goo blog サービス終了のお知らせ 

酸素不足の金魚のように@

アルツハイマー型認知症と診断された母との二人暮らし。日記のような、備忘録のような、愚痴あり、怒りありの雑記帳のような、、

もの忘れ外来へ予約

2017-09-11 | 2017年
~認知症の診断を受けるまでの話~

母はまだ薬はあるがずなのに「薬がなくなった」といって、
病院に行くことがあった。

それが度々続いたために、お医者さんから「次回の診察日は○月○日です」
と、書いた紙を渡されるようになった。


それはつまり、その日までは血圧の薬はあるということ。
次回の診察日もきちんと伝えているのに、それでも「薬がなくなった。」と言って診察日より早く病院に行く。


かかりつけのお医者さんは、母にその話をして、
「ちょっと心配なもの忘れの兆候があるから、脳の検査を受けてみられたほうがいいですよ。」
と、勧めてくれた。

姉も私も同席して聞いていた。
母は検査を受けることを嫌がらず、受けてみると返答していた。


家に帰って来てから、姉と私は病院を探し始めた。
姉も検査に付き添いたいというので、都合のつく病院がないか探した。

もの忘れ外来がある病院をピックアップして電話で問い合わせてみると、
専門医が診察するのは週に1回だけだったり、先に病院まで行って予約を取る必要があるとこだったりした。
病院によっては半年先まで予約でいっぱいのところもある。


規模は小さいが、もの忘れ外来があるところを見つけて電話をかけてみたら、
2週間後なら予約が取れるとのこと。

姉の予定も大丈夫とのことで、そのもの忘れ外来に診察予約をした。
予約ができてホッとしたけど、姉も私もドッと疲れてしまった。



脳の検査を受けることを自らも同意したことを、
母は覚えているだろうか。




母に脳の検査を勧める

2017-09-09 | 2017年
~認知症の診断を受けるまでの話~


姉は早朝の汽車に乗り、5時間かかって来てくれた。

母は姉が尋ねて来たことで上機嫌だった。
昨夜の電話で「家に来て」と何度も言っていたから、
こんなに早く来てくれたのが嬉しかったのだろう。

電話で、母は「私の母に対する態度と他人に対する態度が違う。」
「一緒にいないと分からない」と姉に訴えていた。

別居の話もしていたが、家での母と姉、私との会話の中では一切そんな話題は出なかった。
カバンがないと騒いだことも話題に出なかったし、話題に出さなかった。

その日は、ショッピングセンターに行き、食事をして帰ってきたが、「健康保険証がない」と母が言いだした。
ショッピングセンターに行く前に、カバンを入れ替えたようで、そのまま忘れてしまったようだ。
姉も一緒に探してくれたが見つからなかったので、再発行してもらうことで、この事は終わった。


次の日は、血圧の薬と耳鳴りの薬が切れたので病院へ行く日。
内科も耳鼻科も病院というほどの規模ではなく、お医者さんが一人の開業医だ。

母のことを「かかりつけのお医者さんに相談してみたらどうか」と姉が言うので私も賛成をした。
私は通院日ではなかったが、風邪気味だということにして母より早く診察してもらう。
そこで先生に母の状態を話す、そういう段取りでいこうと決めた。


当日、3人で病院まで歩いて行った。
「妹は風邪気味だから診てもらうそうだよ。私は付き添い。」だと、姉は母に説明していた。


私の名前が呼ばれたので診察室に入り、先生にいきさつをお話した。
先生は私の話を黙ってじっと聞いてくれたあと、「認知症でしょう。」とおっしゃった。
先生に、「姉が来ているので、姉にもその話をしてくれますか。」と言うと了承してくださった。

診察室に姉も呼ばれ、
「おそらく認知症でしょう。ここでは詳しい検査ができないので専門医の診察、検査を受けたほうがいいですね。」「紹介状は書かないでおくので、良さそうなところを探してみてください。」と言われた。

それから、母が呼ばれ、脳の検査を受けてみることを勧めてくださった。


またか!

