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井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

耳障りな言葉

2018年04月22日 | 日本語

30年以上も昔、NHKで書いた単発ドラマで芸祭の賞を得た「話すことはない」という
作品があるのだが、1シーン音声を入れ替えて貰った箇所がある。

「他人事」と脚本に書いたセリフを、ある役者が「たにんごと」と言ってしまい
演出家もそれに気づかぬまま。無論、これは「ひとごと」であり、そう吹き替えて
頂いた。

もっとも昨今「たにんごと」がもはや流通、市民権を得てしまったようだが私は
いまだ、耳障りで馴染めずにいる。

拉致問題を語る女性弁護士の言葉も、耳にざらついた。

三輪記子さんという方だが、拉致被害者の奪還に関する話題で、

「はい。そこが凄く重要で、やっぱりこれはアメリカにとって自分ごとではないんじゃないかと思うんですよね。
なので、日本はアメリカ一国だけを頼りにするんじゃなくて、やっぱり日韓関係であるとか、そういうルートも使えるような外交をして欲しいですね」

「他人事」→ひとごと→たにんごと→自分ごと

と劣化の段階を踏んでいるようで、居心地が悪い。私は「自分ごと」は耳にしないが、ひょっとしてこれも定着しつつあるのだろうか。

三輪弁護士の言葉は日本語としても耳にざらつくが、内容にも同意できかねる。

自国の拉致被害者を取り戻す努力の気配もない、どころか北にすり寄っている韓国といかなる連携を拉致被害者のために持てとおっしゃるのか。現在の韓国と、少なくとも拉致被害について手を結べる要素は皆無であろうに。

アメリカはまだしも、取り戻してその後死亡した学生の例がある。
安倍政権を貶める、ただその目的のためだけの発言が目立つ。

 

誤変換他、後ほど


「き」と「し」の差異

2018年04月01日 | 日本語

フジテレビの「報道2017」というタイトルでよかったか・・・・
(新報道2001だそうだ)
須田アナの仕切っている政治関連だが、とかくの風評があるフジテレビでも
この番組で、ざらつく思いをした記憶はないので局全体がそうだというわけでもなく
セクションによっては公平なのかもしれぬ。

おまけに今朝は、藤原正彦氏がゲスト、解説委員が平井文夫氏で安定感のあること。

途中から観たテーマは「日本の美」であり、だから藤原氏が呼ばれたのか?
外交に長けた安倍総理だが、教育に関してはゼロ点だという意見には
私も首肯する。
グローバリズムなど不要のことで、最も日本らしきものを護り取り戻すことが
結局はグローバルに通じる、というのは私の意見だが。

藤原氏は、英語なんか小学生から勉強することはない、とおっしゃる。
それより国語を学ばさせよ、と。まったくもって然り。
日々痩せていく国語がこの国の、あらゆる分野のものを貧しくする。

大いに賛同しながら観たのだが、藤原氏のかたわらにいた落語家さんが
「秋深き」という人口に膾炙した芭蕉のあの句を「秋深し」と
言ったのには閉口で、しかも藤原氏までもが「深し」と落語家氏の
誤った引用をリピートされ、せっかくの日本語論だったのに残念だった。

「秋深き」が正しく「深し」は間違い。ずいぶん多くの人々が間違って記憶しているが。
言葉への感性が鋭ければ「深き」であって「深し」では秋のあのしんと澄んで
張り詰めた大気の感触が出ない、とすぐ解かる。

秋という言葉の語尾「き」と呼応する連体形の「き」だから、音としての鋭さが
出る。「し」では、句がゆるむのだ。

「き」の次に来るべき名詞が来ていないことから、人々は安定感のある「深し」で
覚え込んだのであろうが、名詞を省いたことで次に来るべき箇所が空白になり、
その空白こそが「・・・・・」こそが、俳句の余白でありすなわり広がりであろう。

