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井沢満ブログ

後進に伝えたい技術論もないわけではなく、「井沢満の脚本講座」をたまに、後はのんびりよしなしごとを綴って行きます。

「来寧」 日本語について

2017年09月10日 | 日本語

皇太子ご夫妻による、今月2日の奈良県ご訪問を機に、
「来寧」という言葉に初めて接した人もいるのではないでしょうか。

北海道を訪れることを「来道」などといい、熊本は「来熊」、静岡は「来静」と、
概ねその地域の名の一部を取り入れていることが多いと思いますが、「来寧」は特殊でしょう。

奈良の古称・雅称が「寧楽(ねいらく)」というのです。

しかし、雅子妃は皇后の座が近くなった途端、まめにお出ましで・・・・・
好意的に見れば女性週刊誌的に「雅子さま、皇后のご自覚とご覚悟」という
ことになるのでしょうが、意地悪く見ればやる気になればおやりになれたものを、
今まで出られなかったのですね、と言われそうです。

もっとも、「14年ぶりに」ご出席予定でいらした日本赤十字社の全国大会には直前に「風邪の症状」でご欠席。

いやはや、としか言えません。そもそも14年間、延々と「風邪のような症状」他、「ご体調」がたまたまその日に、たまたますぐれない、ということが続くでしょうか。14年間も?

海外にご出立の折、またご帰国後の際に賢所にご挨拶に伺うのが
皇族の習わしですが、敢えて申し上げますがニグレクトされていらっしゃいます。
海外にお出かけの体力がおありなら、賢所へ参内は可能でしょうから意図的懈怠と国民に思われても致し方ございませんね。

この方は、皇室が神道最大の祭祀の“お家”であり天皇陛下は、神道界の頂点にいらっしゃる祭祀王である、というご自覚がいまだお有りではないのでしょうか。

嫁がれてすでに、24年間。学ぶには十分の長さではございませんでしたか?

即位の儀に続く賑やかなイベントで海外からの賓客も大量に来日、マスコミはワイドショー含めて囃し立てるから、しばらくは賑わいが続くでしょうが、この方が立后なさり、東宮が天皇に即位されたら国民の求心力は一気にこれを失うでしょう。

その上、「生前退位」された上皇、上皇后がいらっしゃるのでなおさらです。

それ以上に、宮中より天皇ご親修の祭祀が東宮の代で絶え果てるであろうことを、危惧します。祭祀を手放された天皇は、もはや天皇ではない何か別のご存在です。

眞子さまのお相手の劣悪さで、かなり秋篠宮殿下ひいては悠仁親王殿下への愛国保守層の期待のテンションが下がったとはいえ、まだ望みのご存在ではありましょう。

皇統が無事、悠仁親王殿下へとつながることを祈ります。

誤変換他、後ほど推敲致します。

 

オフ会について。

ピピさん、幹事さんの手元にリストがないそうです。
こちらをお読みの上、幹事さんに改めてお申込みください。

 


重要 オフ会参加ご希望の方へ

 

当方の手違いによるミスかも知れず、お詫び申し上げます。

  


潜在的言語のもたらす芳醇と品格

2017年08月26日 | 日本語

尾崎行雄記念財団・咢堂塾での講義に向けて、鋭意準備中です。

記念財団は、憲政記念館内にあり、国会議事堂に隣接する国会前庭内に建っていて、自民党党本部からも徒歩5分程度の位置にあり政治の息吹が漂うエリアです。

わたくしの講義テーマは毎度「日本語は国の防波堤」です。

このタイトルを基軸に、日韓関係他へと話を敷衍していくのですが
結局は、わたくしが語って倦まないのは「日本の美」であり、
わたくしの愛国心の発露は、畢竟(ひっきょう)和服や言葉の形をした
日本の美意識に帰着します。国体への愛というよりは、この国の
文化を護りたいという意識が先にありき、です。

生粋の江戸言葉を書ける脚本家もいなくなり、そういう意味で
戯曲家の久保田万太郎先生のお作を読まなければ、と思いつつ
目先の読書に忙殺されて、後回しになっています。

さなきだに、時間がなく本も数冊を並行して数行、数十行ずつ
読み進めているのは先に述べた通りで、言ってみれば不要不急の
戯曲を読むゆとりはないのですが・・・・・しかし思えば文化の在処(ありどころ)は
常に、不要不急の中にこそあります。