2017-09-08 | 2017年
~認知症の診断を受けるまでの話~


翌日の夜、母がまたカバンがないと騒ぎ出した。
前回見つけ出した場所を探したが、そこにはなかった。

母に買い物から帰った後のことを尋ねた。
家に帰って来てからの母の動線をたどれば、カバンを置いた場所がわかるかもしれないと思ったから。

母の記憶は曖昧で、そして私の聞き方が気に入らなかったようで怒りだしてしまった。


幸い、カバンは前回ほど手間取らずに見つけることができたが、
前回と同じように、母は私が隠したと決めつけた。


その日の母の興奮は相当なもので、テーブルをバンバンたたき、暴言も凄まじかった。
落ち着いて話をしようとしたのだけど、手がつけられなかった。


そのうち、「★子に電話しろ」と言う。
★子は長女で、私の姉。二人姉妹の長女で、片道5時間はかかる他県に住んでいる。

かなり遅い時間だったが、母をなだめることもできなかったので電話をかけた。
母は★子と話をして、少し落ち着いたので安堵したんだけど。

電話を切った後で、また私が犯人だという暴言が始まってしまった。
延々と話は終わらず、たまりかねて姉に早急に来てほしいとメールを送った。


姉とのメールのやり取りで、姉も「母は認知症じゃないか」と考えていることがわかった。
「認知症の検査を受けさせたい」娘ふたりの考えは同じだった。

(続)カバンがない

2017-09-07 | 2017年
~認知症の診断を受けるまでの話~


念のために、銀行には電話で通帳・キャッシュカードの紛失を連絡しておいた。
夜遅くても受け付けはしてもらえる。


そして、母の大事なカバンを探していた。
「そんなところに置いたりしない」と言う母の言葉を聞きながら。
真剣に探している風には見えない母に不審な気持ちも持たないままに。

母にもカバンを探すように促しながら、キッチンの収納スペースを探していると、
「そんなところに隠したんか?」と言う母。


夜中の2時を過ぎていて、疲れも出てきたなかで
「カバンを隠したのはあんただ。」
「親に嫌な思いをさせて面白いか。」
「家を出たかったら、出たらいい。何で、こんなことをする。」
「あんたに面倒みてもらおうなんて思ってない。」
「なんで、そんな子になった。」
という、母の罵詈雑言を聞いていた。

私は、「カバンを隠したりしない。」
そう繰り返し言うしかなかった。

だから、カバンが見つかったときはホッとしたけど、
私は完全にカバンを隠した犯人だと決めつけられていた。



銀行に通帳の紛失連絡をしていたので、その解除手続きを行う必要があった。
ただ、手続きをするには本人が銀行まで行かなければならない。

夜中まで探していて、その日に銀行に行くのはきついかなと思ったけれど、
日にちを置いてしまうと、母が紛失連絡をした経緯を忘れてしまうんじゃないかと思ったので、
母を銀行まで連れて行くことにした。



その日の夜は何事もなかった。母は疲れたのだろう、早々に寝てしまった。


この事は、県外に住む姉にメールで連絡しておいた。


カバンがない

2017-09-06 | 2017年
~認知症の診断を受けるまでの話~


母は自分にとって大事なものは全て自分で持っている。
通帳など金銭にかかわるものは当然のこと。


ある夜、その通帳を入れていたカバンがないと言いだした。


私は自分の部屋でのんびりしていたのだけれど、
カバンがないから一緒に探してくれと言うので探し始めた。

どこかにポンと置いたんだろう、たいして広くもない家だからすぐに見つかるだろう、
そう軽く考えながら私は探し始めた。



どこかに置いたものなら出てくるはず。
母はいつも置いている場所においたつもりが、違う場所に置いたんだと思って
探してたんだけど、なかなか見つけることができない。

時間が過ぎていく中で、置きそうな場所や隠しそうな場所を一生懸命に探した。


私が探している間、母はあまり探そうともしないで、
「そんなところに置いたりしない。」
「そんな変なところに置いたりしない。」
と、言って見ているだけだった。


どんどん時間がたっていくうちに、母が切れた。
「早く、返して。あんたが隠したんや。」
「二人しかいないのに、誰が隠すの。」
「早く返して。気が狂うわ。」


私は母の言葉に呆然としてしまった。



何故、薬は早くなくなるのだろう?

