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酸素不足の金魚のように@

アルツハイマー型認知症と診断された母との二人暮らし。日記のような、備忘録のような、愚痴あり、怒りありの雑記帳のような、、

ごはん食べた?

2017-09-28 | 2017年
私は仕事を辞めてからずっと家にいる。
運動や家事の手伝いをし、たまには友人と買い物やランチを楽しんだりしていた。

母と私は食事は一緒にするが、大概の時間はそれぞれ好きなようにして過ごしている。
夕食は主に母が担当していたが、だんだんとその回数が減ってきて私が作ることが多くなってきている。
年も年だし、以前より体が疲れるらしく、これは仕方がないこと。



午前中に買い物を済ませ、一緒に昼食を食べた後自室で寛いでいると、
母が部屋に来て、「まだ、昼ごはんを食べてない。お腹が空いたから食べよう。」と言いだした。


「ばあさんや、飯はまだかい。」
「イヤですね、おじいさん。さっき食べたでしょ。」

よくあるコントのような一幕が我が家でも起きるとは・・どういう態度を取ればいいのか。




母に「昼御飯は食べたから、もう少ししたら晩御飯を食べよう。待てるよね。」と言うと、
「待てる。」と言った。


夕食後、「○○(私のこと)はご飯を食べたのか。」と聞いてきた。

母は一緒にご飯を食べたことを忘れていた。




















介護認定の申請②

2017-09-26 | 2017年
~2017年4月のこと~


地域包括センターに介護認定の申請をしてから数日して、
市役所の介護認定の担当課から電話がかかってきた。

訪問調査の日程が決まったので、そのお知らせの電話。


母には介護認定の話は一切していなかったので、
訪問調査に役所から人が来ることをどう説明したらいいのかずっと考えていた。


「介護サービスを受けることができるようにするための訪問調査」といっても
母が分かってくれるとは思えない。


だが、この先ディサービスなど受けるためには必要な調査なので滞りなく終わらせたい。



担当の人に、「母には介護保険の訪問調査のことは話していません。」
「見知らぬ人を家に上げることは凄く嫌います。」

そういった話をすると、「後期高齢者の健康調査のために来ましたと言います。」
「話は玄関先で構いません。」と慣れた調子でおっしゃった。


話せばややこしいことになるだけだろうから、母には訪問調査のことは言わないことに決めた。
ぶっつけ本番でいこうと決めた。


訪問調査の日。
母に「お客さんが来たよ。」と言って玄関まで誘導し、あとは担当者にお任せすることにした。

担当の人が「ご高齢の方の健康調査です。順番に回っているのでご協力をお願いします。」と
上手く説明されていた。

しかし、母は猜疑心が強く頑なな性格なので「そんなことはしたくない。」と拒否したが、
私は玄関に座り、「順番だから。やってもらおう。」と言って母をなだめた。



母の前では言いにくいことはメモに書いて、
帰りがけに訪問調査員さんに渡すといいと聞いていたので前もって書いておいた。


薬の管理ができないこと。
電話が使えないこと。


母は電話の呼び出し音が聞こえない。携帯電話の呼び出し音も聞こえないことが多い。
だから電話に出れない。

家の電話にかけてきた人の話し方が早口で、聞き取れなかったことが何度かあってから
電話で話すことをしなくなった。

電話をかけることもしなくなった。
ひょっとしたら、電話のかけ方を忘れてしまっているのかも・・


母は季節にあった服装を自分で選ぶことはできる。
なのに、「今の季節はなんですか?」と聞かれたときに「秋」と答えていた。
訪問調査があったときの季節は『春』なのに。

母は自分がいたって健康であることを証明するかのように、
元気良く体を動かしてアピールしていた。

調査が終わり、担当の人が帰られるとき、
母に「そこまで送ってくるから。」と言って出た。

そして、あらかじめ書いておいたメモを担当の人に渡した。

「少し、お話を聞きたい。」とおっしゃるので、外で二人で話をしていると、
母が大事なカバンをたすきがけにして近づいてきたので、担当の人もビックリしていた。
帰りが遅いので心配して見に来たらしいが、度が過ぎた心配性には辟易してしまう。




