京都市東山区林下町にある浄土宗総本山の知恩院に行ってきました。東山の山麓に抱かれた非常に大きなお寺です。
現在、JRによる「そうだ 京都、行こう。」早春キャンペーン」中です。これによって、知恩院の大方丈と子方丈の内部が公開されているということで、知恩院に参拝しました(4年ぶりの公開と伺いました)。
いつも見ても、とても大きな三門(山門ではなく「三問」というそうです)です。これほど大きい山門はほかにはあまりありません。
この知恩院は、浄土宗総本山の寺院です。山号は華頂山で、詳名は華頂山知恩教院大谷寺だそうです。このため、三門には「華頂山」が掲げられています。
この知恩院は、事実上は“お城”だと、三門を過ぎて、きつい石段の坂を上る時に感じます。お城の天守閣に向かう坂だと感じます。
この知恩院は徳川家の永代菩提所として豪壮な建物の御影堂(本堂)が建っています。大き過ぎて撮影できません。
御影堂の西側に小ぶりな阿弥陀堂があり、金色の阿弥陀仏が鎮座しています。この阿弥陀堂の前に、たぶんジュウガツザクラ(十月桜)の木と思われるサクラの木が数本あり、花を咲かせています。
今回、特別公開されている大方丈と子方丈は、法然上人御堂に入る武家門からお堂の中に入ります。
中がとても広い法然上人御堂の中では、僧侶がお経を読み上げ、たぶん檀家の方の法事が執り行われています。
この法然上人御堂を抜けると、大方丈の建屋に入る入り口になります。
大方丈の内部は、大胆にいえば、徳川幕府の将軍家の公式な謁見の間です。1603年からこの知恩院は徳川家の永代菩提寺として整備されました。
大方丈の部屋のつくりは、素人感覚でいえば、二条城の謁見の間の原型です。
ここは徳川家康から徳川家光の3代の将軍しか事実上は使っていません(その後は江戸から出る必要がなかったので)。
大方丈の奥が小方丈です。小方丈の部屋は事実上は徳川家の“リビング”です。心許せる徳川家の一族が使う“リビング”です。
この仕組みは、二条城のつくりと同じです。ここを基に二条城の接見の間などに伝統が引き継がれています。
大方丈と小方丈を飾る狩野派の絵師たちが描いた襖絵などは撮影禁止です。
小方丈から山麓側の方丈庭園に出られます。ここは撮影可能です。
割と落ち着いた庭園です。この方丈庭園は、江戸時代初期に小堀遠州の弟子の玉淵某が作庭したと伝えられています。
ただし、冬なのでコケはあまり美しくありません。
今回、残念だったのは、冬の期間は奥の高台には入れないことでした。
昔、春のサクラの開花時には、この高台も公開していたのですが・・。
山麓の木には、エナガの群れが来ています。動き回ります。
イカルの群れもやってきました。背の高い木の上部に留まったイカルです。
曇天であることと、逆光のために、羽根模様が見えません。