酸素不足の金魚のように@

アルツハイマー型認知症と診断された母との二人暮らし。日記のような、備忘録のような、愚痴あり、怒りありの雑記帳のような、、

薬を返して

2017-08-30 | 2017年
~認知症の診断を受けるまでの話~

認知症からきていたものか、酷い耳鳴りのせいか、それ以外の理由か、
今となっては分からないが母は薬の管理ができていなかった。


母に母自身の血圧の薬を管理させるのは無理という、お医者さんの判断から
薬は私が預かり、服用時に母に手渡すことになった。

薬を私に預けることの説明は母も受けて納得したはず・・


母の要望で、耳鳴りの薬も私が預かることになった。

耳鳴りがひどくて、体調面にも影響が出ていたから
薬を私に預けるほうが楽だろう。

薬の服用時間がきたら、私が渡す薬を飲めばいいんだから・・


それから、しばらくの間は何事もなかった。

それが、ある晩に母が怒って私の部屋に入ってきた。
「あんた、血圧の薬持ってんのか」と。

すごい剣幕で、「飲んでないから薬を渡して」という。

血圧の薬は朝食後に1錠服用すればいいだけのもの。
その日の朝食後に、間違いなく母は薬を服用した。

そう話をしたのだが、母は納得してくれない。
「飲んでないから渡せ。」の一点張り。


「私から勝手に薬を取り上げて。そんなことされたら呆ける。」
「薬を返して。」
「返して。早く。」

あんな形相の母は見たことがなかった。












(続)薬の管理ができない

2017-08-29 | 2017年
~認知症の診断を受けるまでの話~

お医者さんから、母の血圧の薬を管理するように言われたので、
私はなんの躊躇いもなく、その申し出を了承した。

その頃、母は耳鳴りにずっと悩まされていた。
耳鳴りは突然起こり、恐怖心が起きるほどのものらしい。


その耳鳴りに気を取られるあまり、もの忘れの回数も増えているんだろうかと思った。


薬が早くなくなってしまった理由は今でも分からない。
身体・血圧には異常は出ていないし・・
母は一度に多く服用していないと言うし・・

どこかに置いて、忘れてしまったんだろうか? 
そして、薬を処方してもらいに行く。

だけど、その回数が多くて、医者から「薬は娘さんに預けるように」と言われることになった。


耳鼻科で3種類の薬、内科で血圧の薬、
朝・昼・晩と服用するので薬の仕分けも大変だろう。


それをしなくて済むのは、母も楽だろうと私は思ったけどね・・
























薬の管理ができない?

2017-08-28 | 2017年
~認知症の診断を受けるまでの話~

母は高血圧のため、月に2度ほど近所にある医療機関に一人で行っていた。

もう10年近くお世話になっているところで、私も通っている。

ある日、たまたま母と私の診察日が同じ日になった時、
医者から「お母さんの血圧の薬は娘さんがしてください。」と言われた。

たまに薬の服用を忘れることがあっても、問題なく通院していると私は思っていた。
だから突然、医者からそう言われたときは驚いたが、認知症の疑いもあるとは思わなかった。

ただ医者から、そんな話をされる少し前から母のもの忘れが多くなったような気はしていた。
だけど、年が年だけにもの忘れが多くなっても当然だよな・・
そう思っていた。

気にはしていたが、心のなかで「認知症」という言葉が占めるウェートは小さかった。

年相応のもの忘れと認知症という病気からくるもの忘れ、
その違いを頭の中に放り込んでみた。

薬の管理を私がするようになった理由は、薬の飲み忘れが多いからではなく、
薬が早くなくなり、なくなったら病院に行きだしたから。

母は、いつも服用している薬がなくなったのだから処方してもらって何が悪いのかと言う。

母よ、薬がなくなるのが早すぎるのだよ。

20日分の薬が出されているのに、14日後には「薬がなくなったから」といって受診する。
用事があって、本来の通院日には行けないからと言うなら医者も納得するだろう。


その都度、母は「薬の飲み過ぎはないか」を確かめられ、薬を飲み過ぎることの怖さを説明されていたそうだ。

薬がなくなるのが早すぎるんだ。
そんなことが何回か続けてあったそうだ。

血圧の薬を服用している以外、いたって元気な母。
年齢を考えると、その元気さには脱帽するくらい。
家事全般を難なくこなしている。
生涯現役主婦だな、母は。

その元気さに、私は助けられていた。


その母が薬の管理ができていない。
いや、できなくなっている・・
















簾がない

2017-08-27 | 2017年

夏の日差しを少しでも和らげるために、ベランダに簾を垂らしていた。

その簾が古くなったからか、気に入らなくなったからか、外したのは母自身。

細かく切り刻んで、ゴミとして捨ててしまった。

それを探している。

新しい簾を買えば済むことなのに、

私から「簾を買おう」と言われるのは嫌らしく提案は却下されていた。

ある日、一緒に買い物に行ったとき、

簾を売っている店に寄り、母に簾を見せて買うことに成功した。

すでに掛っている簾と新しく買った簾とで

ベランダの日差し対策はOKのはずだった。

それが、また母の手によって切り刻まれてしまった。

勝手に簾を買ってこようかとも考えたけど、

気難しい母は受け入れないだろうと思うと買う気も失せる。

また新しい簾の購入を持ち掛けてみたが、

外が見えなくなるのは淋しいとの理由から断られた。

その簾を母は探している。

簾を捨ててしまったことをすっかり忘れている。

 

 

 


どうして、そんなことを言うのか

2017-08-26 | 2017年

私には、もう35年近く付き合いのある友人がいる。

母や知り合った当時はまだ存命の父にも紹介して、家族ぐるみというわけではないが

両親にも好感をもたれている友人だと思っていた。

それが、最近そうではなくなってしまった。

母が家に連れてこないようにと言いだしたのだ。

理由は、友人が今、住んでいる家を追い出されて、

私の家に来て、そのまま居着いてしまうからだと言う。

そんなことはない。

母の妄想だ。

母は認知症。そう診断されて、5か月ほどたつ。

認知症からくる妄想なんだろうか?