母には要介護度1の判定がでた。






















介護認定の申請①

2017-09-24 | 2017年
~2017年4月~


脳神経内科で母が検査を受けている間に、姉と私は介護認定の申請についての話を聞いた。

介護保険料は母の年金から引き落としされているが、
介護サービスの申請をするなんて考えたことはなかったので面食らった。

母は体はいたって丈夫で、足腰も年齢の割にとても頑強だから
介護サービスは受けていない。


「介護認定は受けていません。」と返答すると、
先生は机の引き出しから申請に関する書類を出して説明してくれた。


「こんな手続きをするんだ」
そのとき私は介護サービスの知識はほとんど無くて、
手続きはしないといけないもんなんだなと思った。


家に帰ってからバタバタしていたので、介護サービスがどんなものかを調べる暇もないまま
次の日、近くの地域包括センターに行き、介護認定の手続きをした。

「後日、訪問調査があります。その調査によって介護度が決まります。」
そう言われて「わかりました。」と答えた。

主治医に記入してもらう用紙をもらっていたので、
その用紙を脳神経内科に届けに行って、介護認定の手続きは終わった。


あとは、役所から訪問調査に来る日がいつになるか
連絡が来るのを待っているだけ。











認知症と診断された日

2017-09-22 | 2017年
~2017年4月~


認知症と確定したけど、あまりショックは受けなかった。

やっぱりなという気持ちもなかった。

その日はあっという間に時間がたった。
自宅に帰っても母の薬の説明書を読んだり、介護申請の書類の整理でバタバタしていた。


母に処方された薬は「レミニールOD錠/4mg」
この薬を朝食後と夕食後に各1錠、1日2錠・8mg服用する。


心配なのは、母が薬をちゃんと服用してくれるかどうか。
先生に説明を聞いてはいたが覚えているかどうか分からなかったから。


血圧の薬と一緒に私が保管することにしたが、本来、母は薬が嫌い。
おまけに、娘に指図・管理されるのも嫌い。
母自身を指図・管理するつもりはないが、娘が薬を預かっていることが分かれば
良い顔はしないだろう。


降圧剤ですら、娘から毎朝渡されることに抵抗感を持っているのに、
薬が増えたことを理解できていなかったら、スゴイ抵抗に合うだろうな、
そんなことを考えていた。


「母は認知症なんだ」
そのことが、鉛玉を飲み込んだように心の中を重苦しいものにしていくのは
もう少し時間がたってからだった。





アルツハイマー型認知症と診断された

2017-09-20 | 2017年
~母が認知症の診断を受けるまでの話~



脳神経内科はこじんまりとして、落ち着いた雰囲気のあるところで好感が持てた。

予約は「もの忘れ外来/認知症」で取っていた。

受付カウンターで予約をしている旨を告げ、
「母には脳梗塞の検査をすると言ってます。認知症の検査とは話していませんので、
よろしくお願いします。」と母に聞こえないように話をした。