久保田万太郎の、これは戯曲ではなく小説「三の酉」からですが・・・・


 ――おい、この間、三(さん)の酉(とり)へ行ったろう? ……
 ズケリといって、ぼくは、おさわの顔をみたのである。
 ――えゝ、行ったわ。……どうして? ……
 と、おさわは、大きな目を、くるッとさせた。
 ――しかも、白昼、イケしゃァ/\と、男と一しょに、よ……
 と、ぼくは、カセをかけた。
 ――あら、よく知ってるわね。
 と、そのくるッとさせた目を、正直にそのまゝ、
 ――おかしいわ。
 と、改めて、ぼくのほうにうつした。
 ――ちッともおかしかァない。……おかしいのはそッちだ……
 ――みたの、あなた、どッかで? ……
 ――そうだろうナ、多分……
 ――わるいことはできないッて、ほんとね。……けど、どこで……どこをあるいてるのをみられたろう?
 ――それよりも、一たい、なんだ、あれ? ……
 ――あれッて?
 ――あの男さ。
 ――あゝ、あれ?
 ――顔よりも大きなマスクをかけて、さ。……そんなに、人めがはゞかられるなら、何も、昼日中、あの人ごみの中を、いゝ間(ま)のふりに、女を連れてあるかなくったっていゝじゃァないか?
 ――そうだわよ。……そう思ったわよ、あたしだって……
 ――それだったら、なぜ止させなかったんだ? ……ウスみッともない……
 
 
 ーーーーーーーーーーーーーーーーー
 
 
音読してみると、江戸弁のリズムが立ち上がってきます。
 
文章のコツの一つは、音読して響きはいいか、なだらかか、というのがあります。だから作文の練習はまず音読から。慣れるとわざわざ音読しなくても、言葉が「音」として耳に聞こえて来るようになります。
 
「三の酉」の文章中、「いい間のふり」というのがありますね。
 
“いいまのふり”、これは「いい気になって」という意味の東京の方言です。
 
そう、東京にも方言はあるんです。
 
東京ローカルでしか通じない言葉。もっとも、「いい間のふりに」を
現在使う東京人はいません。
だから、知らなくていいかということでもないと、わたくしは思います。
 
表で使うことはないが、しかし語嚢に蓄えているというそのことだけで、
その人の醸し出す雰囲気が豊かになるとそう思います。
 
表題の潜在的言語とは、そういう意味です。
 
語嚢はおそらく造語だと思いますが、語彙を詰め込む嚢として、
実感があるので、わたくしは用いています。
 
【嚢】 読み のう  意味 ふくろ
 
一国への侵略手段に、その国の言葉を奪う、弱体化させるというのがあります。
言葉はその国の精神性であり、品格であり、アイデンティティです。
日本を占領したGHQがやろうとしたのも、日本語の無力化でした。
しかし、幸い日本語は廃絶されずに生き長らえました。
 
しかしながら年ごとに貧しくなって行っています。
 
GHQの撒いた日本弱体化のウィルスは、随分長期にじわじわと効きます。
それを食い止めるための防波堤の一つが、日本語を守り抜くこと、大切にすることです。
 
文中の「畢竟」、読みはひっきょう。意味は「要するに」。
 
いけしゃあしゃあとは、憎らしいほど厚かましい様子。
 
 
 
皆様の今日という尊い一日が、光に満ちてありますように。
 
誤変換他、後ほど推敲致します。
 
 

人を以て言を廃せず

2017年08月22日 | 日本語

1日に1つ、新しい言葉か漢字を覚える。

そう提言しているのですが、これが結構難しいようです。

電車の吊り広告も、時に教科書になります。

結構書けない漢字があるかもしれません。

今日は「人を以て言を廃せず」という言葉を取り上げます。

あるいは「人を以て言を廃(す)てず」とも。

論語ですね。子曰、「君子不以言挙人。不以人廃言」

「君子は言を以て人を挙げず人を以て言を廃せず」



君子は、その言葉が立派だからといって、
(すぐにその)人を褒め、引き立てることはしない。

それを言ったのがつまらない人だからといって、
(すぐにその)言葉を却下するようなこともしない。

本日の、ミニ講座でした。

 

さて秋に予定の第2回オフ会は、前回参加の方優先ですが、少したぶん
空きがあると思うので、コメント欄に今まで何度か書き込みがあった方限定ということ前提に、新規のお方を何人かお迎えできる・・・・かもしれない?と幹事さんと話し合いました。