「笈日記」(弟子の各務支考元禄7・1694年)の「深き」が正しく、このかなり後(元文3・1738)年に
野坡(やば)という弟子達が選んだ句集『六行会』には「し」で記録されていて、さして
優秀な語感の持ち主たちではなかったと思われる。

芭蕉の句の本意は、弟子の根来芝柏宅で行われた俳句会に病気のためやむなく欠席したとき、句会の発句(最初に出される挨拶句)として書き送ったものとされていて、だから「隣りの人」とはその句会に参加の皆さん、という意味合いだそうな。

大阪蕉門の連衆を「隣人」に見立てた、自身の欠席への詫びを込めたわけだ。

だが、芭蕉ほどのお方が句の心をそういう狭いところにのみ置いたとは思えず、一般に
流された時裏事情を知らぬ者たちが、どう読むかの計算は当然していた、というのは
私見である。

私見を抜きにしても、秋の寂莫と孤独を詠んだ句として人の心に沁み入り広がっただろう。
孤独が隣人の気配をふと求める、そんな心境だろうか。孤独も、浅い孤独ではなく
人間の実存的孤絶感であろうよ、というのはこれも私見だ。
ならば、さらに「し」でいったん止めては感傷に流れすぎ、やはり「き」という
冷ややかな語感でなくてはならぬ。

秋深きは、芭の蕉病中吟「旅に病んで夢は枯野をかけめぐる」の前に詠まれた最後から
二番目の句であり、つまりは死の予感をも孕んだ一句か。
秋には近づく死の気配も漲る。しかし、しんと静まった孤独感ではあっても恐怖ではない。

 

誤変換他、後ほど。

 

 


映画に見る日本語の劣化

2018年03月22日 | 日本語

 

「黒い河」という映画がDVDで出ているのを知り、早速取り寄せて
見たのですが、うなりました。

有馬稲子さん主演の松竹映画(にんじんくらぶ企画)で、監督が小林正樹監督。
チンピラヤクザ役が新人で出たばかりの仲代達矢さんです。

当時映画館で観た時、頭を殴られたような衝撃だったのですが、
話を憶えてもいず、また敗戦後日本の荒廃ぶりやGHQ、
左翼運動家めく朝鮮の男、など時代背景など全く理解しないまま
ただ、映画が叩きつけてくる熱気に子供ながら圧倒されたのでしょう。

1957年度の製作なら、私が観たのは中学1,2年生の時です。
戦後12年目。
解らぬながら、食い入るように観た記憶。覚えているのはタイトルの英字紙の
切り抜きコラージュと、ラストシーンで有馬さんが狂ったように駆け去って行くところ。

Wikiの粗筋を拝借すれば、

>ひと癖もふた癖もある住人が住み着く貧乏長屋「月光荘」を舞台に、ここに引っ越してきた大学生の西田と、彼が思いを寄せるウェイトレスの静子、チンピラのリーダー・人斬りジョーたちの人間模様を描く。

配役の羅列だけでも往時の映画を知る人は、その豪華さに息を呑むでしょう。

 

月光荘住民

有馬稲子さんが恋する学生に、渡辺文雄さん。

中学生だった私は、ただ有馬稲子さんのヒロイン像と、仲代さんのギラギラした鮮烈さしか
目に入らなかったのですが、今見ると山田五十鈴さんの並外れた上手さ、宮口精二さんや
東野英治郎さん他、新劇畑の人たちの力量に唸らされます。

そして役者さんたちの口跡の良さ。昨今のドラマのようにセリフが聞き取れないなどということはなく、
明瞭なのです。プロの滑舌とエロキューションです。

そして、戦後20年間ほどでしたでしょうか、ごく一般の女性たちはまだ美しい日本語を
保っていました。普通に敬語を使い、親にも敬語を用いていました。
「お父様、召し上がりまして?」など。

有馬さん扮する清楚な女性が仲代さん演じるヤクザにレイプされ身を持ち崩し、メークが
濃くなるにつれ、言葉も崩れていく・・・・それでも、昨今の女性たちの
ぞんざいな言葉に比べれば、まともなのです。