しばらくして名前が呼ばれたので、母、姉、私の3人で診察室に入った。

「脳梗塞の検査で来たことになっている。」という事情は、
先生にきちんと伝えられていたので、その問診から始まった。

そして、母は歩き方や腕や指の動きなどを丁寧に診てもらっていた。

先生は「頭の検査もしましょう。」とおっしゃり、「待合室で待っているように。」言われた。
その通りにしていると母の名前が呼ばれ、母だけ検査室に入っていった。

この検査室で行われたのは、認知症のテスト。
テストの説明をする看護師さんの声が待合室まで聞こえていた。


テストが終わって検査室から出てきた母に、姉が「テスト、どうだった」と聞くと、
母は「簡単だった。私は国語が得意だから。」と自信満々に答えていた。


それから、MRIをすることになったのだが、
母は以前、別の病院でMRI検査の音に耐え切れず中断中止をしたことがあった。

その件を先生にお話すると、CT検査に変更してくれた。

認知症テスト、CT検査と続いても母は怒りもせずに素直に従っていた。



検査結果が出るまでの間、3人ブラブラと散歩を楽しんだ。
どういう結果が出るのか分からないが、もの忘れ外来の受診にこぎつけたことで
私は安堵していた。


待合室に戻ると、すぐに診察室に呼ばれた。

先生はCT撮影を見ながら「脳梗塞の心配はありませんね。」
「ですが、海馬の萎縮が見られます。」と言われた。

正常な海馬の状態の写真と認知症の海馬の状態の写真を母に見せ、
それと母自身のCT写真とを見比べて、母に説明された。

脳にある海馬というところは、何かを記憶をするのに使われる器官。
ここが委縮すると物忘れが起こる。母にはその徴候があると・・


認知症という言葉は使わずに、「改善のために薬を出しますね。」と言われた。
母は理解できたのかどうか分からなかったが、おとなしく先生の話を聞いていた。




母と私は先に診察室を出た。
診察室に残った姉が認知症の診断結果を聞いた。



認知症テストの結果は、30点満点で14点。
2種類のテストをしたのだが、どちらも14点。

母はアルツハイマー型認知症で軽度から中等度の間という診断結果がだされた。



















脳神経内科へ行く

2017-09-19 | 2017年
~母が認知症の診断を受けるまでの話~


とうとう脳神経内科・もの忘れ外来を受診する日がきた。

姉は朝一の汽車に乗り、こちらに向かっていたが、母には何も話してはいなかった。

母の機嫌は悪くなく、他愛ない事を喋りながらテレビを観ていた。
胃が、またキュッとなる。
私の頭の中は、きょうのこれからのことでいっぱいだった。


そうこうしているうちに、
姉から「そろそろ話をしておいたらどう」とメールがきた。


母はキッチンで洗いものをしていた。

私は、母に「もうすぐ、★子(長女)が来るよ。」と伝えた。
母は「なんで来るのか」と聞くので、「脳梗塞の検査に一緒に行くから」と答えた。


私は、母が怒りだすんじゃないかと思っていた。

「もう、今頃は新幹線に乗ってるから。」
「血の塊があったら怖いから検査に行こうね。」
「かかりつけのお医者さんも勧めてくれてたし。」

説得になっているのか分からなかったけど、私は必死で喋っていた。
母は検査を受けないとは言わないが、納得しきれなかったみたいだった。


昼過ぎに姉が到着した。
しばらく休んで、タクシーで脳神経内科へ向かうことにした。


母はおそらく物凄く緊張していたと思う。検査への不安もあっただろう。
それは、姉も私も同じだった。


もうすぐ、脳神経内科に着く。















胃がキリキリする

2017-09-17 | 2017年
~母が認知症の診断を受けるまでの話~


家からタクシーで10分ほど離れたところに脳神経内科がある。
その診療科目に、「認知症/もの忘れ外来」がある。

母を連れて行きたいところだ。

母が検査を受けることを拒絶し、烈火のごとく怒ったので
断ったことにしていたが、実際は予約の取り消しはしていなかった。

カレンダーに書いた検査の予定は消したが、カレンダーにはもうひとつ予定が書いてあった。
それは、姉が検査に付き添うために来るという予定。

カレンダーには、姉が来る日の予定を書く余白がなかったので、
別の場所に「姉が来る」とだけ書いておいた。それは消してなかった。

検査の3日前、母がそれを見つけて「明日、姉が来るのか」と聞いたので「明日は来ないよ。」と答えた。
明後日に来ることになっているが、母は来る日を忘れていた。

「来なくていいから断っといて。」と言うので「いま仕事中だから、後で電話しとく」と返事だけしておいた。



母はかかりつけのお医者さんと話をしたことも、
脳梗塞の検査を受けることに前向きだったことを忘れていた。
私の点滴中に病院に押しかけてきたことも全て忘れていた。


母の忘れ方はビックリするくらいだ。
話をして拒絶されるのも嫌だし、あっという間に忘れられるのも嫌だ。
だから、姉と相談して、脳神経内科へ行く当日まで何も言わないことにした。

