・酒井忠清に綱宗と仙台藩家老に注意するよう提訴した。
これにもかかわらず綱宗の放蕩は止まず(吉原三浦屋の高尾大夫)、
遂に家臣と親族大名の連名で幕府に綱宗の隠居と、
嫡子の亀千代(後の伊達綱村)の家督相続を願い出た。
幕府より綱宗は21歳で強制隠居させられ、
4代藩主に僅か2歳の伊達綱村(仙台伊達家4代藩主。政宗のひまご)が就任した。
綱宗の不行跡による危機が「仙台藩最初の危機」とするならば、
この綱村のときの危機はまさに「仙台藩最大の危機」である。

万治三年(1660年)に三代綱宗が不行跡という理由で隠居させられ、21歳で隠居
側室の生んだ亀千代がわずか二歳であとを継いだ。
その後見となった伊達兵部が江戸家老の原田甲斐と手を結んで、藩政を握る。
それに対抗したのが伊達一門の安芸人たちだった。
事の真相は、藩政改革の積極派であった甲斐一派に対する保守派の抵抗、
というのが歴史上の解釈
ところが仙台藩での権力争いが激化し、兵部宗勝に対立する伊達安芸(伊達家の親戚のおじさん)が
江戸の幕府に訴え、大老・酒井雅楽頭忠清(姫路藩主)が裁定した。
 その最中、兵部派の原田甲斐(政宗の孫)が伊達安芸を殺傷し、酒井家屋敷で自害した。
(この場所が東京・大手町の将門塚があるあたり)
 幕府裁定の結果、伊達兵部派は九州、四国に流罪、藩主・伊達家は無罪となる。
(これらを伊達騒動という)
http://blogs.dion.ne.jp/amabegoro/archives/254870.html やまとこころより


若君 鶴千代を暗殺から守るのが乳人「政岡」という しっかりもの、
これに対して憎たらしいのが「八汐」。
敵が毒を盛るのを防ぐために、御殿の中で政岡がうちかけを
着たままご飯を炊く
  「飯(まま)炊き場」が泣かせる。
  敵が持って来た毒入り饅頭を若君に食べさせまいと、
政岡の子供の千松が食べて
八汐に殺されるのだが、政岡は我が子が目の前で
殺されるのを、お家のために腹の中では
泣きながら、表面は平静をよそおい、ぐっと我慢し、
敵が去ってから抱きしめて大泣きするところが、 見せ場。客席も涙・涙

  実録では政岡は「浅岡」。
  伽羅先代萩の伽羅(めいぼく)の由来は素晴らしいとか、
最高という意味ではなく
仙台候が伽羅で作った下駄をはいていたので、 伊達騒動・鶴千代・伊達綱村 廟
歌舞伎に出てくる殿様「足利頼兼」が伽羅の
  下駄を履いて、遊里通いの姿をみせるところからきた。

 ちなみに、先代萩の由来は、仙台のお大尽「萩大尽」という人がいて、それから生まれたと
  いわれている