マリアヨハンナさんのブログ

♪昨日は 今日のために・・・今日は 明日のために・・・♪
♪人々の愛、出逢い、支え合い、未来の平和と幸福を願って♪

♪レクイエム(フォーレ)、?ミサ曲ハ短調(モーツアルト) 4月12日演奏会

2014年02月12日 | ママさんコーラス

私の所属する・・・

合唱団「鯨」第66回定期演奏会のご案内

指揮:黒岩英臣

G.フォーレ「レクイエム」Op.48

W.A.モーツアルト「ミサ曲ハ短調」K.427(417a)

2014年4月12日(土) 13:00開場 14:00開演

東京芸術劇場コンサートホール(池袋西口)

Kujira66thconcert20140412_2


Kujira66thconcert201404120001_2

 今までの50年余りの合唱経験の中で一番印象に残っていて、大好きな曲の一つが、”フォーレのレクイエム”です。

 私は、アルトパートなので、この曲では出番がとても少ないのですが、もう30年あまり前にこの曲を、今は亡き、故佐々金治先生の指揮で、興銀合唱団で練習・演奏し、その昭和53年には”総務幹事”というまとめ役を仰せつかり、先生のご指導20周年、合唱団創立40周年記念でもあり、全日本合唱コンクール(函館大会)では、3回目の3年連続金賞を受賞し、定期演奏会ではフルオーケストラで演奏したこともあって、今でも忘れられません。

 佐々先生は、「僕の葬式には、この曲を歌って欲しいんだ・・・」と話して、とても丁寧にご指導下さいました。  勿論、先生(享年97歳)のご葬儀「お別れの会」では、この曲の合唱部分だけを、先生が指導していた合唱団、コーラスグループの参列者全員で合唱しました。

 そして、教会の通夜、葬儀の聖歌隊とオルガン奉仕を20年以上(100名は超えて)しているのですが、いつも私の心と頭の中でこの曲が鳴っています。 特に好きな♪Pie Jesu♪は、合唱譜から、オルガン用にアレンジして、献花の時等にBGMとして弾いています。 また、ときどき、聖歌指導をして下さる篠崎めぐみ先生(ソプラノ)が歌って下さるPie Jesuも、とても静かで、祈りの心にあふれて美しいです。

 先日9日に、もう一人、関町教会に移動して来た時から、とても印象の強い姉妹の帰天の連絡がありました。 昨日の通夜で聖歌指揮担当。 今日は、その葬儀で、私がオルガン担当に・・・。 以前から、BGMにしたいと思っていた♪In Paradisum♪を、思い切ってオルガン用にアレンジしました。 というのは、その方がとても慕っていた前主任司祭の金井久師の追悼で、昨年12月に帰天したオルガンの先輩から私のアレンジ楽譜を欲しいと差し上げ、後日、「フォーレの曲が、とても良かった・・・」とこの姉妹が言っていたのを思い出したからです。 金井師の「うたを聞く」という、クラッシック音楽鑑賞の講座に良く参加されていらしたので、ご本人もきっとお好きだったのだろうと思った次第。

 上手く演奏できるといいのですけれど・・・。

 グレゴリオ聖歌のRequiemから始まり、SanctusもAgnus Deiも歌うのが、関町での葬儀です。 亡くなられた方の魂が、この世においておかした罪から解放されて、少しでも早く天国で安らかに憩える様にと祈る(歌う)のです。 より多くの方の祈りが、より早く解放へと向かい、神様の元へと誘います。 葬儀ミサは、肉体がまだこの世にあるので、地上における帰天者と信徒との最後の「食事」(聖体拝領)になります。

 きっと、魂は、すでに神様の元にあるのでしょうね。 そして、今までになくなった多くの兄弟姉妹たちと一緒にいらっしゃるのでしょうね。

  今度の演奏会では、この1年間に特に親しかった方々、お世話になった方々が多く(Sr.河野紀代子様、賀陽濟様、長野照美様、巽豊彦先生、ジェラルド・バリー先生、坪田千鶴子様、今井弓子様、湯川武様、川島雍子様)亡くなったので、その方々のことを思いつつ歌いたいと思っています。