診察は午後からなので、姉は朝一で自宅を出発しても間に合う。

久しぶりに、胃がキリキリと痛みだした。














母と薬と耳鳴りと

2017-09-16 | 2017年
~母が認知症の診断を受けるまでの話~



母の機嫌が良さそうだったので、脳の検査の話をした。

「もの忘れもあるし、脳の中に小さい血の塊があるかもしれんよ。」と言うと、
「検査、受けたほうがいいなあ。」と前向きな発言をしてくれた。


検査はいつになるのかと聞くので、
「これから病院の予約を取るわ。予約が取れたら検査に行こう。」


これで検査への関門は突破できたと、私は内心喜んでいた。
病院の予約はすでに取ってある。
あとは、その日まで母の気持ちが変わらないでくれることを願うだけだった。



ちょっとホッとした、その夜。薬のことで母がまた怒りだした。


「血圧の薬は自分で管理するから返せ」と言ってきた。
「自分の薬なのに、なぜ娘に管理されないといけないのか!」


耳鳴りがひどくなったようで、こんな時は薬のことで怒りだす。
でも、今までのようにはいかない。


かかりつけのお医者さんとの間で、母も了承したことだから。


「血圧の薬は、朝食後に渡す。」そう言って突っぱねた。
母は怒り狂って罵っていたが、薬の管理を母に任せることを私は拒否した。



翌々日、母はかかりつけの病院に脳の検査のことを聞きに行くというので付き合った。



診察の順番がきて、名前を呼ばれた。診察室には私も一緒に入り、母が検査のことを聞くのを待っていた。

すると、母はお医者さんに「血圧の薬と耳鳴りの薬は一緒に飲んでも大丈夫ですか」と聞いていた。


耳鼻科にも内科で処方されている薬の名前は伝えている。
だから、飲み合わせが悪いということはないはずだけど。

耳鳴りが収まらないと、母はいろいろと考え出すのだ。
母は耳鳴りを治そうと必死なのだ。

母にとって、耳鳴りは天敵のようなもの。
気にしないようにするといったレベルのもの、共存できるようなものではない。

何の前触れもなく起こると恐怖を伴うくらいのものらしい。

この耳鳴りには、この先も苦しめられるのだけどどうしようもない。



家では脳の検査のことを聞きに行くと言っていた。
それが、「脳の検査」のことから「耳鳴りと血圧の薬の飲み合わせについて」に変わっていた。


結局、母は何を聞きたかったんだろう。

どうすればいいのか

2017-09-14 | 2017年
~母が認知症の診断を受けるまでの話~


もの忘れ外来への予約のキャンセルはしないでおいた。

姉とも、何としても認知症の検査を母に受けてもらおうと話し合っていた。
だけど、母の強い拒絶を前にして、私はどうすればいいのか分からなかった。

予約日までに、どうやって説得したらいいんだろうか。



母の持病のような耳鳴りがまた始まっていた。
気晴らしに買い物に行かないと誘っても「疲れるから行かない。」と言う。

だから、私一人で買い物に行くことにした。
母に口頭で「買い物に行ってきます。」と言ったし、
ホワイトボードにも書いておいた。


買い物から帰ってきたら、母が「どこへ行ってたんだ」と聞いてきた。
私は「買い物に行ってきた。ホワイトボードに書いて行ったよ。」と返事をした。

母はホワイトボードも見ないで私を探しに出かけたという。
母はどういうわけか、かかりつけの病院へ私を探しに行ったそうだ。


「買い物に行くよ。」って言ったよね。ホワイトボードにも書いておいたのに・・
おまけに、私に「母がお邪魔してすみませんと言って、謝りに行け。」と・・

何で、そうなるの?

母は「早く謝りに行け。」と言う。
「なんでやねん。」心の中でブツブツ呟きながら私はかかりつけの病院に行くことにした。

かかりつけの病院には確かに母は来たそうだ。
顔なじみの看護師さんと受付事務員さんが教えてくださった。

「お忙しいところ、母がお邪魔してすみません。」と挨拶した後、点滴のお願いをした。
ずっと睡眠不足が続いていて、疲れが取れないでいたから。

診察室でかかりつけの先生の問診を受けて、
母が脳の検査を受けることを嫌がってしまって困っていることを話した。

すると、先生は「脳梗塞の検査だと言ったらどうか」とおっしゃった。
「もの忘れも気になるが、脳梗塞も気になるからと言ってみたらどうか」と。


それから、うつらうつらしながら点滴をしていると母が病院までやって来た。
先生が母の応対をしてくださったが、興奮気味だったそうだ。
「点滴が終わるまで待ってますか?」と聞かれたそうだが、母は何も言わずに帰ってしまったという。



後日、わかったのだが、
母はこの時のことを全く覚えていなかった。



「脳神経科へ行こう。脳梗塞の検査を受けに。」
そう話ができる機会を作らなくちゃ、私は機会をうかがっていた。








もの忘れ外来~予約から診察までのこと~

2017-09-13 | 2017年
~認知症の診断を受けるまでの話~


「病院で検査を受けようね。私もついていくから。」姉は母にそう言って帰っていった。


次の日、カレンダーに印をつけて、病院名と予約時間を書いてあるのを見て母が怒りだした。

「勝手に検査を受けるって決めて、どういうつもり。」
「何の説明もしないで。」
「年寄りならもの忘れくらいするわ。呆けてないわ。」
「あんた、なんでそんな子になった。怖いわあ。」
「親が邪魔だから変な病院に入れる気か。」


「病院には行かない。」母の意思はこうだ。
「あんたが勝手に予約したんだから、あんたが断って。」


母の暴言とも言える言葉を受けながら、
私は途方にくれてしまった。



母の怒りは収まらず、病院に断れとすごい剣幕で言う。

とりあえず、カレンダーの印をつけた日に白い紙を貼り、
病院には断りの電話を入れておくと言って、その場をしのいだ。





3人で病院に行った日、血圧の薬のことも問題になった。

私が薬を預かっても、母は取り返してしまう。
母の剣幕に負けて、薬を返してしまう私も頼りないのだけれど、
薬を返さないと興奮状態になるので仕方なかった。

薬が入った袋が自分の目に入るところにあると安心するらしい。


姉も同席しているときに、かかりつけのお医者さんは
「薬は娘さんに預けますよ。良いですね。」
「朝、娘さんから薬をもらってください。」と言った。


その上で、お医者さんは大きな紙に自筆で
「薬は娘さんに管理してもらってください。」と書き、母の了承を得てくださった。



しかし、母はかかりつけの先生から説明を受けたことも、3人で病院に行ったことも忘れていた。


もの忘れ外来への受診、血圧の薬の管理、上手くいくのだろうか。