井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

私淑  矢作直樹教授

2013年11月29日 | 日記

矢作直樹教授のご著書を2冊併読している。
併読というのも妙な言い方かもしれないが、長年の
訓練で速読である。一昼夜で5冊読み上げるごときことを
やっていたので、慣れている。ソフトカバーの軽い本なら
1冊読了するのに、1時間を要しない。3,40分程度である。
ただし精読からはむろん遠く、本全体の要旨をぱっと
つかみ捕り、加えて著者の人となりみたいなものの
察知である。その言葉を信用するに値する人物かどうかのリサーチ。

そういう読み方をして、気になると更に読み、立ち止まるべき箇所に
来ると深く読み、考え脳に刻みつけ、もっと気になれば3度目の
速読をする。いずれにしても、じっくり満遍なくどのページも同じ速度で読むことはない。

併読というのはそういうことで、矢作教授のご著書も「天皇」を
サーッと流し読み、ついて「お別れの作法」(死に面した人、送る人の
ための本である)を同じ読み方で,2冊に
1時間かけてはいないと思う。
その結果、両著共に2度3度の再読の欲求を感じ、とりわけ
「天皇」は勉強の意味も含めて何度もページの上の重要箇所を
渉猟することになろうかと思う。この過程も2冊を併読である。
3冊のこともある。頭の訓練にいい。柔軟にもなる。

矢作氏は東大の医学部の教授でいらっしゃり、天皇陛下の主治医であらせられる。
一読、思想の双生児ではないかと思うくらい、私の思考と相似形である。
という言い方もおこがましいので、知識も頭脳のレベルも霊的体験も
私を遥かに上回る方である。ただ思考や感性が驚くべく似ている。

矢作教授の論説に思いを寄せやすいのは、教授が頭脳だけで
書いていらっしゃらず、自らの、そして多くの死に臨む患者さんたちを
看取って来た体験から、霊的なことをご存知での著述であるからだ。
頭脳プラスハートの書き方で、これは人間性に帰するところだろう。

霊的なことだけは、どうにも、一端でも体験がないと、通じない。
通じない以前に拒絶反応を示す人も多い。
だが、それはある、としか言いようがない。ひとたび体験すれば、
実にあっけなく、異次元への扉が開くていのものであるが、
経験がなければ錯覚や妄想のたぐいに貶められてしまう。
その点、私のようなぼんくらと違う、医学の世界のそれも
トップクラスにある方が、淡々と述べてくださることはありがたいことである。
スピリチュアルな知識を持つと、てきめん現実の、例えば政治観などに
歪みを来す例が多いのだが、矢作教授の素晴らしい点は、霊的世界と
現実双方に、公平な視座を据えていらっしゃる点で、神秘主義に走り過ぎず、
唯物論に堕さず、霊的世界、現実と等分に見つつ、政治と歴史に対しては
冷徹に押さえて論じていらっしゃる点である。

思想は相似形ではあるが、知識において矢作教授が
勝る。霊的体験も私は、ごく基礎をひと通り・・・物質化、天使の可視化、予知映像、輪廻転生の垣間見、死者との対話、体外離脱、高次元訪問(意識で)、テレパシー・・・・などなど浅く体験しているのだが、たとえば体外離脱もせいぜい天井止まり、というふうで体験がどれも初歩、半端であり人を救えるほどの霊能力でもなし、せいぜい、この世に並行して、あるいは重なるようにして、あの世があるよね、程度の認識に役立った程度である。あの世というよりも、次元の異なる世界。幾つもある。
高い次元の世界は光と言おうか、細かい波動で全てが出来ている。一度だけ、
ちらった見たことがある。なつかしさに胸がしめつけられ、目ににじむものさえあった。

矢作教授も「気」に触れていらっしゃるが、私は「気(プラーナ)」(気功の気である)だけは突出して強く、インドに赴いたおり、そういうたぐいの聖者だかなんだかともかく、そういう地位のインド人に、「あなたほど強烈な『気』を有する日本人に私は会ったことがない」と言われた。何千人か、いわゆる魂の修行を志す日本人に会っているグルである。
「ええ。私も強いと思います。ただその使い方を知りません。教えてください」と
頼んだのだが「いいよ」と請け負ってはもらったのだが、そこへ通うことも
その後無く、教えてもらってはいず、相変わらず、マグマのごとく強い「気」を
体内に抱えながら、使い道を知らずにいる。
気はこれも、体感したことのない人は一言もとにそんなものはあり得ない、と
退けるのだが、それはある。見えさえする。たまにだが、可視化することがある。
白い煙か霧状のもので、体から1,2メートル範囲に立ち込めている。
話さなくても何となく好もしい親しみを感じる人物を「気が合う」という。これは気持ちの気ではない。昔の人は知っていた。

日本が危うくなった時、一番狙われる区をたまたま転々と転居しているので
それを人に苦笑交じりに喋ったら、「浄化のお役目があるのでは」と
言われ、「そんな力はござんせん」と答えたのだが、ふと今思い出したのだが、
ミッドタウンに暮らしている頃、歩きながら意識で(という言い方しか出来ないが)界隈を浄化して回っていた、そういえば。