この間は、ほとんどの方が二次会に参加され二倍のお金を使わせたことを
反省、一次会、二次会ドッキングで出来る場所、地方から泊りがけでいらっしゃる方を考えて某土曜日の3時ー6時を考えています。(2次会代わりに1時間延長可)。幹事さんいわく、更に他での2次回希望者にはお付き合いします、とか。私は2次会は無理・・・。

一時間半が私のトークで、残りが質問その他わいわいタイム。

それで、新規参加希望で手を挙げてくださった6名の方々・・・・

 

くるみのばあばさん  ろみさん Achabi さん 天の川さん うたさん れん子さん

 

コメント欄タイトルに《非公開》と明記の上、メールアドレスをください。
幹事の方から、メールが行く手筈です。

幹事さんには、ここでのHNと共に本当の姓名、住所、電話番号をお知らせください。
場合によっては、幹事から身元確認のための電話が行くかもしれませんが、参加の皆様の安全確保のためなのでご協力ください。

頂く情報は、井沢は即廃棄、幹事のみ次のオフ会リストのため保存しますが、無論悪用はいたしません。

領収書が必要な方は事前にお申し出ください。

お釣りが大変なので、その点をご考慮ください。

用意した場所に人数制限があるので、全部はお受けできないかもしれません。
その場合は、申し訳ございません。

まだちょっと気が早い告知でしたが・・・・新規にご参加希望の方が
案外いらっしゃるようなので、早々と。

 

 

誤変換他、後ほど推敲致します。

 

 


「リズム」と「調べ」としての日本語

2017年07月23日 | 日本語

昨今、小説やエッセーの分野でもそうですが、とりわけセリフという「音声」の
分野でさえ、音としての言葉に敏感な書き手がいなくなったことが
残念です。

脚本家で言えば、向田邦子さん、倉本聰さんが音としてのセリフに敏感な
方々で、共通項はラジオを書いていらした時代がある、ということです。
聴覚のみに頼ったラジオの世界では、音としての言葉に敏感に
ならざるを得ません。

言葉が寝そべったままの、音として立ち上がらないセリフを苦痛に感じる
役者さんも少なくなりつつあるのかもしれません。

聴いていて、これ言わされているのか、と気の毒に思うセリフがあります。
昔、俳優さんたちは「音」に敏感でした。
現役で言えば、八千草薫さん、橋爪功さん、三田佳子さん、いしだあゆみさん、
高嶋政宏くん、斉藤由貴ちゃん・・・・・まだいますが・・・・

こちらが「音符」として投げかけた言葉を正確に受け止めてくださる
役者さんたちです。

誰とはいいづらいけれど、音としての日本語にえらく鈍感な役者が一人いて
無念な思いをしたことがあります。その方はいわゆる、元々の日本人ではいらっしゃらず、それも関係あるのか、どうか? 不明です。ただ演技力は確かな方でした。

昔、NHKラジオに「日曜名作座」というものがあり、それにご出演だったのが
森繁久彌氏でした。

森繁氏は言わずもがなベテラン中のベテラン、日曜名作座も台本を
その場で、さーっと黙読、そのまま本番に突入してよどみなく
演じられる方でした。

そんな森繁さんに、セリフと語りを書いたのが若き日の私です。
その頃は、ラジオの現場にもテレビの撮りにもまめに顔を出していたのでした。

ラジオが仕事のスタート地点だったので、言葉を音声化して耳に蘇らせられながらの執筆には慣れていたのですが・・・その私が、心の中で「音読」しながら書いていたとき、ふっと「音的に」つまずくナレーション部分があったのです。

普段なら、音読しても円滑に読めるよう推敲するのですが
その時、ふと怠け心が兆したのですね。
「森繁さんだし、ま、ま、いっか」

超ベテランなら、少々音的になだらかではなくても、すっと
やってくださる・・・・であろうと。

で、現場に臨みました。

森繁さん、相変わらずリハーサルもなくスラスラと演じていらしたのですが、
ふっ・・・・と躓き乱れたのが・・・・そう、私が(声には出さないながら)音読して
躓いていたまさしくその箇所なのでした。

