三     九

いつも ありがとう

ひだまりの歌

2009-09-11 14:08:28 | Weblog
昨日は 思いっきり泣いてしまいました。

あーこの歌  ラジオから流れてくる「ひだまりの歌」 

涙が 次から次に流れてきます。


姉の私が言うのもなんですが

面長の見るからに優しく気持ちの柔らかい感じのいい日本美人でした。


妹の名前はふみちゃんと言います。

平成9年11月14日の 悲しい 悲しい時を思い出しました。



病院に居たふみちゃんの旦那さんから危篤状態の知らせを受けて

私は 母と姉と一緒に

車で一時間ほど離れた 病院へと急行しました。


一人暮らしをしていた母を

娘が親より先に逝くかも知れない そんな時 一人にしておく事が出来ず

我が家で一緒に過ごしていました。


妹は 肝臓がんでした。 

手厚い看護を受けながらも 手の施しようもなく

その日の朝、ショック状態を越していたようです。


いつどんな状態になるか・・・と言われていた 私達は 

一つの覚悟をして出かけました。


私達が 病院へ着いた時は 痛みがあり まだ意識がありました。

痛みのある所を撫でてあげるくらいしか 他してあげる事が出来ず 
ただ ただ そばに居るだけでした。

本人の望む事 なんでもして下さいとお医者さんは言って下さいました。


何かしたい 何とかしたい。


 「何か食べたいものない?」

 ふみちゃん「冷たいものが食べたい」

急いで 売店に行って 

上等のアイスクリームを と思って買ったのを覚えています。

1~2口ほど食べてくれました。


 「会いたい人いない?」

ふみちゃんは 二人の女性と一人の甥っ子の名前を言いました。



二人の女性は 日頃、病弱な妹の子供の事をよく気にかけて下さっていた方でした。

今までお礼と 子供達の事を お願いしたかったのでしょう。

車で2時間ほど離れたところでしたが、

甥っ子に 2人の女性を 一緒に連れてきてほしいと お願いしました。

この 甥っ子とお二方には今でも 感謝しています。


痛みが和らいだようですが 

意識は戻ることなく


妹は まるで スースー眠っているようで 穏やか顔をしています。

先に亡くなった親族が 迎えに来ると聴いた事があります。

「迎えに来ないでー」の願いもむなしく


天国への階段をゆっくり ゆっくり 登り始めたようでした。


病院からラジカセをお借りして 一本のテープを小さな音量で妹のそばにセットしました。


ふみちゃん あなたの娘達が唄っているよ

あなたの 可愛い娘二人 

姉がピアノを弾いて、妹が澄んだきれいな声で唄っている歌。

「ひだまりの歌」を 繰り返し 繰り返し 流しました。


十数時間後 たくさんの親族に見守られながら 

平成9年11月15日 早朝 妹は帰らぬ人となりました。


姉は高校1年 妹は小学6年の時でした。


~ 会え~なくなって~ どれくらい~ たつのでしょ~


改めて 聴いてみると 悲しい歌なんですね   




今では 姉は保育園の先生に 妹は福祉の仕事にと

立派な社会人になっています。


長崎に帰った時  時々 お線香をあげさせてもらいに おじゃまします。

遺影に 語りかけます。


二人の娘は ふみちゃんに似て いい女性になっているよ。

いい方にご縁があるように 見守っていてね。



美人で 優しくて 物言いの柔らかい妹でした。


あなたが 私の妹でいた事は忘れないよ。

今でも おしい妹を亡くしたと思っています。

あなたの 姉ちゃんでよかったよ。

ふみちゃんの 残した二人の娘を 

これからも おばさんだけど 母であり 姉ちゃんのつもりで 私は見守っていくからね

安心して 安らかに お眠り下さいね。
コメント
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