今の女性たちは、昔のずべ公より汚い言葉を使っています。
言霊というのは、それを発する人の性根にまで影響を与えます。

映画は映画として、その圧倒的な熱気に打ちのめされながら、私は現代の日本女性が
かつての、パンパンのような言葉遣いをしていることを再認識、どこまで
この日本は敗戦により壊されたのか、と呆然としたのでした。

原作は富島健夫さん。脚本が松山善三さんです。

印象的な音楽が木下忠司さん。

映画館で観た当時は解らなかったのですが、退廃的なトーンの作品ですが
純愛を描いています。

あと改めて思ったのが、つまらぬ映画は超大型画面から映像が飛び出そうと、何の感興も湧かず、
モノクロスタンダード映画をさらに、DVDの画面で縮小して観ても、映画の中にすっぽり
入り込み、テレビのフレームの存在すら忘れて見入るのだなあ、と。

優れた映画はもう一つ別の人生をつかの間体験したごとき、実感があります。

 

誤変換他、後ほど

 

 

今日は打ち合わせ

2018年01月09日 | 日本語

自宅近くのカフェで演出家お一人、プロデューサーお二人いらして
打ち合わせでした。

3話目が短すぎる、ということで追加する件。
5話目の最終稿を出す件。

ロケ地による撮影の都合での変更。

私はめったに、長すぎたり短すぎたりということがなく・・・・
手書きで400字原稿用紙に書いている頃は、百発百中だったのですが、
wordになってから、ふらついてきました。

とりわけwordが最新バージョンなんかだと、仕様が異なっていて
カンでは短いなあと思いつつも、「機械の計算」に従って
原稿を渡してしまうのですが、仕様が違ったおかげで
こっちの計算違いだ、というようなことなのですが。

なので、いちいちいったん原稿用紙設定にして確かめるのですが
どういうものか、途中で原稿用紙設定が出来なくなって、
不便です。字数☓行数設定で400字にすればよいのですが。

ところで「あすきみ」に関して面白いニュースが今日、飛び込んで来たのですが
まだ話しちゃいけないのですって。私のために集ってくれる若い役者の皆さんたちには
固く口止めした上で、喋ってしまいそうです。

いずれにしても、幸先いいニュースなので皆さんにも早くお伝えしたくて、うずうずしているのですが。

「ジョージィ!」のアニメバージョンがDVDで発売されることになりました。
イタリアでのミュージカル版はオンタイムで作動していますが、DVDは何十年ぶりです。

 

今日も、ミルクをかけたグラノーラ、納豆のみ。
喫茶店でプロデューサーが食べているバタートーストが美味しそうでしたが、
スルーしました。

 

 

誤変換他、後ほど。


若者言葉の貧困

2017年12月28日 | 日本語

若者のセリフを書きながら、やはりあまり語彙が多すぎるとリアリティを損ね、
かと言って、マジ、むかつくのみではセリフにもならず・・・

なぜこうも、若者の言葉が貧相になったか考えてみると
GHQによる日本語の駆逐政策、そしてそれに乗った左翼の連中がいて、
どんどん言葉狩りをして行った・・・・という背景があるわけですが、

しかし、昨今のlineの復旧。私などは、一言伝言程度の認識なのですが、
長く要件や心の思いまで打ってくる人がいて困惑・・・・というのは
そういう、心理に綾のある文章への返信としては、きめ細かい言葉で
打ち返したいと思うものの、変換出来る漢字のなんと、貧しいこと。

携帯電話のメールにおける、変換範囲の乏しさに驚いたり、嘆いたりしていたのですが、
LINE はその比ではありません。

このまま、日本人は言葉を手放していくのかと、うそ寒くなります。

言葉を手放してろくな結果を招かないのは、漢字を捨てた中国、韓国を見れば
よく解ります。

言葉は、国の防波堤だというのが私の持論なのですが、国語を守ることは
国を守ることでもあります。

 

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