結び 神道とその精神性
昨夜、明治神宮至誠館の、荒谷卓館長と会食の機会に恵まれた。
場を設けてくださったかたがいらっしゃる。
館長とお会いするときは、和服と決めていたので、アンティークで
手に入れた黒繻子の襟に、棒縞と江戸町人風で砕けすぎているが、
ずっと袖を通さぬままなので、この機会に着ておきたく、せめてと羽織を羽織って
黒足袋に紅い皮草履という出で立ちででかけた。
早めに行ってお持ちする形にしたのはいいのだが、室内にお入りになられ
取り急ぎの会釈をした私は、早々と掘りごたつ形式のテーブルの下に
足を突っ込み、しかしふと横を見ると荒谷館長は正座していらっしゃる。
おそらく、改めて畳に手をつかれご挨拶の構えだったかと思うのだが、
私はもう足を投げ出していて、パッと敏捷に足を掘りごたつから抜き
瞬時に正座するだけの運動員神経がもう失せている。贅肉で体も重い。
よっこらしょと、改めて正座し直すのもかえって不調法なので、そのまま失礼申し上げた。
礼儀作法は守るほうだとうぬぼれているのだが、館長のような丁寧なご挨拶を
なさる日本人にここ何十年、遭遇していないのですっかり油断していた。
憲法のこと、皇室のことさまざまご意見を賜り、ありがたい夜であった。
みいつ【御厳/御稜威】という言葉を数回使われたのが印象に残っている。
新年、至誠館における荒谷館長の剣さばきを拝見できそうだ。
ご招待頂いたので。
動画「結び」は荒谷館長が神道のエッセンスについて、平易に語られている。
お礼のメールを差し上げたら、ご返信を賜り、
「では、ご機嫌麗しく年の瀬をお過ごしください」
と結びにあった。
亡き大女優杉村春子さんが去り際に「ごきげん麗しゅう」と仰る方でいらした。
この言葉を聴かせて頂くお二人目が荒谷館長でいらした。
「ご機嫌麗しく」。失いたくない言葉だ。
以下は荒谷館長について書いた過去の駄文である。
ご縁http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/b77299131cd19b302538843b4734ded4
憲法http://blog.goo.ne.jp/mannizawa/e/0476e78a04e03aa804f52b96739ff735
黒繻子の襟というと、こちらの歌を思い出します。
http://mojim.net/tw_video_u2_kl6agFUU4j4.html?h=115181x1x6
銀杏返しに黒繻子かけて…
昔の歌は、情景が目に浮かびます。
ということは、私が年を取ったのですね。
今の若い子には浮かばないでしょう…
荒谷様の動画、何度拝見しても、清く美しいです。
世界中に拡散したい動画です。
場所はポーランドだそうで、動画を撮ったのはポーランド人で館長は撮られていることもご存知なかったとのこと。
ひげがお似合いなので、そう申し上げたら長旅のスケジュールの中、ひげを当たる時間がなかった、とそれだけの理由でした。ー笑ー
「花嫁の父」(小説版は「雪の、おと)という作品で隅田川河畔を舞台にした時は、私も「銀杏返しに黒繻子かけて」というこの歌を連想していました。