2017-09-04 | 2017年
~認知症の診断を受けるまでの話~


母が薬を出してもらえなかった日は代診のお医者さんだった。(後日、知ったのだけど)

本来の通院日ではないので、何か問診があったと思うけれど母は覚えていない。

薬がなくなったから行っただけのこと。
でも、出してもらえなかったと言う。


私はてっきり、薬のなくなるのが早いので出してもらえなくなったのかと思った。

いつものお医者さんにお話を聞こうと思ったのだけど、
運の悪いことに休診日が続いてしまい、お話が出来ず。


そうこうするうちに、私の診察日がきた。
自分自身の診察を済ませたあと、恐る恐るお医者さんに聞いてみた。


「母が先週、来ませんでしたか。」


お医者さんは、あの日は代診の先生が診ていたとおっしゃった。

「母が薬がなくなったと言ってたんですが・・」
「お薬、出していただけなかったみたいで・・」



母は何故か「薬は家にある」と言ったらしい。
だから、「薬は出さなかった」と代診の先生から申し送りがあったとのこと。


訳がよくわからないが、「薬はもうないんです。母は今、血圧の薬を飲んでいません。」と言うと、
お医者さんさんは驚いて、薬を出してくれることになった。


急遽、自宅にいた母を病院まで連れてきて血圧に異常がないか検査してもらった。
異常はなにもなかったが、再三再四言われていることをまた聞くことになった。

母には、「薬は娘さんに預けてください。」
私には、「お母さんの薬の管理をしてください。」



お医者さんが母に懇切丁寧に説明してくれた。

本来の通院日に出している薬の数がいくつで、それが何日分の薬で、
薬がなくなるのは何月何日になります。その日が次回の通院日になるんですよ。
薬がなくなったからと言って、その日より随分早く病院に来られることが度々ありましたね。
血圧の薬は一度に2錠以上服用すると、体が危険な状況になることがあります。
薬のなくなるのが早いので、娘さんに預けて、娘さんからもらってください。





それでも母は自分の薬を何故娘に預けないといけないのか、全然わかっていなかっただろう。

薬を余分に服用するようなことは絶対にしていない。
血圧の薬はちゃんと服用しなければいけないものだとわかっている。
それがなくなったのだから、病院に行っている。
その、どこが悪い!





何故、薬は早くなくなるのだろう?



その後も、薬をめぐる母と娘のバトルは続いていた。


そして、ある日の夜のこと。
もっと驚くようなことが起きた。



























お薬が出してもらえなくなった!