そして今、実を言えば住んでいるエリアが不浄のエリアである。
霊的な意味である。越してきて間もない頃、いきなり、どよんとしたものに
遭遇したので・・・なんだろうといぶかしく、界隈を探ってみたら、江戸時代の、
要はそういう場所なのであった。住んでいるのが
、だからきつい。
不浄の中心部に暮らしているわけではないのだが、穢れた風が
吹いてくるのである。某駅に向かって歩くと、相当きつい。物欲が
刺々しく渦巻く界隈でもある。
この界隈の地下を走る電車もきつい。だから、必死にエリアを浄化していたが、全然追いつかない。
電車が少しましになったような気がする。なんだかくたびれ果てて、浄化の
意識も失せていたが、ぼちぼち再開するか、そのための気なら、だが。
妄想レベルのことである。

防空識別圏の設定で、きな臭くなった時、そういえば都内で一番危ういエリアに暮らしているなと、改めて意識した。安全圏内の世田谷の穏やかな緑深い住宅地からわざわざ標的になりやすい港区、千代田区へと移動しているのだから世話はない。せめて浄化のお役目でもあると妄想するほうが楽かもしれぬ。

さて矢作教授の思想との類似性もそうだが、史観も私と全く同じ、という言い方も鈍才が大秀才に対して不遜であるけれど、本当にそっくりそのままである。
ただ不遜なので繰り返すが、知識の支えが教授は私の数倍である。

東京裁判という不当裁判に端を発したGHQの日本弱体化政策の中でも
教授が指摘するのが、天皇陛下の存在を稀薄にして行ったやり口である。
これは全くもってその通りで、日本人の精神性と共に霊性を根こそぎ
脆弱化させる企みであった。新嘗祭などの宮中内祭祀にちなんだ国民の日も、
呼称の変更で、新嘗祭とは何も関係のない勤労感謝の日となって、
実態は覆い隠されたまま、もはや定着している。
こういうことを書き始めると即反米のレッテルを貼りたがる早計な人がいるので
言っておくが、尖閣の守り、すなわち国土の防衛は米軍の協力無しにはやれないし、このたびの中国の軍事的恫喝も、アメリカの脅し返しがなければ、リアルに剣呑な事態に立ち至る可能性もあった。だから反米など、
そういうチープな次元で何かを言うのではない。日本や日本人の名誉と気位、そして心が壊されぬためには、アメリカによって何が行われたのか、ことの経緯(ゆくたて)を直視しなければ、そこからの立ち直りが出来ないから言うのである。東京裁判は過去で終了したことではない。悪しき裁判が立てた瘴気は今なお日本人の心に吹き付けているのである。だからこそ矢作教授も厳しくそこに触れる。裁判に端を発したGHQの仕組んだWar guilt informationという日本人の洗脳政策は、今に尾を引いて続いているのである。
中韓との厄介な問題も、根っこはしょせんアメリカ発である。友好と利害の一致で手を結ぶことと、過去に行われ現在に尾を曳く悪しき企みを直視することは、必ずしもバッテイングはしない。日本は国として、永遠にアメリカの傘の下にいるわけにもいかぬのだし、不必要に子羊でいることもない。いずれの日か独立自立しなければならぬのだし。かといって離反の道を歩めという主張でもない。協力関係も、精神的帰属にならぬように、ということである。和を図りながら、自主の領域をじわじわと広げていくためにも。

矢作教授の凄いところは、国際銀行家の悪事を暴く一方、天皇家との関わりもおめず臆せず淡々と著述していらっしゃる点である。
こういう姿勢も私と共通する。それはそれ、これはこれ。事実は事実として見る。
見た上で何を選択、価値観として、どう進むかという道筋が視えるのであって、事実に目隠ししたところから、正しい道は見えず迷路に踏み迷って右往左往するだけである。
矢作教授もラベリング好きな世の中からは右翼に分類されるのだろうが、
人の思想に本来右も左もない。現実と霊的世界とバランスよく見極めて得る
思索がより正しい、というだけである。唯物も違うし、かと言って浅いスピリチャル
ブームに生息する人たちの現実認識の幼稚さ
も、厳しく見極めるべきである。
歴史観、政治観、外交観におそろしく、幼稚な人がスピリチャル系に多い。かといって、現実一辺倒は違うし、唯心唯物の中道でバランスの取れている人が理想であるが、稀少なのである。ただ若者に霊的感性に対して素直な人が増えてきているかもしれない。

矢作教授の著作2冊を咀嚼出来た時点で、また感想を述べたいと思う。
これから教授の著作を全て読むことになると思う。
過去に1冊読んだ記憶があるのだが、機が熟していなかったのだろう、
矢作教授が心に錨を下ろすには至らなかった。思えばその当時、
私は天皇陛下の役割にも無知であったし、そもそも皇室に無関心であった。

