まりはな屋

地方都市で、清貧生活  

パラドックス?

2002年10月03日 22時55分00秒 | 日々雑感
「世も末」という言葉がある。

警官が万引きしたとか、教師が痴漢したとかいう「由々しきこと」が起きたとき口にされる。

だが、その使い方は安易だったかも知れない。

世界情勢も社会で起きる事件も悪化の一途を辿る今となっては

「世も末」なことが多過ぎて「世も末感」も希薄になってしまいそうなほどだ。

些細な出来事を「世も末だ」などと言っていられたのん気な時代ではないのだ。

だから、これから書くことは十年前には世も末と言えた話だが、今は大したことではないのだろう。

小中学生の整形。

昨今、昔ほど整形はタブー視されなくなってきている。

テレビに出て明るく語ったり、整形そのもののドキュメント番組もある。

わたしは整形に対して何の偏見も持っていないし反対派でもない。

むしろ、きれいになって良かったねと言ってあげたいくらいだ。

だが、それは大人の場合だ。

大人は骨格やもろもろの成長が止まっているし、失敗したって自己責任だ。

だけど子供は駄目だ。

わたしは一重だった目が大人になって二重になった。

子供の顔は成長に従って変化する。

そんなあやふやな物を途中でいじってはいけない。

どんなに安全だと言ったって麻酔をかけて行うのである。

よっぽどの事情でもないのに麻酔なんかかけるものではない。

大体、顔の造作に障害があるならともかく、ただ

「パッチリした目になりたい」

「アイドルみたいになりたい」

そんな理由で整形させる親の神経が分からない。

「うちのXXちゃんが悩んでる!」

そんなことで整形させたのなら、もはやそれは親バカではなくバカ親だ。

本当に子供が可愛いのなら

「浜崎あゆみも可愛いけどお前も可愛い」って言ってやるのが親じゃないか。

わたしは子供の頃「博多人形のようだ」と言われた。

どんなに可愛いかと思われるだろうがそうではない。

ただ、目が細くて口が小さくてしもぶくれだっただけだ。

子供は大人が思うよりも自分や友人の美醜に敏感である。

小学校の低学年の頃からわたしは、他の子より自分が可愛くないなぁと気に病んでいた。

もっと目が大きくなれば・・・

もっと顔が細かったら・・・

でも、大人になれば化粧で変わるし髪形で変わるし、いくらでも何とでもなるんである。

その段階でやっぱり自分の容姿に納得できなければ整形したらいい。

それはもう自由であり、自分の責任だ。

なんでも子供に与えりゃいいってもんじゃないのだ。

同じ理由で幼児の髪を染める親も許せない。

子供の髪や地肌を痛ませてなんとも思わないなんて。

世も末と言いたいが、こんなバカバカしい事がまかり通るのは日本が平和だからだろう。

だとすると「世も末」な現象がある限り日本は安泰なんだろう・・・きっと。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする