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酸素不足の金魚のように@

アルツハイマー型認知症と診断された母との二人暮らし。日記のような、備忘録のような、愚痴あり、怒りありの雑記帳のような、、

母の忘れっぷりったら、、

2017-10-18 | 2017年
午前中、母と一緒に食料品やら日用品の買いだしに行った。

我が家は車がない、ショッピングカートもないので、母はリュックを背負っていく。

その姿は、まるで戦時中の買いだしのように思えてしまうのだけれど、
母は荷物を持つより背負うほうがいいそうだ。

重いものは全部自分が背負うと言うのだが、少しヒヤヒヤしてしまう。

買い物から帰って、昼ごはん。今日のメニューはきつねうどんだ。
うすあげに味付けをしたのは母自身。母の味付けは薄味だ。

「いただきます。」で食べ始めたのだが、母は自分が味付けをしたことを忘れていて
私が味付けをしたと思い込んでいた。

「このくらいの薄味がちょうど良いなぁ。」と、私のことを嬉しそうに見つめる母。


『母よ、味付けは母が自分でしたんだよ。』
なんてことは言わないで、黙って母の褒め言葉をいただいておいた。


夕食時、「今日はどこにも出かけなかったから、お腹が空いていない」と言いだした。

私は一瞬返答に困ってしまい、黙っていた。

少し間があって、母が「出かけたか?」と聞いてきたので、
「買い物に出かけたよ。」と答えたけれど、私の答えを信用しただろうか・・









思わず・・

2017-10-16 | 2017年
夕ご飯を食べている最中、母が「耳鳴りの薬を出しといて」と言ったので、
「ごはんを食べてから出すね。」と答えた。


そもそも、耳鳴りの薬は朝食後と夕食後、1日2回服用するようになっている。
でも母は耳鳴りがさほど気にならないときは薬を飲まない。

その代わり、耳鳴りがひどい時は鬼のように薬(それも血圧の薬)を要求してくる。


血圧の薬を多く服用するのは体には危険なこと、
そして飲み忘れるのもいいことではない。


そのため、内科の先生からは「薬の管理は娘さんがしてください。」と言われた。
耳鼻科の先生からは「娘さんが薬の管理をしてください。」とは言われてはいないけれど、血圧の薬と一緒に私が預かっていた。


耳鳴りの薬は、母から要求があればその都度渡していた。

だから、耳鳴りの薬を出してと言われたときも夕食後に渡せばいいだろうと思った。


夕食後に耳鳴りの薬と認知症の薬を渡したけど、認知症の薬のほうは拒否されてしまった。


「この薬はどこがだしているのか?」
「なんで、もの忘れがわかったのか?」
「○○(私のこと)が先生に言うたんか?」

もう何度も何度も説明したことを蒸し返してきた。

はっきり認知症の薬とは言えないので、「もの忘れの薬」といってぼやかして、
何となく納得してもらって、服用してもらっている。


虫の居所が悪かったのか、耳鳴りのせいでイラついていたのか、
言われてすぐに渡さなかったのが気に入らなかったのか・・


「こんな薬、呆けてるみたいやないの。」と、喧嘩腰に母が言うので、

「薬を飲まなかったら、もっとボケがひどくなるよ。」と、つい言ってしまった。













母のお口にチャックしたい

2017-10-14 | 2017年
母娘が同じ日に診察を受けることで困るのは時間がかかることだ。

通院先は院外薬局を使わないで、お医者さんが処方、調剤、パソコン入力までこなしている。

事務員さんは金銭管理と諸々の雑用だけをする人で、
看護師さんはお医者さんの補助をしている。


どういった手順で、処方から調剤まで行っているのかは皆目わからないけれど、
とにかく時間がかかる。

病院というのはどこも時間はかかるものだとは思っているけど、
この小さなクリニックでも同じだ。

一人で通院していたときも時間がかかっていた。

だが、母と通院日が同じになってからは薬が出されるまでにかなり待たされるようになった。

母は血圧降下薬のみなので、調剤にはさほど時間はかからないだろう。
しかし、私の分は3種類の薬の調剤が必要なので、その分時間もかかる。


母は待たされるのが嫌いだ。認知症になってからは一段とその傾向が強くなった。

待っている時間が長くなるとブツブツ文句を言いだす。
広くもない待合室で、母の文句を言う声だけが響いているなんてこともある。

母の声はきっと調剤中のお医者さんにも聞こえているだろうなと思うと身がすくむ。

気を紛らわすものでもあるといいけど、子どもじゃないから「ぬいぐるみ」を差しだすというわけにもいかない。


「先生、早くして~!」

心のなかで叫びながら、私は母の口封じに四苦八苦しているのだ。







母娘同時通院

2017-10-12 | 2017年
母は月に2度、近所のお医者さんに診てもらいに行っている。

ほぼ決まった型通りの診察があり、血圧降下剤を処方される。

ここは小さなクリニックで院外薬局というものはなく、
薬は院長自らが調剤して出してくれる。

院長といっても、院長兼医師一人、看護師一人、事務員さん一人のこじんまりしたところだ。


このクリニックには、私も月に2度通院している。

母が認知症と診断される前は、母と私の通院日は違っていたが、
母が認知症と診断されてからは母娘の通院日は同じにされてしまった。

「お母さんの診察に同席して欲しい」と、お医者さんが要望したことから
母娘同時通院となってしまった。


母はお医者さんに何か言うと、すぐに薬を増やされると思い込んでいて、
家では「体の調子が悪い」と言っていてもお医者さんには言わない。

私にも「お医者さんには言うな。」と何度も言う。

多少の不調なら誰にでもあることなので、いちいちお医者さんに言わなくても良いだろうと思う。

だけど、不調が長引いていれば話をしたほうが良いと思うんだけど。
薬が出されるものか診察してもらわないことには分からないんだから。


薬嫌いにも困ったもんだ。





ディサービスの利用

2017-10-10 | 2017年
要介護1の認定が出ているので、母は介護サービスを受けることはできる。
(母は自分が要介護1だとは知らない。)