矢作教授は天皇の祈りで日本は今まで救われてきたと喝破なさっている。
過酷な時期はあったが、最悪は免れてきた。
その通りである。天皇陛下のなさる祭祀は形式ではない、パワーを
帯びている。皇后陛下もまた祈り人でいらっしゃる。
思えば私が天皇の行う祭祀に対して価値観を見出したのも、
私が霊的体験を幾つか経た後のことであるので、祭祀の意味を見出せない
人がいるのは分かる。皇后陛下が、祭祀が次世代に引き継がれるのかどうか
案じていらっしゃると報道で漏れ聞いたが、現状いささか心もとないことではある。天皇陛下は(皇后陛下もだが)精進潔斎なさり古式の装束に威儀をただしての厳しい神事を長く執り行われていらっしゃる間には、神秘体験を
なさっているかと拝察する。私ごとき、なまくらに暮らしている者ですら、
something greatの片鱗にちらっと触れることがあるのだから。
またその御身で、神を体感なさっていなければあのご年齢に至るまで厳しいお作法を伴う祭祀を、厳寒の早朝から執り行われ、それを何十年とお続けにはなれないと愚考するのだ。しかし、さすがに加齢の限界は押し寄せ先ごろの
新嘗祭は短縮して行われたと漏れ聞く。祭祀に関しては先の展望が見えづらい心もとない状況ではあるが、次代への祭祀の存続を願いたい。
それありてこその、天皇陛下であり、皇族なのだから。

昭和天皇は開戦に反対でいらっしゃり、敗因も実に冷静に分析していらして、
当時の皇太子殿下(今上陛下)に宛てて書かれた書簡にそれは明記されている。かといって、あの戦いを果たして受けて立たずに済む選択肢があったのか、どうか、受けねばどうであったのか、まだ学習の余地がある。
しかし、結果論としては白人による有色人種支配の時代が終焉し、評価を与えてくれる国のほうが圧倒的に多いのは、事実ではある。
過酷な犠牲を伴ったが、「神の目」から俯瞰すれば必要な過程であったという
見方もあるのかもしれない。いずれにしても先人への尊崇は忘れたくない。
靖国神社に、一度は足を運んで頂きたいのである。

念のため記しておくが、パールハーバーの奇襲は、実質的に
奇襲ではなかった。すなわちアメリカは事前に知っていた。
日米双方が知っておくべき基礎的事実も、矢作教授はさらっと
書いていらっしゃる。それで奇襲攻撃が正当化されるものでもないが、
アメリカの謀(はかりごと)は、無邪気な日本の思惑を常に超える。
シナリオの書き手としては彼らが遥かに上である。優秀なシナリオライターには、
善人にはなれない。根性の悪さも持ち合わせていないと。
おのれを含めての実感である。だが現実のシナリオライターは底意地の悪さは
秘めているが、基本は善人である。だが政治の世界の脚本は善人では
書けない。今この世界の現実の中では。

以前、「金の日 銀の月」というタイトルの長編小説を書き、これは
死後の世界まで入れ込み、一部熱心な読者を得たが、いかにも
時代に早すぎた。いずれ小説かドラマかわからぬが、もし役目があるのなら
改めて書く場もあるのかもしれない。
学術の分野で矢作教授がお書きなら、私に参与部分があるとすれば
フィクションの世界である。それでしか描けない部分もあるだろう。

しかし、この世には外見が自分に酷似する人が3人いるというけれど、
思想にも、それはあるようだ。いや、驚いた。
お会いしたら、一晩語り明かせそうだ。いやかえって、言葉寡なく
心地よく酒を酌み交わしているだけかもしれない。考え方に相違点がなければ、
そういうことだろう。この世に精神的な兄弟を得た思いである。
私のような頭の悪いのが、天下の秀才に対して言うことではないけれど。
だから密かに私淑。

*私淑=「孟子」離婁下の「子は私(ひそ)かにこれを人よりうけて淑(よし)とするなり」から・・・・・直接に教えは受けないが、ひそかにその人を師と考えて尊敬し、模範として学ぶこと。


2 コメント

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私もこれから (まゆり)
2013-12-02 02:41:09
矢作先生の著作を全部読むことになるでしょう。
週刊ポストの記事で、矢作教授の存在を知り、
まず「人は死なない」を拝読しました。
そして、こんな言い方は適切かどうかわからないのですが、矢作先生と伊沢先生は「眷属」であるという感を持ちました。
単純に、「好きなひとがもう一人の好きなひとのことを好きになった」という喜びでコメントしてますがw
お二人とも宗教家でなく、もともとの右翼でもなく、狭量なスピリチュアル傾倒者でもないところが素晴らしいと思います。
お二人に私淑するものとして、ブログで、また著作でその「気」に触れられること、本当に嬉しく感謝しています。
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Unknown (井沢満)
2013-12-02 06:01:00
まゆりさん

眷属・・・・はおこがましいのですが、元々の右翼でもなく、スピリチュアルに偏っていないことは事実です。多少、不思議は体験しますが、リアリスト・・・だと思っています。バランスが大事なんで、いずれにものめり込み過ぎないようにと思っています。

矢作先生の著書は全て目を通しました。
粗い読み方なので、折に触れ必要な部分を再読します。
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