2017-09-02 | 2017年
~認知症の診断を受けるまでの話~


勝気な母は、娘に薬の管理をされることも腹立たしいらしい。
お医者さんが自分には何も言わずに、薬を娘に預ける話をしたことも気にくわない。

「自分の薬なんだから、自分で持っていたい。」耳鳴りがひどい時だけでなく、母はそう言っていた。
「人を頼りにすると呆けてしまう。」そうも言っていた。


その気持ちが頂点にくると、「薬を渡せ。自分で管理する。」となるような気がした。


お医者さんが薬の管理を娘に託すことを決めたのは、母自身が招いた結果だ。

だが、母は受け入れない。
母には「納得する」という言葉がないのかと思うぐらい。


母は「私が間違えて、飲むとでも言うんか」というけど、
何らかの間違いがあったから、こうなったんだろう。



母に薬を取り上げられたけれど、残数の確認はしていた。
次の通院日までの薬は確かにあった。

なのに、薬がなくなったからと言って、
通院日でもないのに病院に行ってしまい、しっかり薬を持ち帰ってきた母。

「先生に何か言われなかった」と聞いても、「何も言われなかった」と言う。
でも、お医者さんから「薬は娘さんに預けてください」とは言われていた。

だから、病院から帰ってきたら薬を私に預けてくれる。
そして、しばらくすると「薬を返せ。何であんたが持ってるんや。」が始まる。



そして、また予定の日より早く薬がなくなって病院に行った。

が、その日は薬は処方してもらえなかった。









母娘の攻防戦

2017-09-01 | 2017年
~認知症の診断を受けるまでの話~


母が薬を自分で持っていたがるときは耳鳴りがひどい時。

何度か、「薬を渡せ」「渡せない」という諍いを繰り返しているうちに分かってきた。


何故だか分からないが、
血圧の薬を飲めば、耳鳴りが収まると思い込んでしまったみたいで・・

耐えがたい耳鳴りに襲われているときに、薬の攻防戦が起こっている。


血圧の薬と耳鳴りの薬が混同してしまったときもある。

血圧の薬は「朝食後、1錠だよ」と話していると、
「血圧の薬じゃない。耳鳴りの薬のこと」と言ってみたり。


「夜中に目が覚めたとき、そばに薬があるだけで安心できるから。渡して。絶対に飲まないから。」
と、言ったりすると可哀想になってしまう。



可哀想だけど、薬は渡せない。



そう心に強く決めながら、私は母の剣幕に押され、
渡すまで寝かしてくれないしつこさに負けてしまっていた。





薬を返して

2017-08-30 | 2017年
~認知症の診断を受けるまでの話~

認知症からきていたものか、酷い耳鳴りのせいか、それ以外の理由か、
今となっては分からないが母は薬の管理ができていなかった。


母に母自身の血圧の薬を管理させるのは無理という、お医者さんの判断から
薬は私が預かり、服用時に母に手渡すことになった。

薬を私に預けることの説明は母も受けて納得したはず・・


母の要望で、耳鳴りの薬も私が預かることになった。

耳鳴りがひどくて、体調面にも影響が出ていたから
薬を私に預けるほうが楽だろう。

薬の服用時間がきたら、私が渡す薬を飲めばいいんだから・・


それから、しばらくの間は何事もなかった。

それが、ある晩に母が怒って私の部屋に入ってきた。
「あんた、血圧の薬持ってんのか」と。

すごい剣幕で、「飲んでないから薬を渡して」という。

血圧の薬は朝食後に1錠服用すればいいだけのもの。
その日の朝食後に、間違いなく母は薬を服用した。

そう話をしたのだが、母は納得してくれない。
「飲んでないから渡せ。」の一点張り。


「私から勝手に薬を取り上げて。そんなことされたら呆ける。」
「薬を返して。」
「返して。早く。」

あんな形相の母は見たことがなかった。












(続)薬の管理ができない

2017-08-29 | 2017年
~認知症の診断を受けるまでの話~

お医者さんから、母の血圧の薬を管理するように言われたので、
私はなんの躊躇いもなく、その申し出を了承した。

その頃、母は耳鳴りにずっと悩まされていた。
耳鳴りは突然起こり、恐怖心が起きるほどのものらしい。


その耳鳴りに気を取られるあまり、もの忘れの回数も増えているんだろうかと思った。


薬が早くなくなってしまった理由は今でも分からない。
身体・血圧には異常は出ていないし・・
母は一度に多く服用していないと言うし・・

どこかに置いて、忘れてしまったんだろうか? 
そして、薬を処方してもらいに行く。

だけど、その回数が多くて、医者から「薬は娘さんに預けるように」と言われることになった。


耳鼻科で3種類の薬、内科で血圧の薬、
朝・昼・晩と服用するので薬の仕分けも大変だろう。


それをしなくて済むのは、母も楽だろうと私は思ったけどね・・