でも母にとって、ディサービスを利用することが良いことかどうか悩むところだ。

ご近所の人が「知り合いのお父さんはディサービスを受けに行って、ボケが一層進んだ」と話していた。
そんなことを聞くと心配になる。

ディサービスを利用するのは介護をする側の為でもあるというけれど、
私は独身、子ども無し、無職のお気楽な身分。生活の心配もなく、日々過ごしている。

介護というほどのこともしていない。
こんな私が母をディサービスに送り出して、さらに自由な時間を持っても良いのだろうか。

母から悪口雑言を受けることが続いたりすると、母から離れたくなるのは確かなことだ。

姉に愚痴メールを送ってもスッキリはしない。
一人で短時間ブラブラしても、ほんの少し気を紛らわせるくらいしかできない。

母がディサービスを利用してくれると、母も話し相手ができて楽しい時間を持てるかもしれない。

電話連絡のできない母を家で長時間ひとりにしておくのは心配だけど、
ディサービスを利用してくれると、その心配はなくなるだろう。

私も一人の時間を快適に過ごせるかもしれない。


テレビでディサービスのことを扱った番組を一緒に観る機会があった。

母に「友達もできるし、楽しそうだね。」「介護保険に入っているから母も行って楽しめるんだよ。」
そんな話をしたことはあった。

母は「あんな年寄りばかりのところに行きたくない。」「嫁や体の愚痴ばかり聞かされそうや。」
と言って、話は終わった。


母は気も達者、口も達者で軽度から中等度の認知症。
家事一切というわけにはいかないが、まだまだ出来ることはある。

その時間を長く保つために薬の力を借りている。


いつかは介護サービスを受けるときが来るかもしれないが、
嫌がるのに無理にディサービスを利用しなくてもいいか。






脳神経内科受診日

2017-10-08 | 2017年
~2017年5月~

脳神経内科の2回目の受診日がきた。


姉の都合がつけば一緒に来るはずだったけど無理との連絡があった。

私だけで、母を連れて行かないといけない。
すんなり行ってくれるか心配で、胃がおかしくなりそうだった。


認知症の薬は、もの忘れの薬という理由で服用してもらっている。


母には「年を取れば誰にでもあるもの忘れと病気からくるもの忘れとがある。」
「病気からくるもの忘れの予防、悪くしないために薬を飲むんだ」と説明してある。

その説明では納得できないのか、聞いても忘れてしまうのか、
何度も何度も「なんで薬を飲むのか。」と尋ねられるのには参った。

母はそもそも病院嫌いで薬嫌い。

それがなぜか、かかりつけのお医者さんの顔を立てないといけないと思い込んで
薬を服用していたらしい。

脳神経科のお医者さんが初診の時に説明してくれたことは当然忘れている。


そろそろ出かけないと予約の時間に間に合わない。

母に「タクシーを呼んでいるから行こう。予約もしてあるし。」と言うと、
すんなり外出の支度をしてくれたのでホッとした。


脳神経内科での2回目の診察は簡単に終わった。
これといった体調の変化もなし、薬の副作用もなし。

この4週間の薬の処方量は、体に薬を慣れさすための分量で通常の半分になっていた。
副作用もないし、体調にも問題ないということで規定の量を処方されることになった。

朝、夕の2回、レミニール8mgを各1錠ずつ服用に変更された。



















風呂はええなぁ

2017-10-06 | 2017年
母は入浴もトイレも自分でできる。

髪を洗うのも、乾かすのも自分でする。

ただ、以前より入浴の回数は減っているが
「年取ると、脂の出が悪くなるから入浴しなくても大丈夫」(本人談)だとか。


とある日、久しぶりに入浴して、シャンプーもして、さっぱりしたらしく
機嫌よく過ごしていた。

でも入浴するのは疲れるらしく、なかなか踏み切れないみたい。


我が家では一番風呂は私。
風呂から出たら、母に「お風呂に入る?」と聞くが、大概「しんどいからやめておく」と断られる。


とはいっても、2週間3週間も入浴しないなんてことはない。
母なりに気を使って入浴している。


久しぶりの入浴を堪能した翌日、いつものように母に「お風呂に入る?」と尋ねると、
「入る!」という返事が返ってきた。

今日は入浴しないだろうと思って、お風呂のガスの元栓閉めてから
母に入浴するかどうか聞いたら「入る!」だって。

慌ててガスつけに風呂場に走ったわ。


風呂から上がった母は「長いこと、お風呂に入ってなかったから気持ち良かった。」と笑顔。


私は、「昨日も入ったよ。」と心の中で呟いた。










ヒヤヒヤするって!

2017-10-04 | 2017年
母は年を取るのに比例するように早起きになった。

早朝からゴソゴソ、ガサガサ何をしているのかと思うほど
音を立てて、私の安眠妨害をしてくれることがある。

わざわざ起きていって、何をしているのか見に行ったりはしない。


そうかと思うと、まったく音がしないこともあるので、それはそれで心配になって、
そうっと母の寝ている部屋を覗きに行ったりする。

母は部屋を閉め切るのが苦手なようで、いつも少しだけ襖が開いている。
そこから母の様子を伺うのだが、まるで不審者のようだわ。


布団の中で、母の体が動いているのを確認すると、
「ああ。生きてるわ。」と安心して、もうひと眠りする。


その日は、音とともに何か慌てている母の声も聞こえてきたので
気になって見に行った。



「カバンがないけど、預かってないか。」と母。

またか!と思い、げんなりしたけど

「預かっていないよ。無いの?」と寄り添うように聞いてみた(つもり)


一生懸命に探すと、カバンを隠した犯人にされてしまう。
カバンがなくて困っている母の気持ちに添わなければ・・


それが、認知症の人がカバンがないとか言いだした時の対処法なんだとか。


二人暮らしで、外部から侵入した痕跡がなければ、
母は私を疑うことは明らかなことだけど、寄り添ってみる。


寝る前はカバンはあった?
カバンを置いた場所を覚えてる?