   演奏会が終わりました。 本番まで、ヒヤヒヤしました。   

でも、個人的には、亡くなった方を一人一人思い出しながら、心から祈りながら歌いました。

 直前のオケ合わせで、どうしても全体の音程が下がる部分があって・・・。 ”アルトが低い・・・”というコメントを出される方がいらして、確かに低かったので、気になって気になって・・・。 前日になって、思い切って技術副委員とパートリーダーに、直前に音を確かめていただくようにお願いメールしました。 当日朝の発声練習の時に、アルトだけ確認してもらいました。 とっても安心しました。 ところが・・・。本番になってみると、低いのはアルトではなくて、ソプラノ~テノール~ベース・・・。 美しくハモルはずの部分が、上から押さえつけられるように低くって、合唱が歌い終わってオケが残るところ、「ウ~ン」・・・低い! なんとか高めに響きを残すように必死でした。 会場に来ていただいた、先生方にも伺ってみたところ、アルトはそれほどでもなかったようで、ソプラノとテノールソロ部分がだんだん低くなっていくと・・・。 確かに、指揮者が、指を上の方に指していたな・・・。  全体的には、合唱はとても良かったと言っていただきましたけれど・・・。

 舞台に上がると、皆、興奮してしまうのかな? それとも、オーケストラの音に対抗しようと、大声になってしまうのか? 良く楽器の音を確かめながら歌えば、自分のパートの音を拾えるんですけれど・・・。 声を出しきってしまうと、耳が馬鹿になってしまって、コントロール出来なくなるので、それが大きな課題かな? 気持ちの上では、本当に一生懸命準備してきたのですけれど、技術面でより良い演奏をと考えると、いろいろと思ってしまう。

 全体の年齢も高い。 自分もそうだけど、目が悪くなって楽譜を追えなくなっている。 指揮者の細かい指示を含めて極力暗譜を目標にしている。 メガネ(老眼鏡)は、指揮者が良く見えない。 本番は、ちらっと確認する程度にしないと、指揮者の細かい指示を逃してしまう。

 今回、事前にいろいろな演奏のCDを聞いて研究しておいて良かった。 本番は、練習の時と打って変わった、ゆっくりと祈るような演奏だった。 いろいろ聞いた中に、同じような演奏のがあった。 大聖堂で演奏された祈りの深い感じのもの。 心の準備が出来ていたような気がする。

 また、新しい曲に入った。 やっと、音が判って、言葉が判ってそれらしい発音をしたというような演奏は卒業したい。  若いころは、ただやみくもにフォルテf やピアノ p クレッシェンド<、デクレッシェンド>を機械的に、声を大きくしたり、小さくしたりしただけで、歌詞や音楽的な味わいなんてなかった。

 一つ一つの音と言葉の意味、他のパートとの駆け引き、ハーモニー・バランス、表現、声の出し方、息の使い方、言葉によってそれぞれの表現を変えるためには、息と声の出し方を微妙に変化させる必要がある。 同じ言葉だからといって、ただ同じように思い切り声を出したり発するのではなく、心からその言葉を発するように大事に歌いたい。 ある時は、心の叫びのように、そしてある時は押し殺した嗚咽や囁きのようにしなやかな優しい言葉を音の上にそっと置くように・・・。 折角、子どもの頃から60年近く音楽を勉強してきたのだから、それなりに成長があっても良いと思う。

 昔、ある人が言っていた言葉が、気になっている。  「合唱をする時には、謙虚な心でいなければならない」と・・・。 「自分は・・・」ではなく。 お互いに支え合っている。 声が良く出て、音程がしっかりしている人は、皆を支えなくてはならない。 フォルテの時は、出ない人の分もコントロールできる範囲で出しても良いと思う。 しかし、ピアノの時は、誰よりも囁くように、美しい響きで歌いたい。 皆の声を包むように・・・支えるように・・・。


最新の画像もっと見る