ぼちぼち日記

シニアの暮らし方や思い、猫たちのことなどをマイペースで記録しています。

人新世の「資本論」  著者:斎藤幸平

2021-01-17 12:50:55 | 
環境危機という言葉を知って、私たちが免罪符的に行うことは、エコバッグを「買う」ことだろう。だが、そのエコバッグすらも新しいデザインのものが次々と発売される。宣伝に刺激され、また次のものを買ってしまう。そして免罪符がもたらす満足感のせいで、そのエコバッグが作られる際の遠くの地での人間や自然への暴力には、ますます無関心になる。・・・・現代ドイツを代表する哲学者マルクス・ガブリエルが述べているように、その不公正を「自分たちに関係のないことだと、(中略)見ないようにしてしまう」だけなのだ。
直視することに耐えられない、だから、「私たちがその不公正を引き起こしている原因だと知っていながら、現在の秩序の維持を暗に欲している」
こうして、帝国的生活様式は一層強固なものとなり、危機対応は未来へと先延ばしにされていく。
それによって、私たち一人ひとりが、この不公正に加担することになる。だが、その報いがついに気候危機として中核部にも忍びよってきている。

「人新世」とは、人間たちの活動の痕跡が地球の表面を覆いつくした年代という意味。ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンによる言葉で、地質学的に見て地球は新たな年代に突入したというもの。
「帝国的生活様式」は、グローバル・サウス(グローバル化によって被害を受ける領域やその住民を指す)からの資源やエネルギーの収奪に基づいた先進国のライフスタイルのこと。
国連が掲げ、国が推進しようとしている「SDGs(持続可能な開発目標)」は、アリバイ作りのようなもので、目下の危機から目を背けさせる効果しかない。
気候変動の危機対応を政治家や専門家に任せるのではなく、市民一人ひとりが立ち上がり、行動しなければならないという著者の意見からは学ぶことが多い。
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