私は、そんなことを聞きながら、ゆっくりカバンを探すふりをして、
母が探し出すのを待った。


しばらくすると、母が自分で見つけ出してくれた。
すると母は一言、「はぁー!ヒヤヒヤするわ。」


母よ、ヒヤヒヤするのは私のほうじゃ!!!











まだまだ慣れていません

2017-10-02 | 2017年
母が通帳、印鑑など大事なものを私に預けると言うので、
母の言うとおり預かることにした。

健康保険証も自分で持っていないと気が済まないらしくて
母はいつも自分の目の届く範囲に保管している。


それらの大事なものを全て私に預けると言うのだ。


今までにも何度かこういうことを言いだすことはあった。

だけど、しばらくすると必ず「返してくれ」と言ってくるので、
今回もそうだろうなと思いながら預かることにした。


母を脳神経内科で診てもらおうと思ったのは薬の管理ができなくなったことから。

それと、通帳などの大事なものが入ったカバンがないと言いだし、それを私が盗ったと決めつけて激昂し
普段の母からは想像もつかない状態になったから。


その時の母の状態、暴言は今も私の心の中に残っている。

だから、ホントの気持ちでは母の大事なものは預かりたくない。

預かっても返せと言って来るんだから。

まかり間違えば、なんで、あんたが持っているんだと言われるから。

挙句の果てには、預かってもいないのに、あんたに預けたと言われるから。


母はいまもカバンがないと、犯人は私だと決めつける。


それなのに、たまに私に大事なものを預けると言いだす母。
そして数時間後には返せと言ってくる母。



【これが、認知症のやり方かぁ!?】





だから、二人一緒にお買い物。

2017-09-30 | 2017年
認知症と診断される前、食料品の買い物には母一人で行っていた。

私は朝食や昼食用の食材の補充をするときだけスーパーに行っていた。

二人で一緒に行けばいいだろうに、ほとんど別行動。
二人で買い物に行くなんて、年に数えるほどしかなかった。

お互いに一人で買い物するのが好きだからかな。
二人でいると鬱陶しさのほうが大きいからかな。


それが、母が認知症と診断されてから一緒に行くようになった。

母には認知症だと、はっきり告げたわけじゃないけど、
お医者さんも告知はされなかったから、母は今でも自分は認知症じゃないと思っている部分もあるけど。


私は「母は認知症」と聞いてしまったので、母を一人で買い物に行かせるのは心配で
運動がてらついていくことにした。

以前は、顔見知りの人と出くわすと井戸端会議が始まるらしくて、
話に夢中になって帰りが遅くなることが度々あった。

見ず知らずの人とスーパーの休憩所で知り合って意気投合し、
話し込んで帰ってくるのが遅くなったりもした。


若いころから母にはそういうところがあって、
亡父は母のことを鉄砲玉と呼んであきれていた。

鉄砲玉は行ったきり帰ってこないから、一旦出かけたら中々帰ってこない
母のことをそう呼んでいた。


私が買い物に同行するようになったので、
母のそんな自由を奪ってしまったのではなかろうか。

一人なら気兼ねなく、時間も関係なく話ができるだろうにと思うときがあった。


ようやく最近、母は一人で買い物に行ってもまだ大丈夫だと思えるようになった。
多少の心配は胸にあるけどね。


母の方は、私の買い物を兼ねた運動に付き合ってやらなくちゃいけないと思っているらしい。
だから、二人一緒にお買い物。