したたか思い知り、それ以来肝に銘じています。セリフは手抜きするなよ、と。

今は手抜き以前に、音としてのセリフやナレーションに対して聴覚の敏感な作家が失せた分、役者さんが軒並み器用になって、こなしてしまいます。

ただ、そういう若手でも私の書くセリフは「リアル」という体感で捉えてくれているようです。
リアルなのではなく、生理的な口の動きに逆らわないセリフを書いているのですが。内容自体は日常語に見せかけた非日常語なんです。

以下がミニ文章講座ですが、文章を書く時音読をお勧めします。
面倒でも、慣れてくるとそのうち黙読していてもその文章の「音とリズム、そして調べ」が耳に聞こえるようになります。

心地よい響きでそれが立ち上がるなら、いい文章、人にすんなり伝わる文章なのです。

先だっても書きましたが、長すぎるセンテンスはとりあえず、二つか三つに分けて述べましょう。

それと「私」を文頭に持って来ないよう心がけるのが、他民族、他言語にはない
日本人としての奥ゆかしさです。

英語だと I think・・・・と「私」が冒頭に来るのであり、そういう成り立ちの言語ですが、日本語は「私」と「あなた」との間にさほど画然とした境界線はありません。
私はあなた、あなたは私である・・・という海の要塞に護られながら
天皇を頂点に、遠く辿れば皆がどこかで血を共にしている・・・・という彼我(ひが)の距離の薄い感性で生きてきたせいかもしれません。

「私はそう思います」と私を前面に出さず、「そのように、私は思います」と少なくとも私を文頭に置かないのが本来の日本語の流儀、慎みです。

書簡を認(したため)る際に、「私」を文節の頭に書かぬのはかつて常識でした。
「私」で文章を始める時は、文節末尾に「私は」と小さく、ぶら下げる形で
書くのが流儀でした。

三田佳子さんとひんぱんに手書きのFAXのやりとりをしていた時期がありますが、FAXの文面(毛筆の縦書き)ですら三田さんは「私」という主語は、行の一番最後に小さく添えるか、文の途中に溶け込ませるか、あの時代の俳優さんたちはそのての教養がおありです。

樹木希林さんも、毛筆の書体が麗しいお方。
八千草薫さんもいただくお便りの文字は、流麗です。
草笛光子さんも。

今日述べた、心かげていただきたいことを、まとめます。

1 文章は音読してみる。ひっかかり、なだらかに流れないようなら書き直す。

2 音読して息継ぎしなければならないような長すぎるセンテンスは、2つか3つのセンテンスに分ける。

3 「私」という主語をなるべく文頭に持って来ない。(「なるべく」という原則論です。コメント欄などで、ここまでの気配りは要らないでしょう)

 

誤変換他、後ほど推敲致します。

 


「長文すみません」の謎。ちょっと、文章講座ふう。

2017年07月21日 | 日本語

おはようございます。

敢えて毎度しょうもない話題ばかり書き連ねてますのに、コメントを頂きありがとうございます。

お返事を差し上げるほどの時間がなく失礼していますが、全部丹念に読ませて頂いています。

そのコメント欄に、時々「長文失礼します」のたぐいがあり、私などには不思議な文言なのです。

まず第一にコメント欄そのものに、「長文」と言えるほどの文章は通常書かないし、おそらく字数制限もあるような。

こちらのコメント欄に限らず「長文ごめんなさい」はあちこちで、頻出しているようです。

総じて、文章の読み書きが不得手になっている現代人の感性なのでしょうね。

必要な要素を的確に盛り込んだ文章なら、いかに長文でも読むほうは苦痛ではありません。

今後文章のコツを、少しずつ述べて行きましょうか。

まず、あまり長すぎるセンテンスは文章の歯切れを悪くします。歯切れの悪さは、読みづらさです

読みづらさは、説得力の希薄さに通じます。

3,4行にもまたがるセンテンスなら、どこかで切れないか見直しを。

あと、これは現代のプロの書き手も心得ていない人がいるのですが「音読に耐え得る文章」を。

まず訓練としては、書いた文章を声に出して読んでみてください。

読みづらく、ひっかかる箇所は目だけで追って読んでいる読者も、なだらかには読めない箇所なのです。

音感で文章を書くくせをつけると、心地よい文章のリズムと調べが生まれます。

明日は、音感としての文章を書くことの大切さを亡き森繁久彌氏に託してお話しましょう。

皆様どうぞ、良い1日を。光をお届けします。

 

誤変換他、後ほど推敲致します。