たかたかのトレッキング

駆け足登山は卒業、これからは一日で登れる山を二日かけ自然と語らいながら自由気ままに登りたい。

(2)飛行機王・中島知久平

2017年11月19日 | アウトドア

車寄せを出て枯山水風の庭から中門を潜りますと

西側の棟が来客を持て成す為の公的な洋風建築に対して

東側はガラリと変わった一部、客間も設けられていますが居住者が私的に使う

和風建築となっております








この棟は二間続きの客間で襖を外すと49畳という大広間になるそうです

近くの利根川河川敷から離発着する飛行機を眺めながら

どんな会話が交わされたのでしょうね

丸窓のある和室の襖に沁みが見られますが此れは S・22年のカスリーン台風で

利根川が氾濫した時の浸水あとだそうです

下の和室の床が畳ではなく絨毯が敷かれているのは

戦後の一時期、米軍家族の住居として使われていた名残と言う事でした

敗戦という屈辱的な歴史を物語る物として貴重な証しとなりますね

   





サッカーや野球も出来そうな庭にヒマラヤ杉が2本ありました

かなり巨大なヒマラヤ杉ですが建物はそれに負けないドッシリとした構えです


客間の棟の右奥に建つのは一階が仏間と両親の部屋

2階が知久平氏の生活の場所として使われていた様です




上は洋間からの続きの部屋、下は内玄関でしょうか

今は取り壊されましたが、この左にはバーとダンスホールが在ったそうです






再び車寄せのある庭に戻ります

山茶花の向こうに見える棟は玄関ロビーの西側にある事務所兼書斎でしょうか

手前はトイレに続く廊下です

屋敷神社殿の後ろには竹林が有りその中に太い切り株が見えますので

存在して居たら印象も大分、違っていた事でしょう

最後の写真は再び①の中庭ですが庭らしい体裁を残しているのは此処だけでした

奥に見える部屋は女中部屋との事です

最後を守ったお姉さまは障子が綺麗に貼られている所をみますと私の想像ですが

ここで生活をして居たのかもしれませんね

建築費約100万(S・5年)これを今の金額に換算するとどの位になるのか分りませんが

同時期に完成した大阪城の復興天守が約47万と言いますから推して知るべしですね

そして今年は中島飛行機を立ちあげて丁度100年

株SUBARUはどんな企画で100周年を祝うのでしょうか

それも楽しみです


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飛行機王・中島知久平 (株subaru創始者)

2017年11月17日 | アウトドア

桐生市から太田市へ移動し中島知久平邸にやって参りました

ここは中島飛行場を立ち上げた知久平氏が両親の為に建てた邸宅であり

後に太田に本拠地を持つ「富士重工場・すばる」(現在は株SUBARU)の

創始者として名を馳せた人物がこの人なのです

因みに私が一番最初に運転した車が「すばる360」でした

今でも偶に乗っておられる方を目にする事が有ります




生涯、独身を通した知久平氏には後見人が居りませんでした

平成の初期まで住んでいた姉が持ちきれずに区に寄付したと言うこの家が

敷地面積1万㎡を越えると言う豪邸として一般の目に触れるようになったのも

未だ数年前の事でした




母屋の完成は昭和5年(1930年)

客を迎える「車寄せ」は重厚な唐破風造りで国の重文に指定されました


玄関ロビーの照明器具


ロビーの格天井は複雑に組まれ

建物全体に言えるのでしょうが大工さん泣かせの設計だった事が伺えます


現在は未だ一部だけが公開されているだけですが全面改修に向けてプロジェクトが

組まれている様ですので建物全体の見学もそう遠くではないはずです(現在は無料


客室、居間、食道等々に囲まれるこの中庭は小規模では有りますが

中々味わい深いものが有りました


壁は全て絹織で「下がり藤」の家紋が織り込まれています








応接間の家具調度品の殆どは嵌め込み式の為、目を見張る様な物は有りませんでしたが

ステンドグラスなどの装飾品も決して華美では無く品の良さが感じられました



こちらは応接間の隣りに有ります食堂棟

窓から覗く庭を見ながら談笑していたでしょうか

陸海軍からの大量受注に栄光を讃えあったでしょうか


一端、玄関を出て中門を潜りますと建物も一変いたしました

写真の枚数が多くなりますので、次の項で紹介したいと思います

続く


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桐生・明治館

2017年11月15日 | アウトドア


   



宝徳寺の「床もみじ」を鑑賞した後は境内を散策です




愛らしい地蔵さんと一人欠けた六地蔵さんも毛糸の帽子を被って冬支度でしょうか


今日は住職さん、大忙し


今は廃校になった桐生市立北中学校です(ここに車を停めました)

今ではこの学校を卒業した者のみの思い出の校歌が校舎脇の石碑に刻まれていました

目を通せば朝な夕なに仰ぎ見たで有りましょう鳴神山の文字が印象に残りました

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




宝徳寺から約15分 国指定重要文化財明治館にやって参りました

先程とは趣も変わり此方は洋風建築、中々の風格です

明治11年、群馬県衛生所・医学校として前橋市に建てられたこの洋館は

昭和3年相生村が県から払い下げ村役場として現在の場所に移築致したものです

   



1階展示コーナーには昔懐かしい蓄音機や一輪車等々が並び

揖取素彦群馬県知事に関するものが数点、展示されておりました


レトロな階段を登って行きますと

   



貴賓室や会議室等が再現され古き良き時代の面影を偲ばせます








風も無く暖かな昼下がり、テラスには燦々と陽光が降り注いでおりました



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桐生・宝徳寺の床もみじ

2017年11月13日 | アウトドア

丁度、見頃を迎えた宝徳寺の100数本のもみじ

11日から始まった「もみじ祭り」を新聞で紹介された事から

日曜日、この日の人出は凄かった


宝徳寺は桐生の領主であった佐野正綱公の開基により室町時代の宝徳年間に

桐生城の裏口を守るための要害として創建された禅寺です


静かな朝の一時を床に映るもみじを眺め自身を見つめてみる・・・

それが出来たら・・・



省略できるものを全て取り去り石と砂だけで自然の美を作り上げた枯山水庭園

後方の山を借景に趣を醸しております


池に影を映しながら水を求める枝先の妙

美と言うものに定義は有りません

人は大自然と一体化する気持ちを味わう為に

庭や鉢で再現し風流と称して楽しんで来ました

これも計算された一つの美なのでしょうね


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亭主の気まぐれ

2017年11月12日 | グルメ
庭で未だまだ元気な草を毟っていますと早目に仕事を切り上げた雄さんが

「お好み焼き食べるか~」


気が向くと作ってくれる雄さんのお好み焼きは

もんじゃ焼きの様な柔らかさで、これがとっても美味しい!!

私はこれにマヨネーズ&ソースを掛けて頂きますが・・・もうたまりません

次に気が向くのは何時になるでしょう! 私は毎日でもオーケーなんですけど


働いた後は又お遊びに・・・

という事で本日も帰りが遅くなりそうですのでコメント欄を閉じました


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